プライバシーは確保されるべきではあるが、それを出来る限り冒さないように配慮しつつも同時にセキュリティも確保されなければならない。現代社会とはそう言うものだった。
 廊下に出たソウタは、意識して天井を見やった。そしてそこにある目立たない形式の監視カメラに気付き、そのレンズを見上げる。杖をつく位置を変えつつ、そのカメラに対して真正面に向き直っていた。
 ――…ああ。これであなたの姿を確認出来た。改めて初めまして、統括部長代理。
 ソウタの電脳に、先程からのジャミングされたような声が響いてくる。その余裕が含まれた冗談めいた口調に、ソウタは眉を寄せた。まるでそのカメラのレンズが相手の顔であるかのように、睨み付ける。
 彼は右手で杖をつき、脇に挟んで身体を支えている。そして左手はさり気なく身体の脇に添えるように伸ばしている。その手を、波留がやんわりと触れていた。掌にその指の感触を、ソウタは確かに感じている。
 ――と言っても、私にはお前の顔は見えないんだがな…。
 ぼやくような電通をソウタが飛ばすと、相手は笑い声を電通に乗せてきた。ソウタはその態度に、若干の苛立たしさを覚える。おそらくは憮然としたその表情を、相手側はカメラ越しに楽しんでいるのだろうと彼は思う。
 が、確実に相手側の様子がおかしい事にも、ソウタは気付いていた。
 正確に言うならば、おかしいというより、気付いて居ないのである。
 ソウタの隣には確かに波留が立っている。それは、先程彼らが指名してきたその人物であり、ソウタが「居ない」と告げたその当人である。
 しかし、レッドと名乗る電通者は、ソウタ以外の人間が傍にいる事を一切指摘してこない。もしかしたら波留の容貌を知らないまま彼を呼び出そうとしているのかもしれないが、それにしてもソウタの隣に不審な人間が居れば誰何してきて当然だろう。
 それをしてこないのだから、やはり波留は先程のやり取りの間に、セキュリティシステムに何かを仕込んだのだ。プログラムを流し込んだと言う話だから、カメラに何らかの細工をしたと思われる。電理研派生の強固なセキュリティシステムそのものと、そこに侵入したとおぼしきこの犯人グループのクラッカー双方を欺いているのだから、この人はやはり大したものだとソウタは感嘆の念を覚えた。
 しかしソウタは、それを思考には一切見せないようにする。幸い、現在の彼の立場は「正体不明のグループに脅されている交渉相手」である。多少の動揺を見せても、そう言う立場がカモフラージュしてくれるはずだった。
 ――それで、私に何をしろと?波留さんを呼び出せばいいのか?
 ――あなたにはそれをお願いしたい。公人の電理研統括部長代理としてでも構わないし、私人の蒼井ソウタとしてでも構わない。どちらにせよ、蒼井ミナモに電通するように彼には伝えて欲しい。
 レッドは淡々とした口調ではあるが、確実に要求を伝えてくる。そして彼の台詞の中には、ある程度の情報が含まれていた。ソウタはそれを把握してゆく。相手が何を何処まで知っているのか、全ての言葉を手掛かりにしようとする。
 ――つまり、お前が今使っているその端末に対してか。
 ――その通り。
 簡潔な返答に、ソウタは頷く。そして左手の掌に触れる波留の指を感じていた。動揺する心は、その感触によってどうにか繋ぎ止められている。自分の傍には信頼する仲間が居ると信じている。
 それを思いつつ、彼も相手側に仕掛ける。直接会話している立場なのだから、それを生かして情報を引き出そうとした。指名されてこれから巻き込まれるであろう波留のためにも、自分に可能なサポートを繰り広げるつもりだった。
 ――お前、波留さんに何をさせたいんだ?まさか波留さんと繋ぎを取るためだけに、久島部長とミナモと私の父を含めたスタッフとを人質にとってその隔離病棟を占拠している訳じゃないだろう。
 そこに、敢えてソウタは細々と説明を加えていた。人質となっている人間達の中から、具体的な人名を並べた。電通を横流しにしている波留に、現状を把握させるためである。
 ソウタは食って掛かるように天井のカメラを睨んでいたが、自然に伸ばしておいた左手に触れる指が強張るのを感じた。おそらく波留は、その事実を知って何かを思ったのだろう。
 しかしソウタはそちらに一瞥をくれる事はしない。カメラの解像度がどれ程のものか判らない以上、下手な視線移動は相手側に余計な情報を与える結果になりかねなかったからである。年上の友人に申し訳ないと思いつつ、ソウタは電通の相手に意識を向けていた。
