指示を受けているミナモは、その作業に集中している。介助担当としての責務を果たそうとしていた。
 クリーニングから上がったままにクローゼットにしまい込まれていた病院服をそこに戻した。そしてクローゼットの上部に存在する、ハンガーの扉を開けてそこに収まった久島のスーツ一式を取り出す。
 それはここに入院した時のまま放置されていたものなのだが、通常起動している義体には新陳代謝が殆どないために汚れる事もない。ずっと着ていては四肢の動作によって衣服が擦り切れる可能性は残されているが、彼はここに入院して以来病院服ばかりに着替えさせられていた。そもそも四肢を殆ど動かせずに車椅子生活を強いられている設定なのだから、衣服も日常生活で傷める可能性もあまり存在していなかった。
 流石にそのスーツとなると、ボディチェックとばかりに覆面の男がポケットを探ったりもする。何も隠し持てそうにない軽装である病院服ならともかく、きちんとした衣装であるスーツ一式ともなれば警戒されても当然だった。しかもその衣服は、久島永一朗が着慣れたものである。警戒するなと言われる方が無理な相談だった。
 スーツ一式を掛けたいくつかのハンガーをミナモはベッドサイドに置き、それを監視役の男が探っている。ミナモはそれを止めようとはしない。衣服の持ち主たる久島も沈黙を守っていたのだから、彼女自身が口を挟む筋合いではないと思ったからだった。
 それでも、ミナモは口を尖らせる。久島から汗に濡れた病院服を脱がせ、その肌を暖かなお湯で濡らしたタオルで拭き上げてゆく。その介助担当としての仕事をこなしつつ、隣で無遠慮に行われているチェック作業に突っ込みを入れたくてたまらない。
「――あんまり乱暴にしないで下さいよ。立派なスーツなのに、生地が痛んじゃいます」
 そんな少女からの英語での呼び掛けに、監視役の男は思わず手元の作業を止める。そして彼女に顔を向けた。覆面に覆われているために表情は判らないが、そこから醸し出される雰囲気からは、まるで呆れているかのように思われた。今まで怯えて萎縮していた少女が、自分のペースを取り戻しているのだ。意外に豪胆だと思っているのかもしれない。
 ミナモは一言突っ込んだ所で、気が済んだらしい。作業に意識を戻す。脱がせた久島の病院服をそのまま洗濯籠に落とし込み、スーツを着せるべくまずシャツを羽織らせる。綺麗に襟元を引いて整え、ボタンを留めようとした。
 しかし首筋に巻きつくように覆っている金属製のデバイスにはそれなりに厚みがある。そのため、きちんと一番上のボタンから留める事は出来そうになかった。仕方がないので鎖骨の辺りから留める事とする。
 少女の作業に義体は顎を引く。自分が申し出て行われている作業を、黙って見守っていた。そして、唐突に唇が動いた。
「――君は何故、私を庇った?」
「え?」
 突然上から降ってきた静かな問いに、ミナモは手元の作業を止めた。胸元の半ばまで留まったボタンから視線を外し、義体の顔を見上げる。そこには冷静で無表情な顔があった。
「私は言ったはずだ。いざとなったら見捨てろと」
「…そうだけど」
 義体の顔に感情らしきものは全く表れていないが、その台詞を受け止めるミナモとしては、まるで咎められているような気分になってしまう。口篭り、手元に視線を落とした。シャツの胸元にある半透明の白色のボタンを、彼女の指が摘み上げているのを見る。
 そんな彼女の頭上から、淡々とした台詞が降り注いでくる。それは彼女にとっては、追い討ちを掛けてくるような代物だった。
「実際、彼らはプロだ。我々の病室に乱入してきた時点で、私を素直に引き渡せば君には何もしないと言ったではないか。そうすれば今頃には彼らは素直に撤収し、君達人間は解放されていただろうに。しかし現状はこの通り、意味もなくこじれてしまった」
 ミナモは黙り込む。手元の作業すら中断していた。隣でごそごそと行われている監視役によるスーツのチェックが発する音のみが、彼女の耳に届く。
 義体からの指摘は理知的であり、理論としては納得すべきものだった。ミナモもその点は理解していた。だからこそ、彼女は黙り込んでしまっている。
 今思えば、侵入者達が病室に出現する以前――それよりも前に当たるメタルへの通信が遮断される以前から、この久島の義体は異変に気付いていたのだ。だから、ミナモの端末に何らかの小細工を行い、あのような言葉を遺したのだろうと彼女は推測していた。
 メタルすらも落とされていない時点でどうして気付く事が出来たのか、ミナモはそれには不思議に思う。しかしこの「AIさん」は常日頃様々な事をしているのだから、何かの兆候をその時点でも見出したのかもしれないとも思った。彼はミナモには出来ない事を容易くこなす。彼は少女にとってそう言う存在であり、4月以降から彼女の周りに居る人々と同様だった。
