そこに、波留は軽く手を打ち合わせた。表情から微笑みが消える。交流を深め合っている間柄としての会話を打ち切るような素振りを見せた。
 波留のその態度に、ソウタも顔を上げる。口許から笑みが消失してゆく。軽く頷き、波留の台詞を促した。
「――現在の事情は大体判りました。それで、これからどうしましょうか」
 明快な口調で、波留はその議題を提示してきた。これこそが彼らが詰めなければならない話だった。セキュリティと犯人を欺いて折角作り出した時間である。これから波留が出向くにせよ、その方針をここで話し合って決定し、ふたりで合意に至っておくべきだった。
 ソウタは出来る限り早く、廊下に姿を現して監視下に置かれなければならない。更に、電脳への侵入を許す羽目にもなっている。ソウタ自身もある意味人質状態に置かれている以上、ここでの密談にはあまり時間を掛けていられなかった。
「やはり、電理研と評議会に通報しますか?」
「いえ…それは止めておきます。不用意に介入されたくない」
 波留からの持ちかけに、ソウタはそう答えていた。レッドからの提示に追随した形となっている。しかし、彼がそれに屈しているのは、犯人からの命令ばかりではない。
 現状は内輪の少数の人間による処理だから、まだ直線的なやり取りとなっている。その内部の人間の間では情報の開示が行われ、非常にやり取りがやり易い。
 そこに公的機関が介入してくるとなると、事情を知らない人間が大量に介在する事になる。そこには様々な人間の思惑が乱れ飛ぶ事になるだろう。
 そうなってしまえば、いくら人質達の重大な関係者であり電理研統括部長代理たるソウタであっても、その全てを把握する事は不可能である。
 ましてや現在の彼は、犯人グループに監視される対象となっている。そんな彼では情報漏洩の恐れがあるため、捜査陣は彼を出来る限り捜査情報から遠ざけようとするだろう。妹と父と、何より尊敬する「先生」が人質に取られていると言うのに、自分が蚊帳の外に置かれるなど、彼には耐え切れそうになかった。
「――…まあ、そうですね。少なくとも評議会が絡むとなると、特殊部隊を投入して人質を見殺しにしてでも久島の脳核を奪還するか、それとも逆に人質の人権を無視出来ずに久島の脳核を引き渡してしまうか――この2派で揉めて、会議が踊るでしょうね。結果、判断が遅れてしまいかねない」
 黙り込んでいるソウタを前にして、波留は常識的かつ一般的な意見を述べていた。肉親の情で想いが揺れているソウタに対し、出来る限り私情を排した台詞である。腕を組み、真顔で続ける。
「そしておそらく、犯人側もそれを嫌っている。彼らも出来る限り早く撤収したいでしょうから。それが叶わないとなると、最悪の手段も辞さないでしょう」
 最悪の手段――それこそ、ソウタには考えたくない事だった。尊敬する師ばかりか、肉親をふたり失うかもしれないのである。しかも彼にはそれを阻止出来るだけの地位を保持している。なのにその可能性に至ってしまったなら、不在の母にどう申し開けば良いのか。
 ソウタはその地位をかなぐり捨ててでも、そればかりは回避したかった。彼にとって守るべきは肉親達であり、自分や人工島の名誉などではなかった。
 おそらくはソウタのそう言う立場を判っていて、犯人グループは彼にかなりの無理を強いているのだろう。血縁は何よりも濃い関係であるのだから。そしてそこを利用されている事をソウタ自身も理解している。しかし、だからと言って、それに抵抗する気力は全くなかった。
 波留の口調は淡々としている。しかし、その組んだ腕を押さえている指は、添えられた二の腕にゆっくりと食い込んでいる。彼の今日の服装はいつものように青い長袖シャツとインディゴブルーのジーンズだったが、その服の上から指が強く握られていた。
 ソウタもそれに気付いた。そこに、一見冷静さを保っている年上の青年の心情を垣間見る事が出来た。――波留さんも、俺と同じ苦境に立たされている。それを思うと、自らの苦しみも僅かに緩和されたような気がした。
「しかし、僕らもそれを望まない。その一点において、僕らは彼らと同一の望みを抱えている。そこに、絶対に、落とし所はあるはずです」
