流星がオリオン座の3連星の付近に煌いている。ハレーが地球に最接近した直後だからか、流星の数は肉眼で見えるものからして多い。おそらくは地上から夜空を眺めている人々の殆どを満足させているのではないだろう。 広がる夜空は隔離病棟の屋上にも平等に存在している。何も言えなくなって只泣きじゃくるミナモやそれを黙って見ている久島達の頭上でも流星が出現し落下している。風は凪ぎ、澄んだ夜の空気が彼らの周りを満たしていた。 顔を覆って涙を流すミナモの姿を何とも言えない顔をして久島は見ていたが、不意に彼の瞼がゆっくりと降りる。自然に目を伏せるような動きを見せていた。 しかし彼は眉を寄せた。顔を震わせてうっすらと瞼を上げる。口を結び、力を込めた。どうやら目を閉じようとしているのは、彼の本意ではないらしい。それに懸命に抵抗している。 「…ミナモさん。すまない…そろそろ意識を保てなくなってきた…」 その声に、ミナモは弾かれたように反応する。顔を覆う手を一気に下ろし、目の前の光景に視線を向けた。 涙で濡れた視界ではあったが、鮮やかな夜空の元に居る車椅子の久島が薄く目を伏せているのは判る。しかしその瞼は完全には閉じ切っていない。まるで眠気に抵抗するように、落ちようとする瞼をどうにか制止しようとしている様子だった。 「久島さん、待って」 ミナモは鋭い声を上げた。久島に纏わりつく眠気めいた印象を打ち消そうとする。そこに義体から小さな声が発せられる。やはり眠そうとも表現出来るような不鮮明な声だった。 「もう限界だ…また私はあの海の深層に…戻って――」 その台詞が途切れる。それに伴い、久島の頭が大きく傾いた。突っ伏すように前にがくんと大きく揺れて止まる。前髪も揺れ、目許に覆い被さった。 「久島さん!」 ミナモはその様子に焦って駆け寄った。車椅子の隣に屈み込む。久島の前に跪き、彼の右手を取った。目を伏せて俯いた彼の顔を覗き込み、叫ぶ。 「久島さんは――波留さんと、会わなきゃ駄目だよ!」 その言葉を聴き付けたのか、久島は僅かに瞼を開いた。焦点が合わないぼんやりとした瞳がそこから覗く。その義眼をミナモは見据えた。懸命に彼を覗き込み、感情のままに呼び掛ける。 ――私は結局何も伝え切れていない。だから、せめて自分が今思っている事だけは、伝えておきたい。 「ハレーがどうとか言ってるけど、結局は波留さんと会いたいから戻ってきたんでしょ!?ここで我慢しないでよ!」 その台詞に、久島は口許に微かな笑みを閃かせた。しかしその瞼はそれ以上開こうとはしない。瞳の色も虚ろになってゆく。 「…ミナモさん」 まるで末期の呼吸のような微かな声で、ミナモは自らの名を呼ばれた。それに、彼女は顔を近付ける。 「はい」 久島に対してミナモは短く頷く。久島に顔を最接近させる。彼の全てを読み取ろうとした。少しも聞き漏らさないつもりだった。 そして久島の唇が微かに震え、言葉を紡ぎ出す。至近距離に耳を近付けているならば、空気を震わせどうにか聞き取れるレベルを保っていた。 「くれぐれも波留を、宜しく頼むよ…」 「え?」 しかしミナモは、その久島の言葉に怪訝そうな声を上げる。彼女自身が思ってもみない事を言われていた。そしてその後に続いた言葉は、彼女を更に驚かせる事となる。 「…大好き…なんだろ?波留の事…」 「…ええ!?」 頓狂な声がミナモの口から放出される。久島と顔を突き合わせている状況だと言うのに、彼女は思わず身じろぎしてしまった。久島の顔をまじまじと見つめてしまう。 彼女はこの前、久島の「お姉さん」から言われた事を思い出していた。――きっと久島も、あなたの気持ちを良く判っていたと思うわ。あの老女は別れ際にそんな事を言ったのだ。 そして実際に久島自身もこんな事を言う。やはりお姉さんは久島さんの事を良く判っていたと言う事になるのだろうか?――ミナモはこの姉と弟の奇妙な一致に、感嘆とも言える感情を抱いていた。その驚愕が彼女の心を満たしていたために、では一体どんな事を言い当てられているのかまでは考慮する事が出来ていない。 光を失った義眼をゆっくりと瞼が覆った。口許から笑みが失われ、顔から表情が消えてゆく。ミナモはそれを見て我に帰る。久島の右手を強く握った。必死に呼びかけた。 「久島さん!」 ミナモの声が聴こえているのかは判らない。久島は最後に何かを言おうとした。唇を痙攣させるように僅かに動かし、喘ぐような呼気を漏らす。 「――…波留には…――」 しかし彼が言葉に出来たのは、そこまでだった。それ以降は微かな息が僅かに開いた唇の間を通過するだけで、声としての形式を保っていなかった。その後も確かに乾いた唇が微かに動いていたが、ミナモにはそれを言葉として読み取る事は出来ない。 それもやがて止まってしまい、久島は唇を僅かに開いたまま、表情のない顔を俯かせているばかりとなった。 「…久島さん――」 目の前で全てが終わった事を自覚したミナモは、呆然とした表情になる。右手を強く握り締めてみたが、握り返してくる事はなかった。 ――もし、私が電脳化していたならば、この右手から久島さんの声を聴き続ける事が出来たのだろうか。 彼女はそんな思いに駆られ、近くの床に転がっているピンク色の携帯端末に視線を落としていた。しかしそれを拾おうともせず、久島の右手を両手で包み込んだままだった。 ミナモの視界の向こうで僅かに光がちらつく。月明かりが彼らを淡々と照らし出していた。 |