ミナモが車椅子に収まった久島と共に誘導されて来たのは、メンテナンスルームだった。
 それは彼女らにとって普段から利用している施設である。待機用の部屋の向こうにガラス張りの処置室が存在し、そこに様々な検査用の機材が設置されている。そこで久島は検査を受けてきていた。時には義体頭部を展開され、脳核に直接ケーブル類を差し込まれて直に接続される事もある。それを許してきた場所だった。
 そしてそこには先客が揃っていた。待機室に足を踏み入れたミナモは、その光景に目を見開く。思わず足が竦み、立ち止まっていた。
「――お父さん!」
「…ミナモ。お前もか」
 娘からの叫びに、床に座り込んでいた父親は顔を歪めてそう答えていた。項垂れて右手で拳を作り、床を無為に叩く。殴られた床はあまり大きな音を立てなかった。
 蒼井衛は電理研の制服に白衣を纏った格好のままだったが、その白衣には汚れが目立っていた。しかしそこに血のような赤い跡は見当たらない。あくまでも床や壁面の僅かな汚れが付着したに過ぎない様子だった。しかしその眼鏡にはひびが入っており、それなりに手荒には扱われたのを窺わせる。
 そして彼の首筋には、金属製のデバイスが装着されている。それは久島同様の装備であり、この部屋に囚われている他のスタッフも同様の処置が成されていた。
 そのスタッフの間にどよめきが起こる。彼らはまず先導してきた新手の侵入者の存在に落胆し、次いで車椅子を押してやってきたミナモとそこに収まった人質の姿に愕然としていた。別の場所に居たはずだったが、やはり逃げ切れなかったか――そう言った想いが彼らを支配する。
 が、彼らの動揺は、そればかりでは収まらなかった。
「――久島部長!?」
 誰かがその名を叫び、それを合図とするように全員の視線が車椅子のその人物に注がれる。そして彼らは、その人物が瞳を露わにしている現実を目の当たりにしていた。
 彼らの任務は、久島部長の意識の回復である。そのために、この隔離病棟に詰めている状況にあったのだ。だと言うのに、その目の前の情景は何だと言うのだ。この騒動が、久島部長の意識の回復に寄与したのか――そんな想いが彼らスタッフの中に無言のままに通過してゆく。
 驚きの視線は、この場に居た別の覆面の侵入者2名も同様である。彼らもまた、久島部長は意識喪失状態にあると理解していた。それが、この状況なのである。ミナモ達を伴ってきた仲間達に説明を求めるように、視線を送った。しかし、そうされた方も軽く首を捻る素振りを見せるに留まっていた。
 只独り、久島が目覚めている状況に戸惑いを見せていないミナモもまた、やはり視線を落としていた。彼女の眼前にある久島の首筋を不安げに見やる。そこには金属のデバイスが巻きつけられており、その存在が現在は普段と明らかに違う状況なのだと彼女に思い知らせていた。
 不意に久島は視線のみを背後に向ける。眼球運動のみでミナモをちらりと見た。肘掛けに置かれた右手の指が、微かに動く。
 そして彼は視線を正面に向けた。軽く頷き目を伏せた後に、瞼を開く。僅かな動作ではあったが、確実に人々にそれを晒した。それに彼らは身じろぎする。動揺が広がっていた。
「――私は、久島永一朗の知識と記憶を引き継いだAI。エライザ・ワイゼンバウムのチャットプログラムと脳再生プログラムを基礎として久島永一朗当人に設定され、現在起動している」
 その室内に、抑揚の無い声が響き渡る。義体の口から言葉が発せられた。
 それはこの場に居合わせている人間の誰もが聞き覚えがある声である。蒼井衛のように、その「彼」と面と向かって直に会話した人間も居る程だった。しかし、それを思い起こしてみると、何処かに違和感がある。明らかに彼らが想定する「久島部長」のそれとは異なっていた。
 そのAIは、自らが初めてこのリアルで起動し、彼のマスターたるオリジナルの人物に指定された人々を前にした際と、同様の台詞を今ここで口にしていた。その場においての動揺は、然程広がらなかった。それは、指定された人物達が久島永一朗にとってはかなり近しい距離にあったからだろう。
 しかし、現在のこの場では、違う。自らの存在を表明したそのAIに対し、驚愕を見せる人々が殆どだった。それは技術者も侵入者も分け隔てない。「久島」に対し挙手し質問の意を表明する技術者も存在していた。
 しかし、その義体は彼らを一瞥するだけだった。挙手したり、それを飛び越して質問を投げかけてくる人間達には一切答えない。口から発せられるのは、あくまでも自らの意見のみだった。
「私は在りし日の久島永一朗に用意された、彼の知識の墓守だ。君達はその認識だけを持っておけばいい。それを除けば、私は、その他のAIやアンドロイドと然程設定は変わらない。君達人間に奉仕する存在だ」
 その最後の方の言葉に、ミナモは視線を落としていた。義体の横顔を上から見やる。――そこに、引っ掛かりを感じていた。以前から彼は、その解釈に迷い悩んでいたのではなかったか?
 しかしミナモの疑問をよそに、義体は正面を向いている。表情に変化は無く、口調も淡々としていた。人間味はそこに一切感じられない。生命体ですらない人工物としての態度をちらつかせている。
 口々に何かを言おうとしていた人々も、それに圧倒されてしまう。彼らは徐々に黙り込んで行った。
 その義体の視線がついと横に向く。視線が薙ぎ払うように動き、そこに立っている覆面の男に行き当たった。それは先程の病室に押し入って来た侵入者の一人であり、指示を下していた方の男だった。久島はその彼に視線を定める。
「――さて、まずは君には、自己紹介をして貰おうか。そうして貰わなければ、AIとしての設定上、私は君の要求には従えず交渉も進まない」
 義体の申し出に、その男は面食らった。無論覆面に隠された顔ではその様子は現れてこない。しかし、どうやら自分が交渉役として、その義体に認定されたらしい。そしてその判断は間違ってはいなかった――その事実を、侵入者のリーダーとして認めざるを得なかった。
 たとえ久島部長当人でなくとも、一筋縄では行かない存在には違いない様子だ。それを彼は把握し、覆面の下では苦笑気味に口許を歪めていた。
「…名乗りが本名でなくとも、あなたは認証出来るのか?」
「一向に構わない。私にはその真偽の判別が不可能であり、また、それを把握する意味はないからだ」
 それに対する義体は、相変わらず笑わなかった。そこに放たれた冗談の成分を嗅ぎ取ろうともせず、AIらしい態度を貫いていた。
 久島の義体は僅かに視線を落とす。何かを確認するように、手元を見た。しかし、すぐにその視線を真正面に戻す。その視線移動は一瞬であり、誰も気付いた様子はなかった。
 そこには古ぼけたダイバーウォッチが嵌められていた。
 
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