突然の闖入者を受け容れた後には、病室内には一瞬の沈黙が下りている。
 ミナモは車椅子に収まっている久島の義体のうなじに触れる指を滑らせた。そのままそっと肩に腕を回す。義体の両手を支えていた左手に右手を導き、胸に義体を引き寄せた。そのまま抱き寄せる。久島に縋るようにとも、或いは逆に庇うようにとも取れるような態度を見せた。
 その間も視線は覆面の乱入者達を見据えている。それは強い意思で睨み付けているのではなく、突然の事に対応出来ず只視線を外せないだけであるようだった。不安そうに揺れる瞳にそれは現れている。
 そんな彼女に対し、前に進み出ている独りの人物は相対している。頭部は黒い覆面にすっぽりと覆われているために表情などは明らかではないが、顔の向きからどうやらミナモを注視している様子だった。
「――お嬢さん、未電脳化者?」
 ミナモの耳に、不意に聴き慣れない声が届いた。若干くぐもったような声であり、彼女はそれを目の前の人物が発したものであると解釈した。それは日本語ではあるが、あまり流暢ではないように彼女には思える。
 彼らに対し、ミナモはどんな反応を見せていいのか相変わらず判らないが、とりあえず訊かれた事に対しては答えていた。表情を強張らせたまま、ゆっくりと顔を下に動かす。無言で頷いてみせていた。
 目の前の少女の態度に、覆面の人物は両手を上げる。久島を抱き締めつつも彼女が手にしていた携帯端末の存在にも気付いたらしい。それらを把握し、肩を竦めてみせた。
「この人工島にも、未電脳化者は居るのか。知らなかった」
 その声は流暢な口調ではないために意図は掴めないが、何処か意外そうな響きがあった。その肩を竦めた態度と相まって、ミナモは僅かに緊張を緩めた。この状況に疑問を呈しようと、言葉を発する。
「――…あの」
「お嬢さん。君に危害を加えるつもりはない。目的を達すれば、我々はすぐに出て行くから、安心して欲しい。その後の君の行動には制限を加えない」
 しかしミナモの声は、低くくぐもった声に遮られていた。若干の片言口調を差し引いても言い含めるようにゆっくりとした口調ではあったが、どうやら彼は少女の話を訊くつもりはないらしい。その意志を感じ、ミナモも口篭る。
 その頃には、靴音が彼女の隣に来ていた。そちらに少女は視線を向ける。
 今までミナモが会話を交わそうとしていた人物の背後に居たもうひとりの覆面が、そこに立っていた。彼もまたミナモの存在など意に介していない。少女からの困惑気味の視線を覆面に受け止めつつ、彼女の隣から上体を曲げ、腕を伸ばしてきた。
 その右腕の先には、ミナモが抱き締めている久島の姿がある。素手であるその手が、俯いた状態で露わになっている義体のうなじに触れた。そこに明滅する発光器官の光を掌に当てる。
 ミナモはその仕草にじっと視線を注いでいた。そしてその手は首筋を掴むようにしっかりと触れ、そのまま頭部へとなぞり上げる。
 後頭部に至った時点で彼の指が義体の人工頭髪に差し込まれ、その髪を強く掴んでいた。彼は力を込めて短い髪を引き、久島の顔を持ち上げる。脱力している義体の頭部は引かれたままに従い、抱き締めるミナモの前に露わにされていた。
「――何するんですか!」
 それに、ミナモは抗議の声を上げていた。引き摺られ持ち上げられる義体の顔では瞼は伏せられている。彼はメタルからの接続を遮断されたせいで意識を喪失しているのか、それとも普段のようにその状態を装っているのか、ミナモには判別はつかなかった。しかし無力な義体が髪を掴まれて無理矢理に顔を持ち上げられている状態を、彼女は好意的に捉える事など出来ない。だから鋭い声を上げたのだ。
 ミナモが抗議の態度を示そうとも、久島の義体の髪を掴むその男は相変わらず彼女の事など目にもくれていない。少女の存在を無視し、空いている左手が前に伸ばされた。彼は腕を久島の前に回す。顔を持ち上げて露わにした喉元に押し当て、支えていた。
 義体の顔が力なく傾く。ミナモは慌てて義体の肩を抱いた。自らの方に久島の身体を引き寄せ、覆面の男に奪われないようにする。そんな彼女に対し、背後から声が掛けられた。
「お嬢さん。その久島部長をこちらに引き渡して欲しい。我々の目的は彼だけだ」
 落ち着き払った声だった。それにミナモは振り返る。
「どういう事ですか?」
 少女は疑問を放ったが、やはりそれに男は対応しなかった。その代わりのように、彼女の傍に立つ男が久島の髪から手を離していた。
