――ともかくこの場には、人質が揃っている。我々は目的さえ達すれば、彼らに危害を加えない事を、あなたに約束しよう。
 ソウタの思いをよそに、レッドはそう宣誓した。交換条件めいたものを提示してくる。そして、更に言葉を継いだ。
 ――だから、あなたも余計な事をするな。
 強い口調めいた電通に、ソウタは口を結ぶ。彼は簡潔に問い掛けた。レッドの言わんとする要求を、彼なりに補強してみせた。
 ――…電理研や評議会に、通報するなと?
 ――具体的に言うならば、そう言う事だ。我々の元には波留真理さえ来てくれたら、それでいい。
 それは通告だった。明確に要求を打ち出し、それ以上の譲歩をするつもりはない。レッドはその態度を鮮明にする。
 ――判った。波留さんにだけ連絡する。メールでいいか?
 ソウタはひとまずそれを承諾した。確かに、そもそもの久島の治療が極秘裏に進められているプロジェクトである以上、公権力の介入は彼にとってもあまり好ましい事とは思えなかった。秘密を守るためには、関わる人間の数を出来る限り減らすべきである。その病棟の原則を、今も彼は適用しようと考えた。
 ――手段は構わないが、我々も暇ではない。彼への連絡は早急にお願いしたい。
 ソウタの申し出を、レッドも承諾した。とは言え通報するなと言われて本当にしないままで終わらせるかどうかは、一般論としても確率は半々と言った所だろう。だから彼は、更にソウタに申し入れを行う。
 ――残念ながら、我々はあなたを無条件で信頼出来るような関係を築いていない。だから、通報に対する対策を取らせて貰ってもいいか?
 その申し入れは、ソウタにとっても予測出来るような事だった。何の手段も持ち合わせていない事もあるだろうが、そうではない用意周到な犯人である可能性もあった。だから、何らかの保険を掛けられる覚悟はあった。
 ――私に何をさせたい?
 ひとまずソウタはそう問い掛ける。すると、レッドは事も無げな口調で電通を送ってきた。
 ――ちょっと電脳にスペースを借して欲しい。我々のメタルダイバーが、あなたの電脳を覗き見る。
 ――…おい、それは。
 流石にこれには、ソウタも言葉を詰まらせる。部長代理の任に就く以前には、彼はそれこそこのような連中に対する荒事にも対応していた。だから多少の脅しには慣れているつもりだった。脅しを全て受け容れるのは勿論、全て拒否しても交渉は進まない。自分に大した危害が加わらない案件に関しては譲歩も考慮するのが、ブラックやグレーゾーンの交渉事の原則だった。
 しかし、この「対策」には抵抗せざるを得ない。
 ソウタにとって、これは拒否すべき申し出だった。何せ彼は電理研統括部長代理と言う身分である。その電脳には人工島の最高機密に触れた記憶が残っており、それを読み取られてはまた別の問題が浮上してしまう。それは、今回の人質事件と引き換えにしてもいいものか。彼には苦渋の選択を迫られていた。
 そこに、レッドは淡々と申し入れてくる。
 ――深い領域はチェックしないから安心して欲しい。そこまで潜ると、こちらの逆探知の恐れも増すからな。あなたが行う電通や着信してきたメールなど、あなたが電脳を操作して能動的に感じるものを只見物するだけだ。余計な相手とやり取りしたり、波留真理に余計な事を伝えさせないためにな。
 ソウタはその台詞に、思わず舌打ちする。当初の申し入れから条件を緩和し、一見楽な方法に見せかける。しかしそれは結局、彼の電脳をクラックさせろという申し出には違いなかった。
 確かに能動的に電脳を動作させなければ、思考などを読まれるまでの深度までクラックはしないのだろう。レッドが危惧するように、あまりに深く電脳に接続すれば、それだけクラッカーの手掛かりを残す事にもなるからだ。