 そんな風に、義体からの指摘には頷ける点が多々ある。そこは彼女も認める所である。しかし、彼女が思うのは、そればかりではない。振り切るように少女は再び手元の作業を始める。ボタンを留めてゆく。
 無言を貫き通したミナモの態度に、久島の義体は軽く身じろぎした。眉を寄せ、続けて何かを言おうと唇を開く。
 それを制するようにミナモが言葉を発していた。俯き作業を行うまま、心中を吐露する。
「――…ホロンさん、思い出しちゃったんです」
「ホロン?」
 その名を繰り返し、義体は首を傾げた。一瞬の間を置き、記憶を辿る。
「あの、波留真理をマスターとする、介助用アンドロイドの事か?」
「はい」
 義体は現時点においても、そのアンドロイドの定義を回りくどいもののままとしていた。そして、ミナモはここで顔を上げた。義体に対して大きく頷いてみせる。その表情は、満面の笑みとなっていた。
「ホロンさんも、樹海の森でAIさんみたいに落ちちゃった事があるんです。だからそれ思い出して…AIさんも倒れると思っちゃったら、居てもたっても居られなくなっちゃいました。ごめんなさい」
 ボタンを留めつつも自らの心境を説明する台詞の最後の方では、ミナモが浮かべる笑みは苦笑気味のものとなっていた。そして簡素な謝罪の言葉と共に、軽くぺこりと頭を下げる。
 しかし、少女はすぐに顔を上げる。すっと義体の顔を見やった。その顔からは、笑みが消えている。それは瞬時の変化だった。
 シャツのボタンは全て留め終わっている。ミナモはその体勢のまま、ずいと前に身を乗り出した。義体の顔と自らのそれを突き合わせる。義体の視界には、少女の大きな瞳が入ってきた。そこには必死そうな色が篭っている。
「――でも、私は後悔してないよ。意味がないなんて事、絶対にないもの」
 ミナモはAIの台詞から、その言葉を捕まえていた。――彼女にとって、そのAIを救った事に意味がない訳はなかった。「見捨てろ」などと、とんでもない。どんなに事態が急変しようとも、そこに後悔はない。
 そんな眼前の少女の言動に、義体は戸惑いを見せていた。迫る少女の顔から身体を引く。僅かに背を反らせるようにしつつも、どうにか体勢は崩さない。膝の上に置かれていた両腕がそのまま後ろにずり下がってベッドに触れるが、両手を広げて突く事は出来ずに手首を折り曲げて支えるような状態に陥っていた。
「何故だ。私はAIであり、君達人間に奉仕する存在だ。その私の安全など、必ずしも確保されるべきものではない」
 義体の口から漏れたのは、その大原則だった。それは彼の電脳に刻み込まれた不文律である。それが彼の思考も行動も、全てを支配しているはずだった。
 しかしミナモはそれに首を横に振る。伏し目がちな顔にゆっくりとした動きで彼の言葉を否定し、次いで彼女は瞼を開ける。しっかりと義体を見据え、反駁した。
「でも――あなただって、人だもん」
「…人?」
 その日本語の用法にAIの思考は立ち止まる。何の意味を含ませての言い換えなのか、彼には捉えかねた。
 そこに、ミナモは自らの胸に右手を当てる。義体を覗き込み、訴え掛けた。その顔にはやんわりとした微笑みが浮かんでいる。まるで諭すような印象だった。
「きちんと私と喋って、あの晩では流星見て感動して…いいひとじゃないですか。その辺は、久島さんと同じです」
「違う。私は…――」
 少女の言葉に、義体は尚も反論しようとした。――人工物たる私が、人間と同じ訳がない。ましてやオリジナルの「私」、すなわち私のマスターたる人物と同一視するなど――その言葉が彼の電脳に静かに浮かび上がる。そんな仮定など、彼にとってはあってはならない事だった。
 そんな彼の顔に、ミナモは人差し指を突きつける。彼の言葉を遮った。そしてミナモは左手は腰に当て、身体を起こす。胸を張った体勢で義体を見下ろし、真顔で指摘した。
「そうやって自分で壁作っちゃ駄目ですよ。自分は人間と同じなんだって…そう言う心持ちで居なきゃ」
 その台詞に、義体は両目を丸くした。軽く瞠目し、目の前で立腹している少女を呆気に取られた風に見ている。そして彼は何も言葉を発しない。何を言って良いのか判らない。彼の設定上、思考において結論を導き出していない事は発言出来なかった。
 久島の義体から反論は来ていない。ミナモには彼の内面での事情は全く判らないために、きっと納得してくれたんだと判断した。得心し、満足げに頷く。
 
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