 レッドはソウタの問いに、沈黙した。僅かに考え込むような思考を垣間見せる。しかし、すぐに声が届いてくる。
 ――そうだな…あなたには伝えておくべきだな。余計な事をされたくない。
 その声の後、ソウタは隣で微かな衣擦れの音を聴いた。どうやら隣の波留が姿勢を正したらしい。彼もまた、カメラを睨むように見上げているようだった。彼には相手の姿が見えないどころか彼自身の姿も相手には伝わっていないにせよ、そのカメラを顔の代わりと捉えた態度を見せる。
 ソウタもカメラに向き直った。彼の場合は相手に姿を監視されている以上、しっかりと聴いているとのアピールを行ったつもりだった。
 ――久島部長の脳核と、彼が保持する知識と記憶を奪取するために、我々はこの病棟を占拠した。
 その宣言に、ソウタは軽く身じろぎした。目を見開く。息を飲み、表情には動揺が浮かぶ。杖を掴む右手に力が篭もり、音を立てた。軽く左足が一歩後ずさる。
 それは彼にとっては予想の範疇だった。久島の脳核とはそれだけの価値が見出されるような宝である。だからこそ、その意識を回復させるべく彼も電理研や評議会の決議を追認したのだ。彼らもまた、この犯人グループ同様にその宝を手中に収めたいのだ。彼らの立場の違いは、法的手続きを取るかどうか、それだけだった。
 それでもソウタには動揺が訪れる。後ずさった拍子に、ソウタは隣の波留に視線が行く。その瞬間、彼は何とも言えない感覚を覚えた。波留の顔からは、一切の表情が掻き消えていた。しかしそこには、とてつもなく冷たい空気を感じ取ったのだ。
 しかしソウタはすぐに隣から視線を外し、正面を向く。カメラで監視されている以上、「そこに居ないはずの波留」に何時までも気を取られている訳にはいかないと我に帰ったのだ。
 崩したバランスを保とうとする動きに、自然に視線移動を組み込む。相手側に気取られないように心掛けた。そんな彼の電脳に、レッドからの電通が届く。
 ――しかしその目的を達成するに当たり、問題が生じたため、それを波留真理に解決して貰いたい。
 ――…波留さんに?メタルダイバーなら他にも適任者が居るが?
 ソウタの電通には怪訝そうな響きが含まれていた。確かに波留はトップクラスのメタルダイバーではある。もし久島の脳核を奪取したいのならば、それはメタル操作の技能を必要とするかもしれない。ならば波留のその高い能力を求められる可能性はあった。
 しかし、その場合なら、レベルの高いメタルダイバーを寄越せと言えばいいのである。彼らは現在、その個人をわざわざ指名している。メタルダイバーとして波留の名が知れているかそうでないのかはソウタには判らないが、個人名を出してきた以上、そこに他の含みを感じ取っていた。彼としては、そこに探りを入れたい。
 そこに、再び沈黙が訪れている。しかしそれも長くは続かず、レッドは電通を再会する。
 ――久島部長の記憶を引き継いでいるとか言う、AIからの指示だ。我々にはその真意は判らない。
 届いた言葉にソウタは口篭った。眉を寄せる。
 そのAIの存在は、人工島におけるトップシークレットのはずだった。この犯人は、一体何処まで把握しているのかと思う。何せ隔離病棟にて久島部長が入院している事実すら、一般的には知らされていなかったのだ。その情報収集能力を侮ってはならないと言う事かと、ソウタは判断する。
 或いは、AI自身が名乗り出なくては事態の収拾がつかなかったのか――AIの存在が明らかになった件については、その可能性も考えられる。何にせよ、あまり良くない状況だった。後々の情報操作も考慮する必要もあった。
 にしても、AIが何故波留を指名してきたのか。久島当人が地球律の推論を伝える人員に波留が含まれていたのは事実だが、それは波留のみではなかった。ソウタ自身もそこに名を連ねていたのである。なのに、今回に限っては波留のみらしい。少なくともこのレッドはソウタを自分たちの元に呼ぼうとはしていない。
 それも、ソウタには理解出来なかった。現在の自分はかなりの地位にあるとは言え、判らない事はいくらでもあるらしい。そんな事を思った。
 
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