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レッドは波留との会話を隠そうとはしていなかった。その場に居合わせた人々全てに聴こえるように行っている。 しかし波留側の発言は特に音声を再送信したりはしなかったため、レッド自身の言葉に色々と補って解釈しなければならない部分もある。彼としては普通に会話して、それが漏れるに任せただけである。特に声高に聞かせようともしていないし、逆に声を潜めて隠蔽しようともしていなかった。 それは、人質達の間からは電通などの通信手段を奪っている以上、彼らに情報を与える事に対して恐れを抱いていない事が大きい。ならば、ある程度の情報は開示しておいて、「何も知らない」事からの彼らの恐怖を薄めておくべきだとの判断が働いている。 その通信が終わり、レッドは端末を耳元から外した。対話は滞りなく完了し、波留はこの隔離病棟へと独りで出向く事となった。入口には犯人グループの独りが待ち構え、彼に対してメタルへの接続を妨害するためのデバイスを装着させる事まで同意に至っている。 波留は彼らの提示した条件を殆ど全て飲んでいた。強いて言うならば「AIとの通信の必要はあるでしょうから、完全に接続を遮断しないで下さい」と申し出てはいた。それにはレッドも理解を示し、結果的に最小限の転送量を確保するだけの通信は許可するようにデバイスを調整する事となっている。 これによりAIとの接触電通において多少の情報のやり取りは可能となる。しかし大容量の情報の移動は制限されるため、本当に電通したりちょっとしたデータの閲覧程度の事しか許可されない状況だった。 その手の指示を、レッドは部下に出し始めている。手持ちの接続デバイスを取り出して設定などをやらせていた。そして誰を出迎えに行かせるか、その選抜を始めている。結果的にミナモ達から意識が逸れていた。勿論人質達の監視には最低独りは銃を片手に残っており、この隙を突いての暴発は犠牲が出る事は必至だった。 そんな彼らの動きを、ミナモは不安そうに見ている。彼女の方には全く意を介さずに動いている犯人達の背中をじっと見ていた。 そこに、彼女が屈み込んでいる傍らから声がした。 「――…蒼井ミナモ」 それは、か細い声だった。掠れてしまった声が小さく動いた口から響いてきている。その声に気付いたミナモは、慌ててその方を向いた。 ミナモは相変わらず車椅子の元に屈み込んでおり、その車椅子に座っている人物の顔を覗き込む。 そこでは、久島の義体がうっすらと目を開いていた。瞼を押し上げ、ミナモを見下ろしている。義眼特有の深い紫のような青色が、そこに広がっていた。 「…AIさん。起きて大丈夫ですか?」 ミナモは心配そうな表情を浮かべる。ゆっくりと右手を挙げ、彼の頬に触れた。以前よりは血色は取り戻しつつあるようだがやはり顔色は悪いと表現すべき状態であり、実際に少女の掌に感じられる体温はとても低い。 「大丈夫だ。問題はない」 義体の青い唇が震え、僅かに動き、そんな言葉を発した。それは彼が再三ミナモに対して告げている台詞である。しかしミナモとしては、それを言われて大丈夫だと思えた事など一度たりともなかった。今回もそれに当て嵌まる。だから、彼女の顔は一向に晴れない。 久島はそんな彼女の顔を無表情に一瞥する。頬に添えられた手に視線を落とし、次いで彼女の顔そのものを見やった。肘掛けに置かれた手を僅かに動かし、人差し指でその皮張りの肘掛けを叩く。 「それより、汗を掻いた。着替えたい。病室に戻って、手伝ってくれ」 何気ない口調で発せられたその久島の台詞に、ミナモはきょとんとした。何を言われたのか、一瞬理解しかねる。口からその心境がそのままついて出て来た。 「――え、でも…」 ここに来ての唐突な介助依頼に、ミナモは戸惑っていた。思わずその義体の身体を上から下に、視線を走査して見やる。 すると、確かに病院服のあちこちが湿っており、深い青へと変化していた。汗が溜まるような場所ばかりに色合いの変化が現れており、染み込む様に広がっている。