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対する久島のぶ代も、そのミナモの態度を一切意に介していない。彼女自身、年長者だとか築き上げた著名な地位とか言う立場を振りかざす事を良しとはしない人間だったからである。 無論、自らが打ち立てた権力を当然の権利として、必要に応じて遠慮なく行使するタイプではある。弟同様に、権力の使い所を理解している人物だった。 ともかく今のこの老女は、老獪に微笑むだけだった。その態度を電通に乗せつつ、明るい声をミナモに送る。 彼女もまたミナモ同様に未電脳化者としての人生を選択した人物であり、彼女の方でもペーパーインターフェイスを耳元に当てているはずだった。前時代の携帯電話のように端末を用いて、ふたりは電通を行っている事になる。 ――ようやくそちらに届いたのね。何せ国際便だし、人工島に食品を送るとそちらで検疫を通さないといけないから、到着時期が読めないのよね。ともかく、無事に届いて良かったわ。 人工島とはアジアの南洋に浮かぶ、人工に造られた孤島である。四方を海に囲まれており、それが病原体などに対しては天然の防壁としての意味合いを果たしてもいた。 それだけに、目視出来ない敵に対しては神経質に防御しようとする面があり、輸入食品に対する検疫はかなり厳しいものがある。人工島とはその建設から50年と歴史は浅く、全てが1から造り上げられているのである。有史の頃から存在しているはずの天然島や大陸などの都市とは違い、害と成すものは極力持ち込ませないようにする体制を堅持していた。 具体的に例示するならば、島外から流入してくる食品は、企業が輸入するものだけではなく個人間でやり取りされる少量のものであっても厳しく検疫される。人工島の住民数を反映してそれらの処理量は膨大であり、検疫には単純に時間が掛かってしまうのが恒例となっていた。 久島のぶ代が、その宅配便について送り先へ上手い連絡を出来なかった事情はそこにある。航空便で人工島に到着するまでは良いとして、その検疫を無事通過して島内宅配便に乗り蒼井家に届くまでの期間が、全く読めないのだ。 「昨日引き取って摘んでみましたが、凄く美味しいです!」 そう言いながらミナモは、膝の上の直方体の山を右手で袋越しに撫で上げていた。それは無意識の態度である。 その宅配便がミナモの自宅に届いたのは、昨日の昼間である。しかし自宅には誰も在宅していなかったため、品物の代わりに不在通知が玄関先のコンソールに届けられていた。 彼女は放課後にその通知を転送メールとして確認し、昨日の帰宅の道すがらに引き取っている。帰宅後に宅配会社に再送を依頼しても良かったのだが、帰路沿いに該当する営業所が含まれていたのでついでとばかりに立ち寄っていた。彼女が蒼井家の管理をなし崩しに扱うようになって以来、宅配便は大抵の場合そのように処理している。 相変わらずミナモは膝の上の包みを撫でている。その上から楽しそうな声が降り注いできた。 「今日、お父さん達に差し入れするお弁当につけてます」 笑顔でミナモはそう言っていた。彼女が撫でている包みの中に入っているのは、タッパーであり弁当箱である。 この中学3年生は、父親に対して差し入れと称して弁当を持って行く行為を7月末から度々行って来ていた。そして現状ではその対象は父親だけではなく、同じ仕事に携わる数名の人々にも拡大していた。 ――あなたやお兄さんのお父様なら、割とお歳を召してらっしゃるかしら?なら日本を思い出して頂けるかもしれないわね。 ミナモの言葉に対する老女の答えは、実利的な印象も含まれている。 耕地面積が制限されている人工島住民にとって、天然物の食料は貴重品である。それも、日本からの輸入品ともなれば、別の意味で高級品だった。 日本をルーツとする島民が多い以上、日本製の食糧への需要は高いからである。それは単純に日本の食材の質が高いのもあるだろうが、大多数の島民達が彼らのルーツたる日本の味を懐かしんでいる事情も大きいだろう。そのために、日本製食品の差し入れを受けた人々に喜ばれる事は間違いないと思われる。 しかしミナモにはその実感もない。単純に彼女にとって、その漬物は非常に美味しかったのだ。だから父やその同僚達も喜んでくれるだろう――そんな単純な考えから発せられている台詞である。 「きっとお父さん達にも喜んで貰えると思います。凄く美味しいですもん」 ――そう言って頂けると、浸けている人間としては光栄だわ。 老女は楽しそうな声を上げている。どうやら配送期間が読めない国際便だったとは言え、食品の劣化はなかったらしい。それは大航海時代からの、保存食品としての漬物の利点ではあった。 しかしここで、老女は僅かに声を潜めた。申し訳なさそうな感情を滲ませる。 ――…元々は梅干を送る約束だったのに、ごめんなさいね。この6月に久島に壷ひとつ送ったばかりだったから、あなたにお分け出来るストックがなかったのよ。 その声に、ミナモは顔を横に振っていた。ぶんぶんと勢い良く振り、否定の素振りを見せる。動画送信での通話ではないのだが、少女はついつい相手が目の前に居て会話しているつもりで対応してしまっていた。 「いえ。これは初めて食べる漬物だから、却って嬉しかったです――勿論梅干でも嬉しかったですけど」 いくら少女の兄が料理に気を遣う人間であり、彼女が人工島に定住した4月以降に毎日料理を振る舞われ続けた時期が続いたとは言え、人工島の食糧事情を鑑みるに多様な食材はなかなか入手出来ないものである。 そして彼女のルーツは名が示す通り日本であっても、オーストラリア生まれである。母がオーストラリア内陸部の祖母宅で出産して以来の15年間を彼女はそこで過ごしたため、日本の食材に触れるきっかけは殆どなかった。 だから食した事がある日本の漬物と言えば梅干程度であり、若干マイナーな千枚漬けは見るのも目新しいものだった。新しい発見に対する喜びが、彼女の中にある。 |