会話が途切れ、しばしの沈黙がメンテナンスルームに流れていた。しかし、すぐにレッドはその沈黙を破る。右手を胸の前に挙げ、宣言を放った。
「――こちらの方針は、以上だ。我々も暇ではないのでね。早速作業に取り掛からせて貰うとしよう」
 病棟を占拠した目的は久島部長の脳核の奪取にある、それさえ果たせばすぐに撤収し人質には手を出さない、しかしその目的を果たすためには手段を選ばない――その方針を、彼らはAIの前に明確にしてみせていた。
 それを前にした久島の義体は、相変わらず眉を寄せていた。動かない両手は肘掛けに置かれたままで、指のみがその上をそっと這っている。指の腹が先程掻いた皮張りの肘掛けの傷を撫で、彼はそこに視線を落とす。
「私は、君の言い分をまだ認めてはいないが?」
 義体はレッドの顔を見上げる事無く、そんな言葉を発していた。視線を外された人間側は、それにも戸惑いを見せない。右手を下げ、真っ直ぐに立った。
「合意に至らないのならば、それでも仕方がない。互いにとって不幸な事態ではあるが、こちらの好きにやらせて貰うまでだ」
 交渉を続ける態度には見えない義体に対し、彼はそう宣言する。結局の所、彼ら侵入者側は、義体の意志など尊重するつもりはなかった。これ以上の対話は、義体の引き伸ばし工作に加担する事に他ならないと判断する。この久島の義体は、彼らを足止めして病棟占拠を長引かせ、その間に外部に異変を気付かせようとしているのだろうと確信した。
 レッドと言うコードネームのリーダーにとって、これまでの会話はプロとして筋を通しただけに過ぎない。人質達にも最低限の情報を与え、不安をある程度は解消させる事で鳴動を防ぐ意図もあった。無論、久島部長の脳核を奪われる事は人質達にとっては本意ではないだろうが、それを諦めるだけの余地を与えてやった訳である。
 現在、久島やその他のスタッフの首筋に装着されているデバイスは、メタル接続に対するフィルタリング装置である。
 突入直後には彼ら侵入者側の首筋に装着されていたが、その際には外部で起動したメタル接続を妨害するジャマーから彼らを守るための防壁を立てるモードとして起動していた。
 そしてジャマーが解除されている現在は、その逆のモードである。常時接続を基幹システムとしている人工島のメタルに対し、その接続を妨害するようにフィルタリングしている。その目的で、人質達にデバイスを付け替えたのである。
 電脳化している人間達は、メタル接続を妨害するなどの手法で自らの電脳に負荷を掛けられると、頭痛に見舞われる。それを利用して、侵入者側は病棟内に滞在する人々にまず一撃を加え、その隙に拘束して占拠しようとした。そしてそれはある程度の成功を見せた。
 その中でも未電脳化者だったミナモは、ジャマーに対して全く影響を受けずに無力化されていない。それは侵入者側にとっては誤算ではあったが、その相手が単なる女子中学生では作戦の完全な失敗に至るようなミスにも成り得なかった。
 現在のデバイスのモードは、完全に接続を遮断するものではない。そのモードを長時間継続するのは、それを受ける人間の肉体的に、負担が大きいからである。だからメタルを能動的に利用出来ない程度に、フィルタリングを絞っている。
 仮に人間ではなくAIに対し、このデバイスのフィルタリングを最大にすれば、その義体は機能停止に追い込まれる事になるだろう。四肢を含めた義体への全ての接続を切断され、動作が不可能に陥る。そしてその麻痺は義体のみではなく、AIを含めた電脳にも至る。強制的に思考がシャットダウンされてしまうのだ。
 ハードウェアとソフトウェアの両面で機能停止させられた場合、その義体は第三者に対して全くの抵抗が出来なくなる。完全に動作停止した義体を前に、彼らは大した苦労もなく斬首刑を執行する事が出来るだろう。
 ――以上のように、侵入者側はその気になればこの義体を何時でも蹂躙出来た。そしてそれを今から行使する旨を、その相手に対して告げる。
「最悪でも、彼の脳核を抱え込んでいるあなたの首さえ我々に差し出して貰えたなら、我々はここの人間達を無傷で解放する。何せ仕事料金に含まれていない以上、殺人は割に合わない。我々にとって、これはビジネスに過ぎないんでね」
 それだけの余裕が成せる技なのか、レッドは相変わらず義体に説明を加えてゆく。その中でも軽口めいた言葉を取り混ぜるのを忘れていない。しかしそれは単なる冗談ではなく、彼らの世界にとっての常識も確かに含められていた。
 死亡し破壊された脳であっても、脳細胞はある程度再生出来る。そして脳を記憶媒体として扱うならば、そこから若干の記憶を引き出す事も可能である。現在の科学技術とは、そう言う水準に至っている。前時代のような口封じのための殺害は全くの意味を成さない。だから、無駄なのである。
 そしてレッドはゆっくりと右手を上げた。その手を久島の顔に伸ばしてゆく。彼は、俯き加減に肘掛けの上の腕を眺めていた義体の頭を掴んだ。褐色の髪が乱暴にその手に纏められる。
