その意図は違えど前後からふたりに抱き締められていた久島永一朗の容貌を持つ義体は、彼らの腕の隙間から顔を上げていた。彼は厳しい表情を保ち、前を見据えている。先程用いた以上の言葉を発する事はなく、只怒りの感情めいた印象を纏わり付かせているばかりだった。
 その感情を全面に受け止めている正面の覆面の男は顎を上げる。久島を背後から拘束している仲間に目配せをするような素振りを見せた。
 そして背後の男は何らかの指示を受け、それを了承したらしい。ゆっくりとその腕を解き、久島を解放した。
 後方から抱き締められる力がなくなり、その身体はミナモの方に預けられる。慌ててミナモは久島を引き寄せていた。庇うようでありしがみ付くような態度でもある彼女に、久島は無言で視線を落とす。
 衣擦れの音のみが響いていたその室内に、金属音が届く。彼らの背後に立っていた覆面の男が、その首に装着していたデバイスを外していた。首を挟み込む形式で留めていたそれを開き、屈み込む。そして、その先にある久島の首筋にそれをあてがった。
 その様子に気付いたミナモは慌てる。――また酷い事をするつもりだ。彼女はそう思い、眉を寄せた。久島の身体を引き寄せ、何か抗議の声を発すべく口を開きかけた。
「――蒼井ミナモ」
 そこに、至近距離から名前を呼ばれた。それは彼女にとって聴き慣れた声である。僅かに顔を向きを変え、その声に応えた。久島の顔がそこにある。その表情は相変わらず厳しい。
「私に構うな。君からの抗議の必要はない」
 義体は眉を寄せたまま、ミナモにそう告げていた。開かれた義眼の焦点は少女に向けられている。久島は意思の疎通を行うように、彼女と視線を合わせていた。
「でも」
 ミナモはその久島に短く反駁していた。その間にも、久島の背後では覆面の男が確実に作業を行っている。
 ミナモは久島の首筋を挟むようにその金属製のデバイスが装着されるのを見た。かちりと金属が合わさる音が微かに響き、喉元まで金属が回されてきた。久島は黙ってそれを受け容れている。
 彼女は戸惑うような表情で、そのデバイスと久島の顔とを見比べる。その少女の視線を受け、義体は言葉を発した。
「いいんだ。私は」
「AIさん」
 ミナモにその呼称を用いられ、義体は眉間の皺を深くする。心配そうな表情の少女から僅かに視線を外し、未だに支えられた状態にある両腕を一瞥した。
「それより、私の両腕を肘掛けに戻してくれ。この状態は落ち着かない」
「…あ、はい」
 その言葉に、ミナモは軽く口を開け、声を上げた。自分が何時までも左腕や胸で挟み込むような状態で、彼の腕を押し留めていた事を思い出す。
 ミナモはゆっくりと、久島の肩を抱く右腕を緩める。そのまま身体を引き剥がし、スカートのポケットに携帯端末を収めた。そして両手で彼の両手首を掴み支えた。
 義体の腕の震えは止まったままで、普段通りの状態に完全に戻っている。彼女はその力ないその手を、それぞれに肘掛けの上に置いた。抱きつかれた事によるものか、皺が寄り軽く乱れた病院服の胸元を視界に入れつつ、彼の腕を肘で曲げてその先を革張りの肘掛けに預ける。
 普段から彼に頼まれるような介助の指示に、少女は我に返っていた。現状の非日常から、そこに日常を見出す。平静を取り戻すきっかけとなった。その一環として、たわんだ袖口を伸ばして病院服を整えてやる。左手首に嵌められた古ぼけたダイバーウォッチを袖口に納めようとするが、若干長さが足りない。彼女はそれを諦め、手を伸ばして乱れた胸元の皺を伸ばした。
 その間、久島は少女の手元をちらりと見やった。そして顔を上げ、眼前に立ったままの覆面の男に視線を移す。首筋に密着する金属を確認するように、僅かに首を傾けた。
「――メタルへの接続は完全に遮断しないで貰おうか。義体の制御に障害が生じ、会話も交渉も不可能になる」
「その方が、お互いのためになりそうだ」
 淡々とした義体の発言に、正面の男は腕を組む。覆面に覆われくぐもった声が、それに応対していた。そこに動揺は見られない。
「あなたに言われるまでもなく最低限の接続は確保しているが、電脳への接続は妨害した。能動的にメタルには繋がれたくはない」
「それには私も異存はない」
 その説明に、無表情の義体は軽く頷いていた。互いの合意をそこに見出す。久島はその説明の真偽を確認すべく、自らの電脳を試行しようとした。しかし男の説明が正しい事を確認出来ただけだった。とは言え彼にとって、それは予定調和である。
