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レッドがミナモから借り受けているペーパーインターフェイスが沈黙を破ったのは、昼の3時を回った頃だった。 着信を示す単調な電子音が、彼らが占拠しているメンテナンスルームに響き渡る。壁際に落ち着けられた人質達はその音に一斉に視線を向けてきた。 端末を手にしたレッドは、しばしその音を耳にしたまま端末の画面を眺めている。そこには着信のアニメーションとその相手の名義が表示されていた。 レッドは別の視線を感じ、ふと隣を見やる。そこには、ミナモが大きな瞳で不安そうに見上げている姿があった。彼はその瞳の色に、思わず覆面の下で苦笑を浮かべる。その少女の必死さには、彼は好感と共に憐憫を覚えてしまった。 ――何も出来ない無力な少女か。早く解放してやりたいものだ。そんな事を思いつつ、彼は無言で端末を持ち替えた。ミナモに向かってその画面を見せる。 「…波留さん」 その画面を見たミナモの唇が小さく動き、その名を呟いていた。少女の仕草にレッドは頷く。端末を持ち上げ、耳元に当てた。そしてタッチパネル式のボタンを見ずに操作し、着信音を途切れさせる。 「――初めまして。早速だが、事情はお判りだろう。波留真理」 軽く顔を上げる。レッドはすぐに、端末の向こうに英語でそう告げていた。 その様子に、ミナモは顔を歪める。――来ちゃ駄目だよ、波留さん。彼女の心中にはその台詞が再来していた。しかしそんな事を口にする訳にはいかない。状況を悪化させるような事はしてはならないと、彼女は心に決めていた。 少女の傍らでは、久島の義体が相変わらず目を伏せて沈黙していた。その顔色は僅かに色を取り戻してはいたが、やはり体調が悪いような風貌だった。 ・ ・ 暗い小部屋に詰めて託体ベッド経由でメタルに接続した状態のジャック・シルバーに対し、そんな軽口めいた電通が届いていた。それはジャミングされていない女性の声だった。 彼は自らの電脳内に新たに展開された電通ダイアログを見やる。そこには暗号化された認証コードが表示されている。 ――俺は直接聴いてないから詳しい事は知らないがな。レッドから一斉連絡が来たのはこっちも同じだよ、イエロー。 ――そうか…私が配置されている意味が、これで出てくるって訳か。 状況を楽しむような口調が流暢な英語で示されてくる。それに、シルバーはリアルで眉を寄せた。メタルを操作している状況とは言え、感情が肉体にも表れている。 ――仕掛けるのは現場のレッドから連絡が来てからにしろよ。久島部長の脳核なり情報なりを波留に抜かせてからじゃないと、押し入った俺達としては何にもならないんだから。 少年は電通相手の女性に対し、嗜めるような口調でそう言っていた。現状と彼らの目標とを再確認する意味もある。 彼もその「イエロー」も、レッド達とは違い、現場に出向いていないサポート組だった。その存在は、相手側には可能な限り気取られないようにしている。下手に動いて、実は場にないカードの存在とその内容を知られたくはない。それをシルバーは言いたかった。 そこに、イエローは笑みを含ませた電通を送ってくる。シルバーからの嗜めは、彼女にはあまり意味を成していないらしい。 ――でも、それが終われば彼は用済みだ。人工島を代表する腕利きのメタルダイバーを敵に回したら、その技量を使わせた時点でこちらの負けが確定する。だから出来る限り介入させたくないし、そんな事態に陥ったならばあらゆる手段を用いてでも潰せ――同じメタルダイバーであるお前が、ブリーフィングで言った事だろ? ――まあ…そうだけどな。 シルバーは言葉を濁した。彼の身体を覆うベッドの天蓋の光を瞼の向こうに感じつつ、ぼやくような思考で彼女からの指摘を認めていた。 彼がイエローに告げられた台詞は、真実だった。メタルダイバー波留の危険性を明確にしたのは、このシルバー自身だった。イエローやレッドは、彼の指摘を汲み上げているだけに過ぎない。 ――波留って、全身義体なんだろ? 不意にイエローは話題を変えた。それにシルバーは軽く頷く。彼女の言葉を補足しつつ肯定してゆく。 ――そりゃあ81歳であの姿だ。常識的に考えれば、久島部長同様の手段を用いてるんだろ。 ――なら、無力化するには、やっぱり頭撃ち抜くしかない。義体じゃ身体の何処を撃っても、痛覚切られてたりすれば確実じゃないからな。 イエローからのその台詞に、シルバーは僅かに目を開いた。天蓋の青色が視界を覆う。 狙撃手として雇われている彼女にとってそれは日常であるし、このような犯罪行為の委託を仕事としている彼自身にとっても間接的に良く経験する事だった。それは判っている。 しかし、しばしの沈黙の後に、シルバーは静かに言葉を発していた。それは彼の内心抱えている気持ちが、どうにも纏まりつかない中での告白だった。 ――…殺すのは、厭だな。 直接的な単語を、彼は用いていた。眉を寄せ、起動状態にある天蓋が淡く発する光を顔に当てる。 全身義体化した人間は、普段は「人間」を演じるためにも、人工皮膚にも通された神経が様々な感覚を脳核に伝達するように設定されている。しかし有事ともなれば、その感覚を遮断する事も容易に可能だった。単純化された機能の義体では、神経回路そのものが当初から接続されていないケースもあり得る。 生身の人間ではない以上、義体化部分を撃ち抜いても痛覚に怯むような事態には陥らない可能性がある。そこも、義体化した人間の強みではあった。 そんな彼らを確実に無力化したいのならば、脳核と言う唯一の生身を残している頭部を攻撃する他ない。しかしそれは死に直結する行為だった。殴打する場合も手加減は難しく、何より銃弾で撃ち抜くつもりならば手加減のしようもない。今回、イエローがやろうとしているのは、紛れもなく後者の方法だった。 ――何言ってるんだ。お前の趣味の問題じゃない。こっちが無事に逃げおおせるかどうかが掛かってるんだ。 気が進まない風のシルバーに対し、イエローは心外だと言わんばかりの口調でそう告げていた。 確かに面倒事を避けるためには殺さないに越した事はないのだが、銃を用いる仕事である以上それは絶対ではない。全員の身を守るためには、手を汚さなければならない事もある。なのにそれを貶されたような気がして、彼女としては気分が悪い。 ――まあ、俺の技量があいつに及ばない以上、そうなんだけどさ…。 自分が至らないせいでこんな事になってしまっている。そこはシルバーとしては認める他ない。 そんな風に電通は切れ、彼は再びこの小部屋に独りきりとなる。またソウタの電脳を監視しつつ、待機する事となった。 監視と言えども、相手も「監視されている」事が判っているのに動きを見せる訳もなかった。沈黙している電脳に受動的に仕事関係のメールが着信しても、覗かれていると判っているソウタはそれらを開かず放置している。シルバーはその表題を眺める程度の事しか出来ていなかった。 地味な作業にシルバーは溜息をつく。メタルへの常時接続は人工島の特色でもあるが、こう何時間も接続したままだと電脳が疲れてくる。 ――あー、脳が疲れた。ジュース飲みたい。終わったら買い込もう。 彼はそんな事をぼやきつつ、いつも購入している甘ったるい乳酸飲料の類の味を脳内に再現していた。それは彼にとっては年相応の呟きと言えたが、彼が今やっていたりこれから行われようとしている事とは不釣合いと表現出来るような代物だった。 |