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病棟に滞在しているスタッフや患者、そして侵入者の全員が同じ部屋に集っている。その状況下において、代表者同士の会話は成されている。 そのために全員が現在の状況を把握し、情報量に落差は生じていなかった。無論侵入者側が相手側に渡していない情報は存在し、その逆もあり得るだろう。電通を用いたならば、相手に隠れて情報のやり取りも可能である。しかし少なくとも、表向きはこの場においてオープンに情報をやり取りしていた。 リーダー役を担っているらしいその覆面の男は、久島の義体に対して「レッド」を名乗っていた。 それは明らかに偽名ではあるが、久島はそれを前置きした通りに不問に処している。おそらくは他の仲間達もカラーコードで名乗り合っているのだろうが、彼はそこまでの開示を求めてはいない。あくまでも会話の相手は、そのレッドに限るつもりらしかった。 「――それで、君は危険を冒してまで、ここに何を成しに来た?」 その会話は英語に切り替わっている。それは、この久島の記憶を引き継いだAIが申し出た事だった。 彼らと意思の疎通は出来てはいるが、明らかに侵入者側は日本語には長けてはいない。それに対し、人工島住民の大半は英語を解する事が可能だった。ミナモも含め、この場に居合わせた島民達はそれに含まれている。だから、言葉の壁はそこには存在しない。 そこで、人工島側が言語に関して譲歩する事としていた。交渉に誤解を生じない措置である。そして、レッドもそれをありがたく承諾した。彼は日本語とは違い、流暢に英語を用いてくる。そうなると口調にも余裕が現れてくる。 「この状況では、わざわざ説明しなくとも判るだろう」 「迂遠な会話は誤解を生じる恐れがあり、無意味だ。君もプロなら明確に要求を述べろ」 軽口めいたレッドの言葉に、義体は眉を寄せた。冗談には付き合う余地を見出さないらしく、彼の語り口は直球である。日本語でも英語でもそれは変わらない態度だった。 ともあれ、彼の態度は理に適っている。それはレッドも認めざるを得ない。ある意味諭された侵入者側のリーダーは、覆面の下で苦笑する。喉の奥から笑いが発せられ、それは外部にも明らかになっていた。 そしてレッドは両手を広げる。義体からの要求通り、明快に彼は答えを口にした。 「――久島永一朗の脳核と、そこに保持された知識と記憶」 「成程」 その簡潔な答えに、義体は頷いていた。短く言葉を発する。そこに、特に何の感慨も抱いていない様子だった。 その要求は久島にとっても予想の範囲内だった。それは、合法非合法を問わず、欲する人間が世界中に存在するとおぼしき「宝」だったからである。レッドが軽口を叩いたように、正しく「わざわざ説明しなくとも判る」話だった事になる。久島の義体はその正解を明確にすべく、確認したに過ぎない。 そして彼らの周辺、部屋の片隅に囚われている人々も英語を解しており、その言葉を訊いていた。その間にどよめきが巻き起こる。 彼らは交渉の会話に耳を傾けていた。自分達なりに情報を得ようとしていた。そこに、侵入者側の目的が提示されたのである。彼らにとっても久島と同じく予想通りの目的だったが、実際に明らかにされるとショックではあった。 しかしそのどよめきもすぐに収まってゆく。彼らは愚かではない。一時の動揺に心身を委ねる事はせず、更なる情報を待つ方を選んでいた。 「――あなたは久島部長の記憶を継承したAIだそうだが、その義体の頭部には、部長の脳核を保持したままなのか?」 侵入者が要求を明確にした以上、それ以降の交渉がここより開始される。レッドはその方向に話を向けた。 これこそが彼には重要な点である。目の前に居る「義体」は久島当人と思って押し入ったと言うのに、実はAIでしたと言う展開は彼にとっては心底予想外だった。そして、そうなるとこの「義体」の内部に久島の脳核が存在しないと言う可能性も、考慮する必要すらあった。危険を冒しておいて目的を達成出来ないなど、プロとして笑い話にもならない。 「間違いなく、私は久島永一朗の脳核をこの頭部に保持している。それはこの場に居る技師達が証明してくれるだろう」 対する久島の義体も、それに応じる。淡々とした口調ではあるが、明確に自らの立場を明らかにしていた。