久島の義体はメンテナンスルームの処置室にて、各種ケーブルに繋がれている。しかし通常時と違うのは、車椅子に腰掛けたままの状態でその作業が成されている事だった。 彼は静かに上体を倒され、俯き加減にされている。そこに衣服の襟元を緩め、ネクタイを解いて首に掛けるだけの状態にする。義体の構造上、接続端子が存在する首筋を露出させる体勢を取らせていた。 既に義体と接続状態にあり電脳に干渉していた首筋のデバイスを取り外し、代わりに処置室の機材と接続するべくケーブル類が引っ張られて来る。そのうなじに隠蔽されていたいくつもの接続ソケットに、ケーブルのプラグが差し込まれた。 そのような作業を受けつつも、久島は瞼を伏せている。メンテナンスを受けるに当たり、完全に動作を停止しているらしい。義体とそれを作動させるAIの保安のためには当然の設定変更だった。 波留はそんな彼の傍らに屈み込む。右手を伸ばし、義体の首筋に触れた。差し込まれているプラグ類を避けつつ、そっと指先の腹で首筋を撫でるように触れてゆく。そして左手は肘掛けにある義体の手を取り、掌を重ねた。 一見して、処置を受ける義体を優しく宥めているような素振りである。しかし、電脳化している存在の接続デバイスである掌と首筋に触れているのだから、それは何らかの作業の一環なのだろうと周辺の人々には思わせた。 「――…悪いようにはしませんよ。あなたは安心して下さい」 そんな静かで囁くような声が、不意に室内の静寂を破る。義体を抱き締めるように屈み込んでいた波留は、顔を近付けてそんな事を語り掛けていたのである。まるで本当に聴かせるような態度だったが、義体が動作停止している以上、五感は全て遮断されているはずだった。それが判っていない波留ではないはずである。 波留の右手がゆっくりと動く。プラグ類を回避するようにうなじの上の方に回り、上から覆うように掌を押し当てた。 すると、義体が微かに震える。僅かな機械音が発せられ、唐突に眺めている人々に対して頭部に違和感を覚えさせた。そして何らかの作動音は僅かに続き、ゆっくりと頭部が揺れる。そこを覆っている人工頭髪が浮き上がり、そのままずれて行った。 頭部フレームが展開されてゆく。機械的な動作の末に外殻が外れて行き、内部構造が露出した。 それを眺める人々は、感嘆の声を上げていた。それはむしろ占拠組に顕著である。病棟スタッフと違い彼らはそれを見るのが初めてなのだから、当然と言えばその通りだった。 その頭部フレームの内部には、機械的な殻に覆われた物体が納まっていた。それは両腕で抱え込んで尚余りある程度の大きさで、その重要性と比較してあまりにちっぽけに思える存在だった。 その状態のまま、波留はゆっくりと立ち上がる。展開された義体を一瞥し、身体を引いた。傍の台に用意されている白手袋を手に取り、それを嵌め始める。淡々と作業を行おうとしていた。 ミナモは、その久島の脳核を目の当たりにしたのは初めてである。だから傍らでそれをまじまじと見つめてしまっていた。――これが久島さんで、ここにAIさんも居るんだ。そう考えると、どうにも不思議な気分になる。人間の形をしている義体そのものには意識は宿らないのだから。 そしてその感慨に耽った後に、波留の背中を見る。無言で手袋を嵌めているその彼に、ミナモは言いようのない不安を覚えた。 ――本気で、外しちゃうの?久島さん達を、あの人達に渡しちゃうの?そんな疑問が、彼女の心の中で連呼されている。 そんな事したら、いけないに決まってるよ。久島さんもAIさんも消されちゃうよ、絶対に。 ミナモとしてはそう思ってしまうのだが、作業を行おうとしている波留に一切の表情はない。何を考えているのかも読み取れない。緊張しているのか、何も考えないようにしているのか、ミナモにはそれが判らなかった。 白手袋を嵌めた波留は、ゆっくりと踵を返す。周りの人々の視線を一身に受けた状態ではあるが、彼はそれを全く意に介していない。無表情を保ったまま、義体の背後に立った。展開され内部を露出させた頭部を無言で見やる。 軽く黒髪が揺れる。結び結い上げた長い髪が、彼の肩に掛かった。少し邪魔に思えたのかもしれない。 彼は上体を傾け、下に向かって手を伸ばす。義体の頭部フレームに左手を掛け、露出した付近の外殻の縁にそっと触れた。固定するように手を置く。そして右手が動こうとするが、俯き加減になった彼の顔に髪が掛かる。その後ろ髪を、彼は鬱陶しげに払おうとした。そんな素振りを見せようとした。 その刹那の動きだった。 波留の動作はごく自然なものから唐突に切り替わっていた。そしてそこから繰り出される手の動きは素早いもので、誰にも制止出来ない。何が起こったのか把握した者も居なかった。 波留の持ち上げられた右手が、そのまま頬に掛かる髪の毛を払うと思いきや、更に上がった。後ろ髪の結び目付近に触れる。そしてそのまま一気に振り下ろした。僅かに屈み込み、眼前の義体へと右手が一閃する。 瞬間、義体の肩が軽く揺れる。それは一瞬で収まった動作だったが、確実に第三者の目にも触れた異変だった。 周辺に、どよめきが巻き起こった。 振り下ろされ、静止した波留の右手は拳が作られている。それを久島の展開された頭部の内部に突っ込んでいた。 しかし良く注視すると、その指の間には細長い棒状のものが挟み込まれている。それはヘアピン程度の大きさであり、小型のメモリースティックらしき物体だった。 その一端が、久島の脳核の外殻に存在する最小のソケットに差し込まれていた。 メンテナンスにおいては義体を経由してではなく、脳核そのものにケーブルを接続する事もある。そのためのソケットは脳核の外殻にいくつか存在していた。 しかし、全身義体の人間にとっては唯一の生身であり、現在の医療レベルでは再生も可能とは言えそれも完全に行えるとは限らない臓器である脳を守るためには、出来る限り外部に触れないようにするのが肝要である。だからソケット類は小型に留め、個数も少なくなっていた。 そのひとつを、波留は自らが手にしたメモリースティックで埋めた事になる。未塗装の無骨な金属片が脳核に差し込まれ、その冷たい金属が波留の嵌めた白手袋に映えていた。 その状況を真っ先に把握したのは、レッドである。思わず声を荒げた。波留に対し一歩を踏み出す。 「――貴様!」 「動かない方がいいと思いますよ?」 そこに、冷静に波留は声を掛けた。義体の傍らに立ち、右手をフレーム内に差し込んだまま、周辺の人々に向き直り一瞥を加える。その瞳の印象は恐ろしいまでに冷たい。 「まあ、動いた所で無駄かもしれませんが」 「何?」 淡々とした語り口の波留に、レッドは怪訝そうな声を上げる。そこに波留は左手を上げる。まるで裁判で宣誓するかのように胸の前に手を広げた。 そしてこの場の人々に宣告する。低く静かな声が滔々と響き渡った。 「皆さんに久島の知識を渡す位なら、親友たる僕が責任を持って全てを消去します」 その言葉を訊いたミナモは、思わず波留の方を見やった。彼が口に出した言葉が信じられず、彼の顔を覗き込む。 現在の波留には表情が一切浮かんでいない。冷たい印象を湛えたまま、只目の前を見据えていた。 |