それは、AIから事前に告げられた「解除条件」のひとつである。久島当人が指名した波留とミナモの両名の同席――それを満たさなければ、その義体から脳核を取り出せない。条件を満たさないままそれを実行しようとすれば、自動的に初期化と脳死を合わせたプログラムが久島の脳核に対して起動する。そうなれば、久島の脳核は生体としても記憶媒体としても、致命的なダメージを受ける事は必至だった。
 そのプログラムはAIが能動的に起動させる事も可能である。それはAIに選択させないように仕向ければ良いとして、問題は自動起動の方である。この機能を殺さなければ、他者が一切久島の脳核をいじる事は出来ない。
 その機能の一時停止として久島が設定した条件が「義体操作時の波留とミナモの同席」だった――久島の知識を記憶を引き継いでいるAIはレッドに詰問され、そう返答している。
 「人間からの命令への絶対遵守」こそが、「人間に造られた存在」であるAIに備わった不文律である。簡単に表現するならば、問われた事に対して嘘がつけないのである。人間に仕える存在として造られているのだから、人間を欺く事は出来ないように設定されているのは当然の話である。
 それはそのAIが「久島の知識と記憶」と言う特別な物を与えられているとしても、変わらない。その設定を抱えている以上、人間が望む知識についてピンポイントで質問を続けられては、「彼」がそれに抵抗する事は理論上不可能だったのだ。
 それは問い詰められた彼が、まるで人間が体調を崩したかのように蒼ざめ冷汗を流し倒れ込んだ状況からも類推出来る。おそらくは彼は、自らに設定された不文律に対して苦闘した挙句、その条件を白状したのだろう。彼を詰問しそのような状態に追い込んだレッドも、それを見守る事しか出来なかったミナモも、そう判断していた。
 以上の理由から、波留が久島の義体を操作するのは当然ながらそこにミナモが同席するのも、占拠側としては認めなければならなかった。
 だからレッドもミナモの合流に対して妨害する意志を見せていない。むしろ旧交を深めるのは解放後にして、早くふたり揃って作業をやれと言わんばかりだった。
 波留が覆面のリーダーの意志をそこまで読み取ったのかは謎である。ともかく彼は微笑みを絶やさない。レッドに対してもその態度は変わらず、まるで世間話でもするかのように条件を付け加えた。
「…ああ、義体技師の方をひとり、人質の方々から徴用して下さい。流石に素人の僕だけでは、義体から脳核を露出させるのは不安ですから。僕とミナモさんが同席していたなら、他に人員を追加する事は許可されるはずです」
 その要求もレッドは受け容れる。断る要素を見出せないからだった。ともかくスムーズにこの作業を完結させなければならない。そうしなければ、占拠組としてもこれから動きようがないからだ。
 銃を持つ覆面の男達を前にしても全く臆していない波留に、内心レッドは舌を巻いている。――ここまで神経が図太いとは。統括部長や部長代理に重用されている理由は、技量のみではないと言う事か。
 しかし、その冷静さは、相手をするにやり辛いと言う訳ではない。むしろうろたえた挙句に予想外に激発する可能性がなさそうなだけ、交渉相手としては最適であるようにレッドには思えた。
 無論それは、相手がこちらを出し抜かないと言う条件付きである。この堅気には見えない長い黒髪の男は一見無抵抗に従っているようには見えるが、その腹の中では何を考えているのか知れたものではない。そこまで彼は、目の前のメタルダイバーを信用していない。
 だから、その条件を守り抜くために、彼ら占拠側は多種多様な手段を用意していた。そのいくらかは目敏いダイバーに見抜かれるにせよ、そのどれかひとつだけでも生き残ればどうにかこちらの勝利になるだろう――。
 そんな占拠グループのリーダーの思惑をよそに、ミナモの背後に控えていたブラックが軽く彼女の背中を押した。無言の仕草に、少女は後ろを向く。すると彼は顎をしゃくった。前に行けと指示する。
 その態度に、ミナモは瞳を不安定に揺らめかせた。大きな瞳が僅かに色褪せる。
 が、すぐに眉を寄せた。決意するように力強く頷き、前を向いた。手を掛けていた車椅子の持ち手を、ぎゅっと掴む。そこに腰掛けている義体に一声掛け、一歩を踏み出した。まるで風が吹いたかのように、彼女の髪がふわりと揺れる。
 軋むように車輪が音を立て、床を捉える。彼女の歩みに従い、車椅子がゆっくりと動き始めていた。そこに収まっている人物は何も言わない。只、動かされるに任せている。ミナモは微かに揺れるその頭を見ていた。
 口を結んだミナモが波留やレッドの元に到着するには、十歩も掛からない。彼らふたりに取り囲まれるような位置に車椅子を停車させ、その背後で押してきた彼女もそれに従った。足を止め、俯く。
 そんな少女の隣に波留が立つ。ゆっくりと、しっかりとした足取りを繰り出し、左腕を掴む男の手を振り切った。
 その部下は彼の動きを留めようとしたのだが、レッドの目配せにそれを中断する。調停役としてこの場を訪れた人物のやりたいようにさせる事にした。
 僅かに自由を得た波留は、ミナモの隣に来た。俯いたまま、車椅子の持ち手を強く握り締めているその手を、上から掌で覆った。彼の体温が伝わり、まるで氷が溶けるような心地がミナモにはする。
 そして波留は指を用いて、強張った少女の手を、優しく解いてゆく。その最中、囁くように彼の口から言葉が発せられた。
「――大丈夫です。あなたは僕が必ず守ります」
 その低く優しい響きに、ミナモはぼんやりとした顔を上げた。隣に立つ波留に視線を向ける。そこに波留は微笑んだ。再び口を開く。
「ソウタ君との約束です」
 優しい笑みをミナモに向けたまま、彼はそう付け加えていた。それに、ミナモは何故か頬を紅く染める。何故そんな事になったのか、彼女自身にも良く判っていなかった。
 
[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]