電理研付属メディカルセンターで取り扱われるのは、人間の患者のみではない。場合によっては義体やアンドロイドのメンテナンスも行われる。
 無論、人間のための義体はともかく、完全なる機械体であるアンドロイドのメンテナンスについて、このメディカルセンターを選択肢とするマスターは、圧倒的と言う訳ではない。様々な開発業者や修理工場などがその業務を委託出来るからである。同じような治療行為であっても、人権が関わる人間と、単なる動産に過ぎないアンドロイドとの差がそこにはある。
 ホロンと呼称されるそのアンドロイドが、今日このメディカルセンター本棟の地下に設置されているメンテナンスセンター入りしているのは、彼女が電理研の所有物であると言う事情が大きく寄与している。電理研所属のアンドロイドなのだから、電理研付属の施設でメンテナンスを受けるのは当然の話だった。
 更に言うならば、現在の彼女の実質的なマスターは、電理研統括部長代理の任に就いている蒼井ソウタである。彼女はソウタの元で秘書としての任務を与えられており、電理研の様々な機密に触れている立場だった。
 彼女自身がその機密情報を漏らす事は、アンドロイドの設定としてあり得ない。しかし彼女をメンテナンスする技師がその気を起こせば、情報を漏洩する事は可能であった。そう言う事情からも、電理研所属の施設でメンテナンスを行う必要があるのだ。
 現在のホロンは、メンテナンスルームの奥にある処置室の装置に収まっている。彼女は座席状の装置に繋がれて、ケーブルを各所に差し込まれてデータを出力されている。その傍らには治療用の託体ベッドも置かれているが、現在は誰も接続していない。
 そんな作業を機材の傍でチェックしているのは、ひとりの義体技師とその補佐を行う看護用アンドロイドだった。この施設も電理研所属なのだから、そこに配備されている公的アンドロイドもやはり「タイプ・ホロン」である。看護士としての制服を纏っている以外は、ホロンとほぼ同様の容貌だった。
 メンテナンスルーム内で、処置室はガラス状の壁面で区切られていて、そのガラス越しにソウタはホロンを見守っている。
 その隣には波留が立ち、彼も興味深そうにガラスの向こうを見やっていた。波留はホロンの形式的なマスターである。そのために法的には彼が、義体技師にホロンのメンテナンスを委託している立場を取っていた。
 この義体技師は波留からメンテナンスの委託をされている。しかし今回のメンテナンスは、アンドロイドとしての設定のかなり細部に踏み込むものとなっていた。だから、マスターからの許可を逐一取らなくてはならない。或いは、実際にホロンを使役しているソウタからの指示を仰がなくてはならなかった。
 設定上のマスターがその地位を委譲しないままに他者に仕えるようにアンドロイドに命令し、アンドロイドはその命令に従っている。彼らの関係は設定上非常にややこしい状況になっているのだが、彼としては部長代理相手の仕事なのだから、そこを堪えなければならない。きっと様々な事情があるのだろう――そう考えて、ある種の思考停止に陥る事が最適であるように思われ、それを実行していた。
 そんな作業を着実に行う中、ソウタの電脳に電通が着信していた。
 電脳化している人間に電通が届いても、第三者には判り辛い。若干視線が泳いだり、外見的には沈黙が続いたりする事により「メタルを使用している」と言う事を悟る事は出来る。しかしそれだけであり、実際にメタルを用いて何をしているのかまではなかなか理解出来ない。
 だからソウタは片手を挙げ、電通が来た旨を波留と技師に伝えた。会釈し、その場から席を外そうとガラス壁から身を引いた。
「――お仕事でしょうか?」
 そんな彼に、波留が心配そうにそう問い掛けてくる。確かに電理研には秘書のホロンも居ないのだから、ソウタ宛に直に緊急の連絡が届いてもおかしい話ではない。実際に緊急の案件についてはそうするように指示を出していた。
「いえ…ミナモからです」
 しかしソウタは電脳に上がってきた電通ダイアログに表記された名を見て、そのまま波留に伝えていた。
 彼の妹である蒼井ミナモは未電脳化者であり、彼女からの電通は固有のペーパーインターフェイスを用いられている。そのために携帯端末固有の認証コードから彼女からの電通とは判るのだが、電脳化している者との電通とは異なり顔写真や動画アバターなどが表示されるような事はなかった。ダイアログには単に登録名が表記されたのみであり、電子音が彼の聴覚に響いて呼び出してくる。
 ともかく、彼は妹と普通に電通を交わす関係である。そしてその時間帯は様々であり、今日のような仕事中の時間帯であってもお構いなしだった。特にここ最近は色々と状況が変化しており、連絡を寄越して来る時間帯をあまり意識していない。何かあったらすぐ連絡しろ――そう言い含めてあるからだ。
 ソウタは数度のコールを経て、電通の受信ダイアログを開いた。いつものように妹に対して思考を向ける。そうする事で、ミナモのペーパーインターフェイス側には彼の登録名が受信され表示されているはずだった。
 しかし、ソウタが思考を発しても、相手側からすぐに返答が来なかった。彼の電脳に一瞬の沈黙が降りる。
 ――…ミナモ?
