使い慣れた病室は、彼らが拉致された時そのままの様相を保っていた。ベッドサイドのテーブルにはミナモの肩提げ鞄が口を開いたまま置かれており、その傍らには広げられたままの譜面やリコーダーが無造作に転がっている。
 背後には遠慮なく立ち入ってきた銃を持つ覆面の男が存在するが、ミナモの眼前には日常の仕事が広がっていた。それに集中する事にする。
 ひとまず久島のベッドを綺麗に整え、そこに彼を移動させる事にした。服に染み込むまでに汗を掻いているのだから、車椅子のシートも多少は拭こうかと思ったからだった。
 車椅子から移動させるために、ベッドに横付けしてから彼を抱き抱える。いつもの作業であり、彼もミナモに身体を預けてきた。汗を掻いたと言っても義体の分泌物であるから、そこに臭いはない。只、水分に熱を奪われ冷却された体温を、抱き締めたミナモは感じていた。
 ベッドに腰を下ろした久島は、そのまま前屈みに座って黙り込んでいる。ミナモは彼に会釈した後に、部屋に備え付けの流しに向かう。その蛇口を捻ってバケツにお湯を溜め、タオル片手にベッドサイドに戻る。その際に漫然と立っている監視役の男を押し退けるようにしても、彼女は一向に気にしていなかった。
 それからミナモは洗濯籠を持ってくる。そして着替えを探るべく、クローゼットの引き出しを開けた。そこには病院から支給される病院服が何着か収められている。義体とは言え、その辺りは人間の入院患者同様に予備が確保されていた。
 その引き出しから、ミナモは自然に青色の病院服を引き出していく。胸元に抱え込みつつ、引き出しから取り出そうとしていた。そこに、声が掛けられた。
「――それではなく、久島永一朗が着ていたスーツを頼む」
「………え?」
 ミナモは思わず振り返った。遠目に義体を見やる。ベッドには相変わらずの姿勢で久島が腰掛けている。太腿に曲げた肘をだらりと乗せ、顔だけをミナモに向けていた。
「あの晩以来だが」
 そこに、短く付け加えられる。ミナモはその台詞に、該当するその晩の光景を脳裏にまざまざと蘇らせていた。
 すると、自然に微笑みが浮かんでくる。確かにあの晩は、彼女にとっては良い出来事が起こったように思えた。誰にも話していない部分こそあるものの、少なくともこの義体との関係性においては微笑ましい部分が大きかった。
「――はい!」
 笑顔のままに、ミナモは元気一杯に頷いた。それはこの数時間振りの事だった。
 
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