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そんな事を考えていた波留の電脳に、不意に電通が着信してきていた。そのダイアログに表示された「蒼井ソウタ」の名を確認し、彼はその回線を開く。 ――波留さん。 今まで展開していたメール画面の上に置かれた電通ダイアログにはソウタの顔写真が掲示され、その声が波留の聴覚に響いてくる。リアルの波留も、その表情を和ませる。 ――ソウタ君。お忙しいでしょうに、時間通りで何よりです。 ――いえ…前々からお約束していた事ですから。波留さんに御足労頂く以上、俺が遅れてはいけないんです。 そのような会話を電通で交わしていると、ロビーの入口付近から声が聴こえてくる。それはリアルの音声であり、足音がそれに伴われていた。波留はそれを耳にし、顔を向ける。 そこには、短い黒髪の青年が白い杖を突きつつ、ゆっくりとした歩みを進めていた。その青年の傍には黒髪の女性が突き従い、さりげなくもその歩みを注視している。 そして彼らは白衣の人物と平行して歩いていた。挨拶めいた会話を交わしており、どうやらこの病棟の職員に話し掛けられている様子だった。 波留はその光景に、片手を挙げた。微笑を浮かべつつ、その足で歩き始める。並ぶソファーに沿って歩み、彼らの元へと向かっていた。歩きながら電脳に表示されたままだったメールフォルダを閉じ、視界を確保する。 歩いてくる波留の存在に最初に気付いたのは、黒髪の女性だった。微笑を浮かべ、両手を膝の前に合わせて波留に対して深く頭を下げてくる。 彼女は電理研所属の公的アンドロイドの容貌をしており、秘書型アンドロイドとしての制服を纏っていた。彼女は長い髪を後ろに纏め上げ、灰色の半透明のレンズを持つ眼鏡を掛けており、耳元には大ぶりのイヤリングが留められている。それら全てが「タイプ・ホロン」としてのスタイルそのままだった。 彼女の一礼により、ソウタもその礼の対象者として波留が向こう側から歩いてきている事に気付く。片手を挙げて職員を軽く制止するような素振りを見せ、波留を見る。杖を突く位置を微妙に変化させつつ、彼は波留に向き直った。 「――波留さん。俺の我儘だと言うのに、本当に御面倒お掛けします」 ソウタは波留よりも更に若い青年である。それは容貌も意識も同様だった。青二才とも表現出来るその彼が、波留に対して頭を下げている。そこに波留は辿り着き、恐縮した風に手を振った。 「いえ…僕もいずれは行わなくてはならないと思っていた事ですから」 それは儀礼的な会話ではあるが、互いを尊重してもいる。彼らが含めている謙遜と恐縮は、抱いている本心に限りなく近かった。彼らはそう言う関係である。 波留がやって来た事により、病棟職員はその場の全員に対して一礼して去ってゆく。彼の場合は紛れもなく儀礼的な行為だったらしい。この施設が「電理研付属」と言う肩書きを掲げている以上、「電理研統括部長代理」の職に就いている人物こそが最高幹部だった。そんな人物に、職員として挨拶を行っただけと思われた。 昼休みの時間帯も終わりに近付いている。職員達も病棟に戻ってきており、そうなるとロビーを必然的に通過する者も増えている。そこに波留とソウタ達の姿を認め、思わず足を止める人間も多く存在していた。 「――少々、仰々しい事になっていますね」 波留はそんな白衣や作業服の人々から遠巻きにされているのを眺めやり、感想を漏らす。 「俺が部長代理と言う公的な人間で、電理研を離れる以上、その予定は広報部に連絡しておかないとならないですから。それをチェックしている人も多いんでしょう」 ソウタは苦笑を浮かべてそう答えていた。彼がその任に着いてから3ヶ月以上を経過している。それは最早彼の日常と成り果てていた。 彼は蒼井ソウタと言う私人には違いない。