 それは全く気を遣っていない行動だったため、解放された久島の頭部ががくりと落ちてミナモに寄りかかろうとする。しかしそれも、首を支える男の腕に阻まれていた。
 自由になった男の右腕は、今度はミナモに伸びていた。久島を抱き締めており肩に回された右腕の上腕部を強く掴んだ。その強い力にミナモは顔を歪める。喰い込む指に、彼女は痛みを覚えていた。
「痛いです!止めて下さい!」
 ミナモはそう叫んでいた。しかし掴む手に腕を持ち上げられようとも、彼女はそれに抵抗していた。懸命に久島の身体にしがみ付く。
 そんな眼前の少女の態度に、腕を掴む男は何処か苛立たしげになっていた。久島の喉元に割り込ませていた腕を開き、ミナモの身体を押す。強引に彼女を振り解こうとしていた。しかしそうされても、少女は離れようとはしない。
「――…お嬢さん。我々は手荒な真似はしたくないが、それは君の協力が得られる場合に限られる」
 投げ掛けられる背後の男の声は相変わらず冷静だった。しかしそこに若干の呆れが含まれてきている。そしてゆっくりとした靴音が、ミナモの方に迫ってくる。その間にも台詞が続いていた。
「我々も、何時までも君の相手をしていられないんだ。そこを判って欲しい」
 そう告げた時点で、彼はミナモの肩に左手を乗せていた。まるで諭すような態度である。しかし、その手には力が込められる。肩を掴み、自分の方へとミナモを引き寄せに掛かっていた。
 彼もまた、ミナモを久島から引き剥がそうとしていた。少女はそれを悟る。そしてやはり、彼女は抵抗を続けていた。顔を横に激しく振る。
「駄目です!私は…――久島さんを守るって約束してるんですから!」
 久島にしがみ付くミナモの口からその叫びが漏れていた。彼女の脳裏には、久島の姉とのやり取りが再現されている。――そう言う約束をしているのだ。私はお姉さんに久島さんを託されているんだ。
 だから、絶対に離す訳にはいかないんだ――どんな目に遭っても。
 そんな彼女の心中は存分に言動によって表面化している。それを認めたらしい、背後の男は大袈裟に溜息をついてみせた。ミナモの肩を掴む手から、若干力が抜けた。只そこに手を置くだけとする。
「…困った。君は未電脳化者らしいから、他の人間と違って電脳を落として無力化する事は出来ない。そこが我々の誤算と言われればその通りだが…」
 冷静さを保ったままの静かな声がミナモに届いている。述懐にも似たその態度に、ミナモは顔を上げていた。
 少女の視線を覆面の男は真正面から受け止めた。そしてゆっくりと右手を持ち上げる。まるで見せ付けるように、その手を開き、自らの頭上まで振り上げ、そこで止めた。
「――だから、君をこの久島部長から引き剥がすには、やはり君に手荒な真似をする他ないんだろうか?」
 それは淡々とした声だった。それが、ミナモに対して問い掛けて来る。日本語としての発音は若干おかしい点があるが、それは彼の思考を全く阻害していない。意思の疎通は充分に出来ている様子だった。
 そして問われた側はその内容を耳にし、それを徐々に把握して行った。その間も、視線の先で振り上げられた手を目の当たりにしている。ミナモはそこに彼の態度の真の意味を見出していた。
 覆面に隠されてはいるが、確かに互いの視線がかち合っている。少なくともミナモはそう感じていた。
 不意に、振り上げられたその手がくいと動きを見せる。軽く一歩を踏み込んでくる。ミナモはそれらの動作を認め、思わず顔を歪めていた。
 ――殴られる。彼女はそう直感した。すぐにその行動を起こさず諭すように言葉を投げかけ動作を停止したのも、こちらを怯えさせるためなのだと理解した。
 ミナモは思わず首を竦めた。身体を縮こまらせる。しかし、それでも彼女は久島を抱き締めたままだった。決して離さないと誓ったからには絶対にその通りにするつもりだった――或いは、逆に縋っていたのかもしれない。
 その動作を見た男は、大袈裟に溜息をつく。ミナモに聴こえるように振る舞っていた。
 そしてミナモの肩に置かれたままだったその男の手にも力が込められる。彼女の想いがどちらにせよ、頭上にあったもう片方の手は渾身の力を込めて振り下ろされていた。
 
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