 それでもソウタは、然程不思議には思わなかった。ミナモは彼とは違い、電脳に直接声が響く訳ではない。道具を介しての電通になるため、何らかのタイムラグが生じる事は珍しくはなかった。だから今回もそんな事態なのだろうと判断する。もう一度呼び掛ける。
 その直後、そんな彼の電脳に届いた声は、聴き慣れた妹のものではなく、そもそも日本語でもなかった。
 ――…電理研統括部長代理の蒼井ソウタか。
 その声に、ソウタは瞠目する。一体何が起こっているのか理解出来なかった。思わず耳元を押さえる。電脳にノイズでも生じているかのように、意識を集中しようとしていた。
 しかしそう言う問題でもない事に、彼はすぐに想いが至る。ふと視線を上げると、傍に立つ波留が怪訝そうな表情を浮かべている姿が目に入った。どうやら自分は顔に今の心境を映し出しているらしい――波留の表情から、ソウタはそう思った。
「ソウタ君?」
 問いかけようとする波留の声に、ソウタは空いている左手を上げた。制止するように掌を広げ、胸の前で波留に対して意志表示をしてみせる。声を発しない。只、電脳内で思考を走らせた。
 ――…誰だ、あんた。ミナモはどうした?
 ソウタのルーツは日本である。しかし彼自身は人工島生まれであり、日本本国の土を踏んだ事は22年の人生のうちで未だにない。
 そしてソウタはその頭脳から、かなり高水準の教育を受けてきている。だからこそ彼は統括部長久島永一朗に個人的に雇用され、結果的に現在は統括部長代理の座に収まっていた。そのため、彼は人工島の公用語たるふたつの言語を操る事が、ごく自然に出来ていた。相手が繰り出してきた言語に対応し、それなりに流暢な英語で思考を飛ばす。
 ――ごきげんよう、部長代理。私はレッドとでも呼んでくれ。
 電通相手に明らかな偽名を名乗られ、ソウタは眉を寄せた。彼の電脳内に展開されている電通ダイアログには、相変わらずミナモのペーパーインターフェイスからの通信との認証コードが記されている。しかしその音声はフィルタリングされているのか、生の肉声とは言い難いものとなっていた。データ上でも改竄が行われているのは必至であり、音声情報からその人物の特定は難しいと思われた。
 ――その端末を使っていた少女はどうした?
 ソウタは自然に剣呑な雰囲気を漂わせてきている。冷静な言葉を発してはいるが、流石に妹が何かに巻き込まれているのではないかと言う疑惑の前には、内心落ち着いてはいられなかった。
 そして電通には思考が優先するため、その内心の動揺が僅かに現れてくる。それはレッドと名乗った相手側にも伝わっているはずである。その相手は穏やかに思考を飛ばしてくる。
 ――安心しろ。何もしていない…こちらの現状の画像をメールするから、受け取って確認してくれ。
 その宣言と共に、電通の回線を経由してデータ送信が行われてくる。それを許可するかどうか、ソウタに確認を求めるダイアログが電脳内に表示されてきた。
 一瞬迷ったものの、ソウタはそれを許可する。何らかのウィルスが添付されてくるかもしれないが、そう言うものに対する策は常備している。彼はその防壁と、不用意に相手は攻撃してこないだろうと信頼する事にした。今はとにかくそう言う時期ではないだろう。情報が欲しいと思ったのだ。
 そして彼の元に画像が届いてくる。画像は数枚であり、そのデータ容量も少なかったために然程受信の時間は掛からなかった。自動的にウィルススキャンを掛けた後に、彼はそれを開く。
 そこには現在の隔離病棟の一室の様子が映し出されていた。ソウタはその病棟を実際に訪れた事はないのだが、資料を閲覧した経験からそこがメンテナンスルームである事を知っている。
 そしてそこで、黒い覆面の人物が壁際に纏めた病棟スタッフに銃を向けていた。その中には彼の父も含まれている。そして別の画像では、車椅子に収まった久島の容貌を持つ義体に、彼の妹が不安そうに寄り添っている。
 
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