しかし人工島住民には、それ以上に電理研統括部長代理と言う公人としての立場を求められていた。 人工島を代表する公人である以上、そのプライベートは制限されがちになってしまうのは仕方のない事情である。7月のテロ以降には島の重要人物の周辺には警戒を強める必要性もあり、彼らの予定は更に管理される事態となっていた。 具体的には、彼らの日々の予定は秘書を通して自陣営の広報部に通達されている。その中でも、公表しても差し支えないような予定は、情報公開の意味合いも含めて広報メタルに掲示されるのが慣例となっていた。 今回のソウタのメディカルセンター訪問は、若干プライベートじみたものである。しかし公式業務としての意味合いも確実に含まれていた。 彼は今日、この施設を「自らの秘書として使っている公的アンドロイドのメンテナンス」のために訪れているのである。そのホロンと呼称されているアンドロイドは他の公的アンドロイドよりも特殊で個人的なセットアップが成されていても、電理研所属の動産には違いない。 アンドロイドのメンテナンスは業務委託すれば専門技師のみでも行えるが、その際に使用者の同席は推奨される。だから彼のこの外出は、公的にも承認されるような事だった。 しかし、一般人に公表するべき予定でもない。だから彼に関わるような電理研職員やメディカルセンター職員の権限を持つ人間が閲覧出来るメタル深度に、その情報は掲示されていた。今この場を遠巻きに眺めている職員達は、その部長代理予定をチェックしてここに来ているのだろう。 「――まあ、俺が利用するのは、アンドロイドのメンテナンス施設です。ここの大半の職員には関係ない事ですよ」 ロビーを訪れている職員の視線を受け止めつつ、ソウタはそう言った。この扱いにうんざりする面は否定出来ないが、この現実を受け容れなければ自らの任務は果たせなかった。 そんな彼の態度に、波留は微笑を浮かべる。 「いえ、判りませんよ?」 「え?」 波留の答えに、ソウタは怪訝そうな声を上げた。表情にもそれは表れている。そんな年少の青年に対し、波留はその笑みに僅かに照れた印象を含めた。そのまま台詞を継ぐ。 「何せ僕は、7月末に人工島に戻ってきた際、ここでかなり念入りに調べられましたからね。何人の医師の方々に看て頂いたのか覚えていられない程に…それこそ、ここってそんなに暇なのかと思ってしまいましたよ」 波留はそう言って爽やかに笑った。それは彼やこの施設にとっては紛れもない事実であり、そして今となっては笑い話である。彼はソウタの緊張を和ませようと、ある意味とっておきの話を繰り出した事になる。 それにソウタも気付き、笑いの成分に表情が緩和された。しかしこの話に直接的に笑いを刺激された訳ではなく、波留がそんな冗談めいた話題を出すと言う事実に、何処となく微笑ましさを感じたのが大きかった。 「――マスター」 人間ふたりの会話が一段落したのを見たのか、ホロンと呼称されるそのアンドロイドが波留にそう呼びかけていた。 波留がその声に彼女の方を見やると、彼女は胸に片手を当てて波留を見ていた。波留からの視線を受け、ホロンはそのままの姿勢で、軽く一礼する。改めて挨拶を行ってきた。 「今日は、どうぞ宜しくお願い致します」 「…ああ」 ホロンからの儀礼的な挨拶を、波留は微笑んで受け止める。彼はこのホロンのマスターと設定されている立場である。その付き合いは8月以降は疎遠となっていたが、それでも1年近く彼女のマスターを続けている。そうなると、アンドロイドの扱いにも慣れて来ていた。 「今回の一件で君には予期せぬ負担を掛けるかもしれないが、君ならきっとそれを乗り越えられると僕は信じているよ」 波留はアンドロイドにそう言って、笑い掛けていた。そしてその態度を向けられた女性も、にこやかに微笑んでいる。そんな関係のふたりを、残されているソウタはじっと見ていた。 |