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そう言う思いの元に、レッドは口を開いた。久島の顔を押さえ込んだまま、冷静な声で問う。 「――…解除方法は?」 その声に、義体の顔がぴくりと震えた。軽く首を傾げるように、微かに顔が動く。唇の隙間から呼吸が漏れるが、それだけだった。音声として、答えを発しない。 義体の態度に、レッドは眉を寄せた。判っていた展開ではあるが、彼はそれを打開しようとする。 「久島永一朗がまともな技術者なら、そんな手段には必ず回避する方法も伴っているはずだ」 そもそも自殺用のプログラムを所持している時点で堅気とは言い難い上に、それを自らが開発したAIとは言え、自分以外の存在に与えて生殺与奪の権限を握らせている時点で、果たして「彼」はまともな技術者なのだろうか。そう言う疑問はレッドの中に湧き上がらないでもないのだが、その前提を崩しては事態を打開出来ない。 ともかく、プログラムには誤動作する可能性が存在する。それはプログラムのバグから成される可能性よりも、むしろ予想外の条件が揃ってしまい望まない状況下でプログラムが実行されてしまう可能性の方が高い。技術者ならばその可能性が判っているだろうに、致死的なプログラムを何の安全弁もなしで実装する訳がない――彼としては、そう信じたいのである。 「私がそれを、君に答えると思うのか?」 その久島の返答は、この場の交渉においては理に適っていた。何せ、それを答えなければ、この状況は袋小路に陥るのである。時間を浪費させるには最適の選択肢だった。 そしてそれを、レッドも理解していた。ここで時間を稼ぐために、このAIは土壇場でそれを持ち出して揺さぶりを掛けてきているのだと。――異変に気付いた当局介入によるタイムアウトを狙うか、我々がビジネスとしてこの仕事をこなしている事実を突き、回避不可能な状況を提示して退却させるつもりか。 一見、後者が賢い選択肢であるように思えるが、すぐに仕事を投げ出しては今後の評判にも関わる。悪評の足が速いのは、どの業界でも同じ話だった。 だとしたら、この小賢しいAIを従わせなくてはならない。幸い、これはAIであり、人間ではなかった。付け入る隙はいくらでもあるように思われた。 レッドは溜息をついた。久島の顔を掴む手に力を込める。まるで頭部フレームをこのまま握り潰そうとでもしているかのようだった。その最中に、平静な声で、高らかに告げる。 「お前はAIだろう?ここには人質が何人居ると思っている?アクシデントでひとり位減らしても、まあ、我々にとってはフォローは可能な範囲だな」 彼は敢えてこの室内に居る全ての人間に、その言葉を聴かせるように大きな声を出していた。久島の目許を覆ったまま、まるで芝居掛かったように首を巡らせて室内を見渡す。その視線の先にはミナモや壁際のスタッフ達が存在していた。 それが自分達を指しての発言であると、人質達は自覚していた。そして彼らには覆面の男から銃を向けられたままである。危険な状態には違いなかった。久島部長を痛め付けて今尚顔を掴み上げているその凶悪然としたリーダー格の姿に、口々に動揺が広がってゆく。 彼らも愚かではないので、その動揺は犯人達の思う壺である事も理解していた。しかし恐怖心のコントロールは、素人の成せる業ではない。彼らは単なる技術スタッフである。恐怖心は本能から生じる以上、仕方がない話だった。 視覚を奪われたままである久島の義体も聴覚は生きている。耳でそのどよめきを感じ取っていた。僅かに口許を歪めた後に、冷静な言葉を発していた。 「君達が依頼を受けて犯罪に手を染めるプロならば、その依頼に含まれていない予定外の殺害などスマートではないだろうに」 義体は、犯人側のプロとしてのプライドに働き掛けるような台詞を繰り出してきた。しかしそれにリーダーは応じない。彼には確固とした殺し文句が存在していた。 レッドは久島の顔を掴む右手を、肘で曲げる。そのまま背もたれに身体ごと押し付け、彼自身の顔を義体のそれに近付けた。その耳元に囁くように、口を寄せる。状況を逆転させるに相応しい論法として、彼は明確な言葉でそれを発言した。 「その必要を生じさせるように仕向けているのは、お前だ。AIが、守るべき人間を、死に追いやるとはな。流石久島部長が準備するAIは、覚悟が違う」 彼は要所で言葉を切り、AIに諭すようにそう告げていた。AIが絶対遵守すべきその原則を、言外に言い聞かせていた。 そして現在の状況は、それに反しようとしていると示唆したのだ。AIである以上、それは補正されるべき行動だった。そこを、彼は狙ったのだ。 すぐに返答は来ない。