非合法な手段で利益を得ようとする相手であっても、その態度を変えようとはしていない。 そして久島は説明を付加してゆく。この場に居る全ての人々に、自らの命題を明らかにして行った。 「私は彼の脳核に、存在を依存している。そしてその脳核の生命維持も担っている立場だ」 義体の説明を耳にして、レッドは頷いた。覆面の下では安堵の表情すら浮かべていた。どうやら馬鹿話に巻き込まれたままで終わる事はなさそうだと判断した。 「ならば、今ここであなたの頭部を展開して彼の脳核を取り出せば、我々は目的を達成出来るな」 そう言って、レッドはちらりと前方を見やった。そこにはガラスの向こうに処置室がある。そして彼らが人質に取っているスタッフの中には、義体技師も居る。レッドはその事実を把握していた。施設と人員を確保しているのだから、彼の言葉は正しいと思われた。 その態度に、義体は眉を寄せる。無表情な顔が、不快そうな表情に変化していた。判り易く不満の意を表明する。 「無理矢理この頭部フレームを展開する気か?フレームが破損する可能性が高い」 「我々はあなたの義体そのものに気を遣う必然性を見出さない。その頭蓋を叩き割ってもいいんだ。しかし、幸いここには義体技師も揃っている。あなたがいつものように彼に自らの義体の調整を委託すれば、義体も無傷のままに脳核を取り出せるだろう」 その義体の意志を、レッドは受け流す。淡々と言葉を繰り出していた。そこに提示された彼の理論は、義体の扱い方としては間違ってはいない。 義体の使用者当人が自らの義体のハードウェアをメンテナンスする事は、物理的にほぼ不可能である。だから義体技師に法的に委託し、実行して貰う事になる。脳核を義体から取り外す際にもそれが適用される。今回も同様だった。 或いは、仮に義体の使用者にその許可を取れなくとも、強引に頭部フレームを開錠し展開する事も技術的には可能である。無論その手段にはハッキング技術を必要とし、義体頭部が無傷では済まない可能性も高くなる。 しかし、義体の損傷を気にする必要がないのならば、最初からフレームを分割していく手法もあった。そのフレームを再度組み上げる必要もないのならば、刃物の類で乱暴に分解した挙句に結果的に破壊してしまっても構わない。 そして今回の場合、侵入者側はその手段の選択も視野に入れていた。久島のように有機体を素材とした義体の場合、それを実行した場合には多少グロテスクな光景が繰り広げられる事になるだろうが、プロとして犯罪に手を染める彼らはその行為自体には躊躇する様子はなかった。 以上のようにレッドは、脳核奪取については選択肢をいくつも持っていると、言外にこの交渉相手としてのAIに示していた。AIの不満の意など構うつもりもないと言ったも同然である。 顔を顰めて人間を見上げる車椅子に収まった義体を、覆面の男は見下ろしていた。不意に右手を胸の前に持って行き、屈み込む。軽く一礼するような仕草と共に、彼は久島と顔を突き合わせてきた。 「久島部長の脳核には、システム上、生命維持装置は備わっているはずだ。それが持つ12時間のうちに、然るべき場所で記憶を抜けば良い話だ。我々がここでやるべきは、あなたから彼の脳核を抜き取る事――それだけだ。それ以上の処置のための長居はしないし、立ち去る際にはこの人質も解放しよう」 彼は義体にそう告げていた。自らの今後の方針を明確にしてみせる。難色を示すような素振りを見せているAIに対し、譲歩するような部分を提示した。 ――そちらが我々の申し出を受けて目標物を差し出せば、その交換条件として人質になっている人間の安全は冒さない。それは「人間に奉仕する存在」であるAIにとっては、相当な殺し文句になり得る理論だった。 レッドからの台詞が途切れても、久島の義体は相変わらず無言だった。装着された首筋のデバイスによって電脳は麻痺させられてはいるが、その思考自体は鮮明なままであるはずだった。何かを考えているのか、或いはその表情のままに不満を抱えたままで沈黙しているのか。顔を眺めるレッドには判断がつかない。 そこで、レッドは覆面の下でにやりと笑う。胸元にあった右手をすっと上げ、自らの喉元の前に持ってきた。拳を作り、そこに親指を立てる。その親指を、すっと喉元の前で横切らせた――まるで喉を掻き切るような仕草を見せた。 