それを思うと、ソウタは徐々に心中に感情が沸き上がって来るのを感じていた。 波留の語りは確かに長い話ではあったが、それはある結論を提示するためのものだったのだ。その結論は、彼のある種永い人生から命題を提示し、その経験に基き導き出されたものであると言いたいのだろう。 彼にとって、それは理解出来る。しかし、その結論に同意出来るとは限らなかった。 ソウタは口許を歪めた。視線が鋭いものとなってゆく。静かにゆっくりと、彼は言葉を発する。 「――…つまり、波留さん。あなたにとって、ホロンは人ではないと?」 このひとにとって、ホロンはオウムなのだろうか。優しい顔をして、そんな事を思っていたのだろうか。ずっと彼を「マスター」として仕えてくれたその存在を。――そう思うと、仲間と思っていたこの人物にも苛立ちを感じてしまう。 しかし、ソウタは別の方向では、理解もしていた。――自分の考え方こそが異端なのかもしれないと。 以前、彼が先生と慕う人物の実姉も、波留と似たような論旨を述べたのである。アンドロイドには人間を感動させる事は出来ない、同じ物を見て感動する訳がない――彼女のその意見もまた、長年の舞踏家としての経験の積み重ねから導き出されているはずである。 波留は50年間眠っていたのだから必ずしも久島のぶ代と同じ立場とは言い切れないが、その期間を差し引いても今のソウタよりも年上である。人生の先輩には違いない。 その2名が、アンドロイド達を「人」としては認めようとはしていない。それはソウタにとっては少なからず衝撃を与える。 そしてもしかしたら、彼らと近しい存在であり同年代である「先生」もまさか――と、彼はそこに考えが至ってしまう。仮にその人物から、ホロンはオウムであると切り捨てられたら、どうしていいか判らなかった。 ソウタの心の中が落ち着かない様子である事は、隣で彼を見ている波留にも良く判っていた。波留はそんな彼を目を細めて眺めやっている。足を動かすと、未だに外していなかったフィンが甲板を叩いた。 海水の香りが船の外部から漂ってくる。それを波留は鼻腔に感じつつ、目を伏せた。落ち着いた口調を保ち、再び口を開いた。 「――…僕はそんな覚めた風に、酷い事を言っていますけどね。実はそんな僕も最近、良く判らなくなってきたんですよ。あなたやミナモさんは、ホロンを人として扱うものだから」 ソウタは顔を上げる。再び波留の顔をすっと見た。波留はそんな彼と視線を合わせる。にこりと笑い掛けた。 「それに…最近考えるきっかけがありまして。偉そうな事を言っても、実際に僕がメタル内でイルカアバターのウィルスと遭遇したら…やっぱり攻撃を躊躇うような気がしましてね。それで僕が倒されたら笑い話にもなりませんね」 波留はそう言って喉の奥で声を上げて笑った。鮫型思考複合体を倒した経験を持つ彼としては冗談を言ったつもりであり、ソウタもそれを感じ取る。実はあまり面白くない冗談だと思っていたが、ついつい釣られて笑ってしまう。 ソウタの苦笑めいた笑みを波留は視界の向こうに認めた。そこに、言葉を投げ掛ける。 「――で、あなたからの申し出ですけど、僕は別に構いませんよ」 「…え?」 不意に向けられた波留の話に、ソウタは怪訝そうな声を上げる。それに波留は苦笑を浮かべる。忘れてしまったのかと言いたげに、続けた。 「ホロンの設定変更の件ですよ」 波留は短くそう言うと、ソウタは大きく頷いた。思い出したように顔を振る。そして話題が逸れ続けていた故にすっかりこの件を忘れていた自分が恥ずかしいやら照れ臭いやらで、頭を軽く掻いた。 青年のその行動に、波留は目を細める。言葉を続けた。 「――何処までその原則設定を弱める事が可能かは技師の判断に拠りますけど、可能な限り外してもいいんじゃないですかね。