 そうなればソウタを助けるであろうメタルダイバーに逆探知を掛けられ、彼らの正体も割れる可能性が増す。そしてメタルダイバーの電脳から情報を抜かれたなら、他の犯人への繋がりも読み取られるだろう。この周到な犯人グループがその危険を冒すとは思えなかった。
 が、これを受け容れたなら、ソウタは実質的に電通を封じられ、まともなメールも書けなくなる。もし本当に電理研から緊急のメールが届いても、閲覧しては犯人側にもその情報が流れてしまう。部長代理としての通常業務を行えるかも怪しかった。
 彼はそっと隣を眺めた。すると、波留がそこで頷いていた。同じ位の背の高さである波留は、ソウタに自然に視線を合わせている。その瞳には全幅の信頼を感じさせていた。
 ――…判った。回線を空けてやるから、そのクラッカーに間借りしに来いと伝えろ。
 ――ありがとう、部長代理。
 ある程度の長考の後、ソウタは軽度のクラックを受け容れる旨を申し送り、レッドはその判断に礼を述べた。そのあまりに素直な礼の言葉にソウタは相手側の余裕を感じ、若干の苛立ちを感じる。しかし人質を取られている以上、妙な言動は行えないと自重した。
 ソウタは改めてカメラを見やる。動かない右足でも杖の補助を用いてバランスを取り、真っ直ぐに立つ。そのレンズに向かって宣言した。
 ――それじゃ、メンテナンスルームに戻っても構わないか?この交渉が極秘である以上、あまり席を外すと中の技師達に怪しまれる。そこから異変が嗅ぎ取られて通報されたら、お前も厭だろ。
 ソウタからのその指摘にも、レッドは大した反応を見せない。淡々と会話を交わしてきた。
 ――中に一旦戻って構わないが、そのうちにまた部屋の外のこの場所に来て欲しい。あなたの様子は逐一カメラで見物させて貰う。
 ソウタは今度は内心で舌打ちをした。この犯人達はソウタの電脳ばかりか、カメラを用いてリアルの身体すら監視下に置きたいらしい。どうやら自分の挙動不審さを第三者に晒す事で通報を促すように仕向けるのは、難しいようだと彼は悟る。
 自身が相当な権力の持ち主である以上、自由に動かれては困るか。だから俺の動きを出来る限りの手段で封じようとするのか――ソウタはそれを自覚する。
 ――それでは良い結末にならん事を、互いに祈ろう。
 そこで電通ダイアログは相手側から閉じられる。ミナモの携帯端末の認証コードを掲げていたそのダイアログは、一条の光を発して消滅した。
 ぶつりと言う電子音を、ソウタは耳元に感じ取っていた。そして彼の聴覚には沈黙が訪れる。それに彼は口許を歪め、カメラを睨み付けた。苦々しい表情を浮かべてみせる。
 ふと、彼の左手から、触れていた指の感覚が離れてゆく。視線のみを手元に寄越すと、波留がその手を離していた。自らの方に手を引き寄せ、その指先を見ている。
 そして波留はソウタを見た。軽く頷き、ソウタから一歩引く。杖をつく部長代理の邪魔にならないように、彼は道を空けていた。
 それをソウタも理解する。杖の向きを変え、彼はその場でゆっくりと後ろを向く。そのまま一歩を踏み出し、カメラに背を向けた。メンテナンスルームへ入る扉へと歩みを進めてゆく。
 彼のその背中を、波留は静かに追う。ソウタが扉の前に立ち、コンソールに手をかざすと、扉が自動的に開く。ソウタがそこにゆっくりを歩いてゆく。そしてその直後に、波留も身体を滑り込ませた。
 彼らふたりを受け容れ、メンテナンスルームの扉は再び自動的にスライドして閉まった。天井の監視カメラはその様子を淡々と撮影していたが、そのレンズには今は厚い扉のみが映し出されている。
 
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