「…もし、その開頭手術に手間取るなら、あなたを頚部で切断して首ごと持って行っても構わない。トランクにはそれでも収まる。コンパクトでいい」 またしても軽口めいた言葉が覆面から繰り出されてきていた。覆面を被っている以上、顔を近付けられても第三者にはその表情を読み取る事は出来ない。それでも、彼の態度を目の当たりにしている久島の眉間に、ますます深い皺が刻まれて行った。唇が歪む。 「彼の脳核もこの義体も、つくづく物扱いか」 義体の唇からは端的な言葉が漏れていた。仮にこの義体使いのAIに人格が備わっているとすれば、頭をかち割るだの斬首するだのと言った仮定を冗談交じりに表現されては、面白い訳もない。 しかしその声に、レッドは口笛を吹いた。どうやら彼にとっては、そのAIの態度は面白いものであるらしい。 AIなのに人間めいた態度を取ろうとしているからか、或いは交渉相手への揺さぶり目的としてAIがそれを装っていると考えたのか。どちらにせよ、彼はその態度を問題にはしていなかった。ゆっくりと上体を起こす。再び久島の顔を見下ろす立ち位置を取った。 「久島部長には、もう意識の復活の見込みはないと訊いている。ならば、その脳核は単なる知識の記憶媒体だ。紛れもなく、人類の宝としての存在意義しかない」 「久島永一朗は法的には未だ生存状態にある以上、彼の脳核は彼自身の物だ。他者の所有物を非合法に奪いに来ておいて、世迷い事を言う」 「我々はそう言う世界の人間なのでね」 一方は不服そうであり、もう一方はその態度を冷淡に交わしていく。そのどちらも声を荒げる事はない。AIも人間も、思考は感情に流されず、冷静さを保っている。少なくとも感情が支配する生命体である人間側がそうあるためには、相当の場慣れが必要であるはずだった。一筋縄では行かない印象を、交渉相手や人質達に与えている。 そんなふたりの会話を、ミナモは久島の背後で訊いていた。彼女は、一応はレッドの正面に立っている事になっている。 ミナモは久島の車椅子を押す立場であり、介助担当者としてその場に控えていた。しかし今の交渉中のふたりにとって、彼女は風景の一部に過ぎない。レッドの視界には彼女の存在も入っているはずなのだが、覆面の男は一向にその少女に焦点を合わせようとはしなかった。交渉相手ではない以上、その必要性を感じないのだろう。 ある種の隙に乗じ、黙って聞き耳を立てていたミナモは、その会話に慄然とした思いを感じている。 彼女はこれを、とても寒々しい会話だと思っていた。侵入者は久島の脳核を奪おうとしており、その交渉相手も特にそれを明確に阻止しようとはしていない様子である。駆け引きを繰り広げつつも、互いの落とし所を探ろうとしているように思えた。それは、静かな会話なのに物騒な話だった。 そんな中、ミナモは、「物扱いか」と不満を表明しているような久島の態度に同調したい心境だった。 しかし、彼女は普段のように、感情のままに怒りを表現しようとはしていなかった。 現在の危険な状況も、その態度の理由のひとつではある。自分が感情を振りかざした結果、侵入者側の逆鱗に触れて交渉を台無しにする可能性もある――それが判らない程彼女は愚かでもなく、幼くもなかった。 しかし、ミナモがその行動を取れないのは、それだけの理由ではない。 ミナモは、久島の態度に、完全に同調は出来なかったのだ。仮に拳を振り上げるにせよ、その怒りは果たして久島と同等の物を抱えていると言えるのか。そこにやはり、彼女は引っ掛かりを感じていたのだ。 会話を良く聴いていくと、彼らふたりが「物扱い」の争点としているのは、久島の脳核や義体についてのみなのである。それを、ミナモは理解していた。 つまり彼らは、久島の知識を引き継いでいる、そのAIの存在を、全く考慮していないのだ――会話しているその一方は、正にそのAI当人だと言うのに。 どうして彼は、自分の事を、そう扱うのだろう。 以前からそうだった。彼は、自分の存在をペーパーインターフェイスと同じだと言っている。人間が使う道具であると言い張っている。 それは違うと、以前からミナモは思っている。その持論を彼の前に表明し続けているつもりだった。しかし、彼もまたそれに相反する持論を未だに保持している様子である。 意見交換が一段落したのか、義体は沈黙している。ミナモは彼の横顔を、背後からじっと眺めていた。そこから表情は、再び掻き消えていた。 |