 久島は視線を手元に落とした。ミナモの作業は完了しており、彼の両腕は肘掛けに収まっていた。意識して指先を動かそうとしてみると、震えつつも僅かに指が曲がる。それは妨害による障害ではなく、彼に制動系プログラムが実装されていないためだった。メタルに接続出来ない以外、全てのコントロールを取り戻している事を確認する。
 そして手元に落としていた視線を、ダイバーウォッチの盤面に向ける。そこにはデジタル表示で現在の時刻が計時されていた。この機材もまた、メタルに電力の依存をしている。その表示が復帰していると言う事は、最早メタルへの接続障害は完全に収まっていると彼は判断した。
 静かではあるが緊張感を保ったままの室内の空気を感じつつ、ミナモは車椅子の前からゆっくりと立ち上がっていた。少女は無遠慮な視線を前後から感じるが、自身の行動を留めようとはされていない事を自覚する。
 闖入者達はミナモの存在を必要以上には邪魔には思っていないらしい。ある程度は彼女を尊重しつつも無視する態度を示している。しかしそれは、その彼女が自分達の邪魔をしないと言う前提の元に確保される自由である。それが破られたなら、彼らは一切の容赦をしない事を、彼女は身をもって理解していた。
 だからミナモは沈黙している。――余計な事をしては、AIさんに迷惑が掛かる。そう思い、立ち上がり短い制服のスカートを引いて整えるに留まっていた。そのスカートのポケットには先程収めた携帯端末が揺れている。ポケットの大半を端末が満たしており、その形が衣服の上からも露わになっていた。
 そんな少女の身嗜みに、覆面の男は軽く視線を向ける。が、すぐに目標とする人物に視線を戻した。意外そうな響きを持つ声を発する。
「――久島部長が、意識を取り戻していたとは知らなかった」
 どうやらそれは彼の素直な気持ちらしい。覆面に覆われているが、おそらくは顔にもそれが表れている事だろう。
「正確にはそれは事実とは異なると、私は指摘せざるを得ない」
「では、あなたは一体何だ?」
 久島の回りくどい否定に、男は疑問を呈していた。それは当然の疑問である。――久島部長の義体に意識が回復しているのも驚きだが、それは実は違うと言い張る。ではこの事態は一体何だと言うのか。それ以上の推測は彼には不可能であり、不用意な推測は差し挟むべきでもなかった。
 そんな男に対し、久島は無遠慮な視線を向ける。表情を持たない顔が直面し、唇が動いた。
「状況が変化した以上、それを君達に説明しても構わないが、私としては無駄を省きたい」
「ほう?」
 侵入者に押し入られ拘束され、傍には人質足り得る少女まで抱えていると言うのに、それらの要素を全く意に介さないように、久島は淡々としている。自らの意見を遠慮なく告げてくるこの病床の電理研統括部長の態度に、覆面の男は声を上げていた。腕を組み替える。
 ――流石は人工島の神と崇められるだけの事はある。胆力も大したものだ。伊達に歳は取っていないか――仮に久島部長当人では無いにせよ。そんな感嘆の念を目の前の車椅子の人物に感じていた。
 そんな彼の感動など、義体は推測する素振りも見せない。只、自らの要求を突きつける。譲歩の余地はあるにせよ、まずは自身の意志を伝えようとしていた。
「全員を同じ場所に集めろ。病棟スタッフ全員の無事を直に確認してから、私は君達との交渉に応じよう」
「成程…」
 男は覆面越しにではあるが、自らの顎に右手を当てた。左手でその手を支え、考え込むような素振りを見せる。久島からの要求を脳内で精査していた。
 が、それもすぐに終わる。顎から手を外し、腕を解く。彼は不用意に時間を浪費せず、不測の事態に対してもその判断は即座に下していた。
「…それでいいだろう。我々としても、その方が都合が良くなった」
 彼は軽く頷く。そのまま向こう側に視線をやった。久島の首筋にデバイスを装着した後、その場に立ち尽くしたままとなっていた仲間に目配せする。
 どうやらその男の方は指示を受けて動く立場らしく、無言で頷いた。彼らは本当にアイコンタクトのみでのやり取りを行っているのか、或いは電通などを介しているのかは、この人工島では第三者からの視点では判り辛い。
 ともかく背後の男は車椅子の背面に両手を伸ばした。電脳経由で何らかの操作を行い、背面部分から持ち手を引き出す。無骨で大きな手がそれを掴んだ。僅かに車椅子が揺れる。
 
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