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そこは、暗い一室だった。狭い地下室めいた場所に、彼は一時的に居を構えている。 立ち上がって数歩足を踏み出せばすぐに向かいの壁に至る。その程度の一室にて、彼は託体ベッドに横たわっていた。そのベッドは個人で所有するような簡素なタイプのもので、彼はその天蓋から発せられている淡い光を顔に当てている。 狭く暗い部屋で、光を帯びているのはその付近のみである。彼はその光に銀髪をちらつかせつつ、瞼を伏せていた。現在の彼は現実の世界に視界を持たない。自らの電脳に展開された様々なプログラムやダイアログを注視していた。 ふと、彼は眉を寄せ、意識を集中する。託体ベッドを使用していてもメタルダイブを行っている訳ではない。安定した長時間のメタル接続のために利用している。人工島では基本的に何処に居てもメタルに常時接続出来るが、片手間で接続しないのならば他の地域のように接続環境を整えて本腰を入れる必要があるのだ。 脳内に展開されているダイアログに赤字での警告メッセージが表示されるが、それはすぐに解消される。細く溜息を漏らし、ダイアログに新たな画面が出現した。その少年はそれを眺め、確認する。 ――部長代理の電脳に回線確保。約束通り、彼からは何の妨害もない。 そして彼は別の回線を開き、そう電通を飛ばした。するとそこに認証コードのみのダイアログが展開される。やはりジャミングされたような音声が彼の電脳に響いてきた。 ――カメラからの動画ではどうなっている? 年上の男らしき音声に、少年は電脳内を見つめる目を細めた。彼の電脳としての視界にいくつも展開されているダイアログのひとつに、視線を向ける。そこには動画が投影されており、あまり鮮明ではない画面には白衣を纏った黒髪の若者の姿があった。 ――今、廊下に出てきた。これも約束通りだな。 少年はそう、呟くように電通を飛ばす。彼は画面に映るソウタの姿を見下ろしていた。 彼の眼下では、ソウタは杖をついて歩みを進め、ゆっくりと画面にフレームインしてきていた。その傍らには看護用アンドロイドが付き添い、その責務を果たしている。仮によろけたりした場合にはすぐに彼女がソウタを支える事が出来るような立ち位置を保っていた。 ソウタがソファーに腰を落ち着けると、その公的アンドロイドはそのまま会釈を残して立ち去って行った。ここがメディカルセンターである以上、有り触れた光景ではある。少年はそう判断し、電通に意識を向けた。 ――その監視はそっちの誰かに回したい。俺は彼の電脳を覗くのに集中したいんでね。人間の電脳相手だと、機械相手とは違って操作が難しいからな。負担を減らしたい。 ――判った。カメラの動画は私に回せ。 ――了解。転送するから領域を確保してくれ。 少年はそう指示し、転送を実行した。これで彼の電脳内から監視カメラの機能は切り離される。現在会話しているレッドの電脳に全ての投影を委託した。 一旦システムに侵入した以上、排除されない限りこのまま回線の接続は継続される。クラッカーとしての操作は特に必要とはしていない。レッドにはクラッカーとしての技能は備わっていないため、今の彼に出来る事はその画面を眺めるのみである。しかし動画を電脳内で垂れ流すだけならば、メタル技術者ではなくともそこまで負担にはならなかった。 ――受信した。シルバーは部長代理の電脳の監視に集中を。 ――了解。カメラに不具合が生じたと思われたら、電通をくれ。レッド。 そうして彼らの会話は、無駄話もなく終了した。光芒を残して消失するダイアログを見送り、少年は先程接続したソウタの電脳内の光景を表示している画面に視線を送る。 少年が注視しているその電脳の画面では、メールが執筆されている。色々と考えを纏めながら書いているようでゆっくりとしたペースだが、彼が監視しつつ読むには丁度いいスピードだとも言えた。敢えて気を遣われているのかもしれないと少年は思った。 ソウタが波留に対する連絡のメールを執筆している。そこにはレッドが指示したような事が文章化されており、余計な文言は含まれていないと彼は判断した。それでも一応は連絡を入れておくべきだと思い、そのスクリーンショットをそのままレッドに送信する。 ジャック・シルバーの現在は、そう言う仕事を行っていた。現状において、多少の計画の変更は成されているものの、軌道修正は上手く行っているように彼には思える。しかし彼はあくまでも道具である。彼は自身にそう在る事を課し、余計な事は考えない事にした。 ――只でさえ、接触したくもなかった化け物が、現場に向かっているのだから。 そこに緊張がないと言えば、彼とすれば嘘になる。彼は、同じメタルダイバーとして、その人物の恐ろしさを良く理解していた。ましてや、同じ仕事をこなした間柄でもある。自分にはそこまでの技量はない――それが明白な相手だった。シルバーとしては、まともにやり合いたくはない。 その緊張は、メタルダイバーではないレッド達他の仲間にも伝播していた。出来る限り介入を許したくない相手だと、計画立案の時点でも、シルバーはその人物を名指ししたのである。 ――上手くやってくれよ。レッド、ブラック、ブルー、グリーン、そして…――。 彼は脳内にて、名乗るカラーコードと共に、その同僚達の顔を羅列していた。 |