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ミナモの頭上からは、本物の太陽光が半透明の屋根に投下されつつも降り注いできている。彼女が乗っている水上バスに穏やかな風が吹き抜け、微かに髪を揺らして行った。 現在の暦は10月末ではあるが、この常夏の島では未だに暖かい。周辺地域よりも湿度を若干低く設定しているために、半袖であれば心地良い暑さと言えた。衣服の素材の助けを借りれば、その常夏の1年中を長袖で過ごす人も少数派ではない。 ペーパーインターフェイスを通話端末として使用していたミナモは、それを耳元に当て続けていた。しかし彼女の耳には、通話が終了した事を示すトーン音が単調に連続して届くばかりである。 ミナモは半透明の屋根の向こうにある空と太陽を視線で見上げていたが、やがてゆっくりと瞼を伏せていた。耳から端末を静かに下ろし、膝の上に置かれたままの包みに上腕部が横たわる。 少女の唇が僅かに開いた。そこから微かに息が漏れ、溜息をつく。 ミナモにとって久島のぶ代とは「久島さんのお姉さん」であり「お友達」だった。ふたりは9月中旬に初めて顔を合わせた事になるが、それは僅か数日間の話である。時間に換算すれば、1日分にも満たないだろう。 しかしふたりが親睦を深めるのは、その期間のみで充分だった。ミナモが久島のぶ代に好感を抱くのは彼女の性格上当然かもしれないが、その逆は確率が落ちるだろう。しかしそのふたりは見事にそれをやり遂げた事になる。 そんな風に「お友達」としてのぶ代に接していたミナモだったが、今回全く伝えていない事もあった。瞼を伏せて沈黙し、脳裏にそれを思い浮かべる。 ほんの10日前、あのオリオン座流星群のピーク日の夜。ミナモにとってはそれは奇跡の夜となっていた。 彼女はその晩、病棟の屋上にて久島当人と再会を果たしたのである。 それは本当に奇跡を呼ぶ他ない出来事であるが、事象の理由付けは出来得るものでもあった。降臨した久島曰く、流星群の母天体であるハレー彗星に地球律が反応して意識を具現化させる事が出来た――そう言う話だった。 しかしそうやって説明は出来ても、ミナモも久島も、それを狙っていた訳でもない。だからほんの10分程度の降臨時間を、彼らはほぼ浪費してしまった。ミナモは望外の再会に動揺した挙句に泣きじゃくり、久島と大した話を出来ていない。 そんな中でもかろうじて交わした会話には、久島の姉の話題も含まれていた。 その際に、彼は姉の事を「強烈な人」と評していた。しかし彼がそれを口にした時に、苦笑とも照れ笑いともつかないような淡い笑顔を浮かべていた。ミナモの記憶にはその印象が刻み込まれている。 ――きっと、久島さんもお姉さんの事が好きに違いないんだ。 その光景を後から思い起こし、ミナモはそう結論付けていた。その論理は、この姉と弟がそれぞれに、ミナモの気持ちを見事に同じく言い当てた事態から補強されていた。 そう考えてゆくと、ミナモは暖かい気持ちになる。やっぱりこの人達はとてもいいひとだ――そう思ってしまう。 しかし、その晩の出来事を、彼女は誰にも語っていない。病棟に滞在している実の父を含めたスタッフ達にも明らかにしていなければ、ミナモにとって特別な人物であり久島の親友たる人物にもその件について一切触れるようなメールを送っていない。 そして今回、久島の実の姉にすら語ろうとはしなかった。その行動理由は、ミナモ自身にも良く判らない。常識的に考えるならば、あの晩久島を屋上に連れ出した事を誰かに知られてはまずかった。 何せ流星を見るためだけに、警備システムをクラックしてまで屋上に向かったのである。それが明らかになれば、彼女を名代に指名した久島のぶ代にも、直接の依頼主である統括部長代理たる彼女の兄の蒼井ソウタにも迷惑が掛かるだろう。 あの思い付きを実行した翌日以降には、ミナモはその思いに至っていた。自分は間違いなく、冗談抜きでとんでもない事をしてしまったのだと悟ったのである。 しかし、他者にあの邂逅を語れない理由はそれだけではない。彼女自身には説明出来ないが、その常識的な理由だけではない事には気付いていた。 その脳核を治療しようとしてまで久島のリアルへの帰還を望む人々がたくさん居る中、自分だけがその再会を独り占めにしてしまった。その上に、泣いてばかりで大した会話を交わしていない後ろめたさを、内心感じているのかもしれない。彼女はかろうじてそう自己判断を行う。 しかし、もっと他の理由もあるような気もしていた。そしてそれに気付いてはならないのではないか。そんな直感めいた思いも抱いていた。 長々とミナモがそう考えていると、閉じられた瞼の向こうから光がちらつく。柔らかな風が頬をなぶりくすぐった。夏と水の匂いが仄かに漂ってくる。 そしてミナモはゆっくりと瞼を開いた。暗闇の視界に光が復帰し、受け容れられてゆく。彼女はそこに一抹の眩しさを感じたが、瞳孔がすぐに調整され視界が回復する。 人工島のメジャーな公共交通機関である水上バスは、相変わらずゆったりと水路を進んでゆく。その両脇には様々な建物が立ち並んでいる。水路から一段上に位置する歩道にも色々な人々が歩き、賑やかな印象を醸し出している。路線が商業区画を掠める付近に到達しているようだった。 停留所に到着すると、乗降客のやり取りが行われてゆく。商業区画ともなると、そこで降りる人もそこそこ存在している。代わりに乗り込む人も居るが、差し引きするとバスの内部は更に寂しい状況となりつつあった。 ミナモは未だに席に座っている。彼女が降りるべき電理研付属メディカルセンターの停留所は、まだ先である様子だった。 手持ち無沙汰に、膝の上にある弁当の荷物を袋の上から撫でる。お昼時に間に合わせないと彼女の父親達が腹を空かせてしまう事になるのだが、これでもバスは定時運行だった。目的地に着くのを気長に待つ事にした。 ミナモは携帯端末を肩提げ鞄の中に戻し、座る位置を落ち着ける。そよぐ風を感じつつ、目を細めた。 「――…波留さん」 そう言う状況だと言うのに、その名が何故自分の口から突いて出てきたのか。ミナモは自分の事ながら、やはりそれも全く理解出来ていなかった。 天頂には煌く太陽が達している。 |