義体はゆっくりと口を結んだ。彼の目許を覆ったままのレッドはゆっくりと身体を引き剥がした。右肘を伸ばし、再び見下ろす。 覆面の侵入者は、その掌に伝わる僅かな震えを感じ取っていた。おそらく現在のAIの思考は、人間に従うべく補正が行われているのだろう。設定上の様々な原則を理解していれば、AIの思考を誘導する事など造作もないと彼は思う。結局は「彼ら」は人間が作り出した存在であり、人間を補助するための存在なのだから。 やがて、義体の口許から溜息が漏れた。青白い唇が、沈黙からの結論を導き出してゆく。 「――…私は彼の知識の墓守だが、人命には代えられないな…」 僅かに掠れた声がそう発言していた。その頬に、冷たい汗めいた水分が一筋流れて行った。力なく傾きかけた首を、顔を掴む手で支えられる。金属製のデバイスを装着させられたままの喉元を震わせ、弱々しく台詞を継いだ。 「…私が起動している現状において、彼の知識を直接脳核から抜いたり、脳核自体をこの義体から取り外したいのならば、それ相応の手順を必要とする…」 「それを答えろ」 AI達人工物の上位者たる人間として、レッドは簡潔に命令していた。それに対し、久島の記憶を引き継いでいるAIは従順に返答する。 「久島永一朗が定めた人間達の同意と同席の元に、作業は可能だ…」 「それは誰だ」 その問い掛けに、義体は沈黙した。力が入らない両腕が、車椅子の両脇で微かに揺れている。 レッドは掌に覆われた顔に、眉間に皺が寄っている感触を覚えた。顔を顰めているらしい。答えを発しないように、設定上のマインドコントロールに抵抗しているのかと思う。 「それは誰だ。答えろ。AIが、人間からの問いを無視するのか」 無駄な事を――そう思ったレッドは、再び強く問い掛ける。人間からの命令を明示した。 それに義体はゆっくりと口を開いた。浅い呼吸と呻くような声を漏らした後に、明確な言葉を台詞として発し始める。 「…彼の姉の名代である蒼井ミナモ。そして、彼の親友たる波留真理」 その答えに、レッドは舌打ちをした。――最悪な答えだ。彼はそう悟ったのだ。 強張った右手をゆっくりと開く。義体の顔を捕らえている指を伸ばして行った。そして、彼はその手を離した。さっと顔から手を剥がし、自らも身体を引く。 支えを失った久島の義体は、ふらつくように背中を背もたれに預ける。腰を座席に落としつつも、身体が揺れた。そのまま、上体が前に倒れる。力なく垂れ下がっている両腕がそのまま車椅子の車輪に沿って動き、脇で肘掛けを挟み込むような体勢になった時点でようやく身体は安定を見せた。 「――AIさん!」 ミナモの声がすかさず飛んできた。彼女は人質の一員として確保され、犯人に阻まれていた。しかしどうにかその義体の動作も垣間見る事が出来ており、その異変に反応していた。 レッドは今まで義体の顔を覆っていた右掌を、シャツで拭った。自身の汗の他に、義体からの分泌物が触れてすっかり濡れてしまっていた。 そしてその手を振る。その先にはミナモと、ひとりの部下が居た。 「お嬢さんをこちらに戻せ。彼女の望み通り、こいつの世話を任せろ」 その部下は、指示の通りにした。その声を聴いた途端、ミナモの背中をぽんと軽く押したのだ。 ミナモは何が起こったのか判らず、きょとんとして振り向いた。そこには覆面をつけた大柄の男が居るのだが、彼は顎をしゃくって先を示してきた。そこにはリーダー格の男と、車椅子に収まった久島の義体が居た。 それに、ミナモは指示を理解する。軽くぺこりと頭を下げた後に、彼女は走った。同じ室内であり、そこまで遠くに引き離されていた訳でもない。彼女はすぐに車椅子の元に辿り着き、慌てて跪く。 上体を倒した体勢のその義体は、相変わらず四肢に全く力が篭っていない。そして頭も俯き加減に突っ伏しており、その顔はすっかり蒼ざめていた。微かに震えつつも汗を垂らしている。眼窩は落ち窪んで見え、その瞳は虚ろに見開かれていた。 「――AIさん!」 ミナモはその名を叫んだ。慌てて彼の両肩に両手を伸ばす。体温が下がっているその肩を押し上げ、どうにか背もたれに身体を寄りかからせた。 それから両手を持ち上げて、肘掛けに戻す。彼の両手は指先まで冷たくなっていて、感覚があるのかも怪しかった。青い病院服もすっかり汗で濡れてしまっている。 ミナモはハンカチをスカートから取り出した。彼は現在でもぐったりとして首を傾けて顔を俯かせているが、その頬をハンカチで拭ってやる。汗が染み込んで来た。 「…問題ない。大丈夫だ」 掠れた声で久島はそう返答するが、その瞳はミナモに焦点を合わせて来ない。その瞳孔は不安定に揺れている。どうやら何らかの負荷が掛かった状態が続いているようだった。 |