この状態では不快かもしれないと、ミナモは人間である自分の感覚に照らし合わせて考えていた。 その心境は理解出来る。しかしそれを実行出来るかと問われると、話はまた違ってくる。今の状況はミナモ自身がどうにか出来るようなものではない。眉を寄せ、立ち上がる。視線の先に居るレッド達を見た。 「彼らは構うまい」 少女の視線に気付いたらしく、義体は事も無げにそう言った。それに、ミナモは困ってしまう。 しかし介助対象者から求められた以上、依頼を受けている立場としては動かざるを得ない。ミナモはレッドに対して挙手し、その旨を告げた。多少の気後れはあるものの、彼女にとっては依頼された事であり当然行うべき事でもある。それをレッドに対してどうにか突き付けてみせた。 彼女からの申し出に、さしものリーダーも若干呆れたような顔になってしまう。もっとも覆面を被っているのだから、ミナモ達には一切その表情は見えていない。しかし、彼が醸し出す雰囲気から、ミナモにも彼の心境は何処となく悟る事は可能だった。 ――この期に及んで、着替える?人間じゃあるまいに…人間であるこのお嬢さんに迷惑を掛けるとは、我儘な事を言う奴だ。そんな事を思い、レッドはミナモの隣に居る久島に無遠慮な視線を投げかけた。 そんな彼を見る事もせず、俯いたまま久島の義体は淡々と言う。疲れたような、投げ槍なような言葉だった。 「どうせ波留真理が来るまで、事態は何も動かないのだ。私が何をしようとも、捨て置けば良かろう」 「我々には彼を受け容れる準備と言うものがある。この場から動いて貰っては、お前の監視のためにその人員を割かなければならない。勝手な事をされては困る」 義体からの申し出とも愚痴ともつかないその台詞を、レッドは交わそうとした。機械体であるAIが不快さを感じるとは思えず、ならばこれもまた駆け引きの一種かと解釈したからである。もっともらしい名目を付け加え、自室に移動する。そうすれば監視の目を分散させる事が可能となり、占拠側に負担を強いる事が出来る――そう言う作戦かと判断したのだ。 「ならば、私にもその準備をさせろ」 この台詞には、レッドは顔を僅かに傾けた。このAIは、一体何を言っているのかと思う。反論する言葉が見付からず、沈黙を続ける。 そのリーダーに対し、久島は顔をゆっくりと上げた。痛め付けられたおかげか、目の下には隈のような陰りが浮かんでいる。そこに唇を歪める。睨み付けるように目を細め、彼は語り始めた。 「死に装束を選ぶ権利位、AIたる私にもあるだろう。仮にも久島永一朗として一般的に認識されているこの義体が、無様に病院服のまま脳核を抜かれ破壊されろと?彼に対する侮辱にも程がある。この、礼儀知らずが」 最後の方には吐き捨てるような口調に陥っている。ともかく義体はそんな事を口走っていた。その態度に、ミナモは驚いたような表情を浮かべている。目を離せないように、口を開けて義体の顔をじっと見つめていた。 その台詞には、レッドも唖然としていた。侮辱だの礼儀知らずだの、AIからそんな風に罵倒されるとは人間の一員として思ってもみなかった。しかも弱っている顔でそんな事を言い出されるのだから、何処か鬼気迫るような印象すら受ける。一瞬、相手がAIである事を忘れてしまった。 だが、視点を変えれば、これは久島永一朗の代弁とも取れる。そこにレッドは気付いた。確かにあの義体そのものを粗末に扱う事は、久島部長への冒涜になるのかもしれない。せめて、みすぼらしい格好だけは止めさせろと――面白い論法を用いてくるAIだと、彼は思った。 結局彼は、ブラックと呼称されているグループの一員を呼びつけた。そしてそのブラックを久島の義体とミナモに付き合わせる。彼らふたりを病室に戻し、着替えさせる事を認めた。 それは、敵味方を問わず人間である者達からは、誰もが意外と認識するような決断だった。何故そのような事をするのか、レッド自身が指摘したように、人員を無駄に割く行為に他ならないと言うのに――仲間達はそう反論したが、レッドは自らの意見を曲げなかったらしい。結局リーダーたる彼の意見がそのまま通り、他のメンバーはそれに従う事となった。 |