 侵入者のリーダーは、義体の頭を上から右手で押さえ込む。その態度に、流石に車椅子の背後にいるミナモは抗議の声を上げた。しかし彼はやはり、少女の存在を無視する。押さえ込まれたまま動かない義体の頭を見下したまま、最後の通告を行った。
「――だからAIであるあなたは、この首を差し出す事で人間の安全を確保出来る。それに満足して、ひとまず休め――もっとも、その脳核をいじる以上、永遠に目覚めないかもしれないがね」
 宣告しつつ、彼は正面に目配せする。すると、何時の間にかにミナモの背後には覆面の仲間がやってきていた。新たな人物は少女を身体で押しのけ、車椅子の背後の立ち位置を奪い取る。
 そして左手を伸ばし、義体の肩を掴んだ。身体を傾けさせ、後ろからの視点にうなじを露わにさせる。そこには金属製のデバイスが装着されていた。
 肩と頭を押さえ込まれた状態の義体は、そのまま動かない。俯いた顔に流れる前髪に隠れてはいるが、瞼は伏せられている。彼は人間達に従順であり、されるがままとなっていた。
 再三告げられている「人間の安全の確保」が、彼の電脳を支配したのかもしれない。AIである以上それは自分の安全を捨ててでも絶対遵守すべき命題であり、それに順じてマインドコントロールめいた補正が掛けられたと、外部からは判断出来る状態だった。そしてレッドとしては、AIがその状態に陥るように、ここまで言葉を費やしていた。
 覆面越しにではあるが、リーダーが目配せを行う。それを合図に、背後の部下が右手を伸ばした。大きな手が久島のうなじを掴むように覆い、そこに装着されているデバイスに触れた。
 途端に何かが弾けるような音が、その場に響いた。同時に久島の背中が目に見えて跳ね上がる。そのまま痙攣する身体が強張り、その両手が肘掛けを強く掴む。俯いた顔の口許から呻くような声が発せられていた。
 現在、彼の首筋に装着されたデバイスのモードが切り替えられていた。そこから強制的に介入を受け、全てのメタル回線から通信を遮断されるコマンドを送られている。それには流石に彼の電脳が抵抗していた。自動的に防壁を実行し、そのジャマーの効力から逃れようとしていた。
 それでも、その防壁の間隙を縫ってすり抜けて来たプログラムの一部が彼の電脳を徐々に冒していた。その結果、緩やかに義体の制御を失い、AIに保たれていた意識も薄れてゆく。そのうちに抵抗にも限界が訪れ、急速にシステムダウンするのが目に見えていた。
「――AIさんに、酷い事しないで下さい!」
 そこに、少女の鋭い抗議の声が響いた。外見からでも判り易く異常に陥っている義体の姿を目の当たりにして、ミナモは遂に感情を露わにしていた。懸命に両手を伸ばして、デバイスを覆っている男の手を外そうとする。
 しかし少女はやはり無力であり、男の手を除去する事は出来なかった。覆面越しに一瞥を送るだけであり、指を曲げてデバイスに強く食い込ませる事で少女の力には充分に応対していた。もっとも、一旦デバイスへのコマンドを実行した以上、その手が外れても一向に構わなかった。
「――…ああ、悪い事をしたな。お嬢さんには、これだけでも刺激が強いよな。確かに」
 その様子を対面して見ているレッドの口からは、述懐するような声が漏れた。――これからもっと酷い事をするんだがな。こうやって電脳まで麻痺させた後に首を落とすのは、場所を変えて廊下辺りでやるつもりではあったが…――彼はそんな事を思っていた。それでも彼はミナモに気を遣っている。それは余裕から来るものだろうが、確かに真実だった。
 彼は、久島の頭から手を滑らせる。髪を撫でるように後頭部から頭頂部を経て、額に触れた。その目許を掌で下から支えるように覆い隠す。掌や指先に痙攣する瞼や肌を感じつつ、彼は命令を発した。
「その子を他の人質の元へと下がらせろ。我々がこれから彼に行う事を、彼女には見せるな。くれぐれも丁重に扱えよ。たとえAI相手であっても、約束は守れ」
 その声が室内に響いた時点で、既にミナモの元には別の侵入者がやってきていた。リーダーからの指示に従い、彼女の腕を取る。片手で身体を押し、車椅子から引き剥がそうとした。
「――厭です!離して下さい!」
 少女は抵抗するが、荒事をプロとする男の前には容易く身体を動かされていた。靴の裏を頑張って床に貼り付けようとしていても、容易く引き摺られてゆく。その勢いのまま、デバイスに手を掛けた男からも両手が外れて行った。
「――久島さん!」
 ミナモの悲鳴が高く、部屋の空気を揺らした。それには流石に壁際に纏められている人質達も色めき立つが、そんな彼らには控えていた最後の1人の侵入者がその手にした銃を向けてくる。流石に暴力を向けられる事に慣れていない一般人では、それだけで身体が竦んでしまう。それは責めを負うべき事ではない。
 まるで殺される人間が目隠しされるように、目許を掌で覆われている久島の義体の顔から、汗のような水滴が落ちた。それは床を穿つような大きな水滴であり、それを追うように口許から不明瞭な声が漏れた。
 
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