下手に行動を制限する設定を外すとAIの思考はループに陥りがちになってしまうものですが、自律思考型の彼女ならば高度な思考を行って回避出来るでしょうし」 それを述べる波留はとても淡々とした口振りだったが、その論旨をソウタは徐々に読み取ってゆく。 そしてそれを理解してゆくと、彼は目に見えて笑顔になって行った。波留の言葉は、彼の要求をほぼ認めてくれていると言っていいものだったからである。 「――波留さん…ありがとうございます!」 ソウタは勢い良く波留に向かって頭を下げていた。気持ちいいまでに真っ直ぐに好意と感謝の意を言動で表している。 そんな彼の態度に波留は笑う。実の所、最早ホロンを使用しているとは言い難い彼なのだから、その設定をどうしようが彼にはどうでもいいと言ってしまっても良かったのだ。只、違法改造はやはり良くないと思うし、或いは誤った設定の方向にしてホロンのAIに負担を掛けてしまうのも良くないと思っていた。 しかしこのソウタならば慎重にセットアップを行う事だろう。――仮に誤った方向へセットアップしてしまったとしても、彼はそれを受け容れて彼女を助けるだろう。彼女を「人」として見ているのならば、ちょっとした齟齬は人格の欠点めいた風に捉えるだろう。 「――いっそ、マスター権限も、僕からあなたに委譲しましょうか?」 ついでとばかりに、波留はそんな事を言った。元々ホロンは電理研から委託されているアンドロイドである。波留をマスターとして設定してはいるが、彼個人の所有物ではない。 そしてホロンは介助用アンドロイドとして波留に与えられた経歴がある。しかし今の波留は肉体が若返り、その足で歩く事が出来るようになっていた。奇跡的な回復を見せた彼に、最早介助用アンドロイドなど必要ないのだ。 だとすればそのアンドロイドは電理研に返却するのが筋と言うものであり、その結果統括部長代理の秘書として仕えている以上、そのソウタをマスターと設定するのもまた筋が通った話だった。波留としては機会がないためにそれを行っていないだけに過ぎない。その機会が今だとすれば、喜んで応じるつもりだった。 しかし、そう持ちかけられたソウタは表情を一変させた。顔から笑みが消え、大慌てて両手を横に振ってみせたのである。豪快な否定っぷりだった。 「それは、そのままでいいんです」 ソウタは明確な言葉で波留の申し出を断っていた。波留はその彼の態度に首を傾げる。――マスター設定をソウタに委譲したなら、ソウタの手で気軽に設定を変更出来るようになる。いちいち波留にお伺いを立てる必要はなくなるのだ。 だと言うのにそれをやらないとは、一体どう言う心境なのだろう。もしかしたら、僕に遠慮しているのだろうか――?波留はそんな考えに至る。そして、それならばと別の方法をソウタに持ち掛けようとした。 「そうでないなら、システム管理者を久島からあなたに」 「――それもそのままで!」 その波留の台詞はソウタの叫びにも似た否定の言葉により、遮られていた。そのソウタの態度に、波留は口を軽く開けていた。少し驚いたような素振りを見せている。 ソウタは波留を見た。話し相手の表情が驚きに満ちているのを目の当たりにする。それに、ソウタは口許を曖昧に歪めた。繕うように笑う。そして肩を落とし、俯き加減に、静かに自らの考えを語り出す。 「…出来る限り、その辺の設定はそのままにしておいて下さい」 「ソウタ君」 「彼女の中からこれ以上――何も、失いたくはないんです」 ソウタは言葉を搾り出すように、そう言った。波留はその様子に眉を寄せた。気遣うような表情を浮かべる。 「…判りました。その辺りの設定には触れない事にしましょう」 彼はそう告げ、自分から始めていたこの話を打ち切った。ソウタは軽く頷くだけで、顔を上げる事はない。 |