 鍛え抜かれて硬いはずの、自らの腕の筋肉に食い込む指が白くなっている。それが青い長袖シャツの生地に映える。腕にも指にも、余程強い力が込められているのだろう。
 自分の事ながらそれらに全く意を介さず、波留はそう断言していた。彼としては、そう信じたかったのかもしれない。そこには願望が含まれている事を、否定はしなかった。
 しかし、やはり真実も含まれているはずだった。そうでなければ犯人側も面倒な交渉など行わないだろう。
 彼の言葉に、ソウタも力強く頷いた。そこを認めなければ、彼としても監視対象に置かれるのは無駄足である。これから波留に交渉を任せるに当たり、そこを同意しておきたかった。
「――評議会を通さないにせよ、タカナミさんには個人的に連絡しますか?」
 その点については合意に至った後、波留から更なる提案がなされる。ある程度の親しげな響きと共に、その女性の名を挙げた。
 エリカ・パトリシア・タカナミとは、評議会書記長の地位に収まっている、人工島が誇る女傑である。
 7月のテロとそれに続く気象分子プラント問題において、3巨頭と謳われた3人の支配者の中で彼女のみが瑕を負わずにその地位にあり続けている。「人工島の神々」の御座に名を連ねるにあたって、唯一経歴にも年齢にも若干の未熟さがあったからこそ、彼女は今尚健在なのかもしれない。
 9月以降の新体制において、彼女は現在の人工島を背負って立つ代表者となっていた。立場上は三権分立めいた状況は変化していないにせよ、他者は新体制により入れ替えられた者達である。以前から確保されている彼女の権力が、そこに頭ひとつ秀でていた。
 波留達にとって、彼女はあの7月の騒動において味方だった。当初は電理研統括部長たる久島の政敵に違いなかったが、遅くはない段階で彼の推論を受け容れ、人工島を救う措置を取ろうとした。それが彼女を政治的な立場上において一時的に追い詰める事となったが、最終的には久島の推論が現実のものとして証明されたために自動的に彼女の選択の正しさも社会に認められる結果となった。
 それ以降は、特に波留やソウタとは盟友としての位置を保ってはいない。しかし、繋ぎがある事は確かだった。久島の脳核を奪取されようとしているのだから、これもある意味人工島の危機ではある。彼女とまた協力関係を築けば、選択肢も増えるのではないか――波留はそう考え、ソウタに提案した。
 しかしそれにソウタは首を横に振る。伏し目がちに口を開いた。
「…いや、それも止めておきます。公人としての彼女に迷惑が掛かりかねない。俺達に何かあった場合、彼女まで巻き込んでしまいます」
 そのソウタの意見には、タカナミを気遣う一面とはまた別の意図が存在する。彼女を危険に晒したくない意志も確かに持ってはいたが、若き権力者はそれ以上の事も考慮していた。
 自分達を庇ってくれるかもしれない味方は、また別の方向に保持しておくべきだろう。全てを巻き込んだ末に、一網打尽にされては意味がないのだ。電理研統括部長代理は政治的に思考を巡らせた末、その考えに至っていた。
 ――果たしてまた、彼女が味方に回ってくれるのか。それは積み重ねてきた信頼に委ねる事になるのだが。ソウタとしては、半々と言う印象だった。しかしカードの枚数は増やしておくに越した事はない。
「そうですね。拙速でした」
 ソウタの答えに、波留は素直に謝罪した。政治面では、ソウタに一日の長があるようだった。
 そして彼らは手短に今後の方針を話し合ってゆく。一旦流れが確定した以上、彼らの会話は素早かった。統括部長代理と電理研委託メタルダイバーの事実上のトップに立っている人間との会話である。その地位に似合っただけの肝が据わっており、行動力も持ち合わせていた。
「――願わくば、レッドとか名乗ったあの犯人の言うように、良い結末を迎えたいものです」
 微笑んで波留は最後にそう言った。ソウタもそれに頷く。
 その「良い結末」とは、果たして彼らと犯人とで、互いに同じ未来を見据えているのか。それは、敢えて指摘しない。それもまた、ふたりの無言の合意だった。
 波留はガラス壁の向こう、メンテナンスルーム内の処置室に視線を向けている。
 
[next][back]

[RD2ndS top] [RD top] [SITE top]