語尾を荒げ発せられたその後は、ソウタの台詞が途切れていた。流星の光を受け止めている海が静かにさざめいている。 海に浮かぶ観測船は僅かな揺れを生じていたが、それは人間達には大した影響を及ぼしていない。甲板に立つのではなく座っているのだから安定感も違っていた。 波留はソウタの言葉に聞き入っていた。しかしそれも終わったらしく、彼は顎に右手を当てた。風を受けて乾いたそこには僅かに塩を残している。海に潜った証拠であり、彼にとってはそれは有り触れた日常だった。 そして彼は、横目でソウタを見やった。どうやら彼は今までの語りによる興奮から醒め、自分を取り戻してきているようだった。 その状況を波留はそれを把握する。ソウタが所在なげに自分を見ているのに、苦笑を浮かべた。――全く、勢いでとんでもない事を言ったものですよね。そんな感想が脳裏をよぎる。 しかしその素直な感想を、波留は口にはしなかった。「仲間」のよしみで、そんな追い討ちは掛けない事にする。語り始めたのは、全く別の話だった。 「――…僕はアンドロイド専門の技師ではありません。しかしマスターとしてホロンを使用していた立場ですから、彼女の仕様書には一通り目を通しています。それに拠ると、AIの電脳からその原則を外すのは違法改造になりますよ」 穏やかな口調で波留はそれを説く。ソウタは相槌を打つように頷いていた。しかしその表情は硬い。そんな事は判っていると言いたげだった。 確かにアンドロイドのマスターであった波留が改めて言うまでもなく、それは現在の社会における常識だった。そんな不満にも似た表情を浮かべているソウタを、彼は微笑んで見ている。顎に当てた右手をそっと外した。 「――大昔のSF小説に、ロボット三原則と言うものが登場します」 波留が向けたその話の方向に、ソウタは不可解そうな表情を浮かべた。そんな彼に対し、波留は右手を示すように挙げた。そこに彼は人差し指を立てる。説明しながら彼はその指をカウントして行った。 「曰く人間に危害を加えてはならない、それを満たす限り人間の命令には服従しなければならない、そしてそれらふたつの条項を満たす場合においてのみ自己を守る事が出来る――…とまあ、人間の道徳観にも似た考え方ですから、現実にアンドロイドやAIの原則設定として流用されていますよね。SFにリアルが追い付いたのだから、年寄りの僕なんかにしてみれば、非常に面白い話です」 ソウタは黙って波留の話を訊いていた。そう言う理論も、大学の講義か何かで教わった覚えがある。 しかし彼にとってはそれはあくまでも抽象的な概念に過ぎない。何故そんな話をされなければならないのか、理解出来なかった。メタルで検索すれば該当する知識に行き当たるのかもしれないが、今の彼の心にはそんな余裕はなかった。 波留は相変わらず微笑を浮かべている。再び顎に手を当て、視線を空に向けた。そこに流れ続ける星を眺めやりつつも、瞳の色が懐かしさに溢れてゆく。 「――やっぱり僕が若い頃の話なんですが、日本で二足歩行のロボットがリリースされましてね」 「二足歩行?」 「と言ってもプログラム通りに決められた動作しか出来ませんでした。それでも動き自体は非常に滑らかでして、中に人間が入ってるんじゃないかと思わせるような代物でした。当時の人々はその動きに感情移入したんですよ。足元を注視して倒れないかとひやひやしたり、上手く物を掴めたら本気で喜んだり…彼もまた、現在のアンドロイド達の始祖の一人なんでしょうね」 また歴史の話かとソウタは思う。彼にとってそれは教科書に載っているような内容だった。しかしこのような話を実感を伴って話される事は、他の人間相手ではそうそうない。それを思うと、やはりこの人物はこの姿と性格でありながら81歳の老人なのだと感じ入る。 もしかしたら彼が「先生」と慕っていた83歳の人物にも同様の話が可能だったのかもしれないが、生憎とその機会は彼の元から未来永劫失われている。少なくとも現在の彼はそうだと認識しており、その現実に哀別を感じている。確かに僅かな望みを賭けて意識の復活のための治療を執り行う事には賛同しているが、彼自身はそれを信じていない。 そんな風にソウタは波留の話を聞き流し掛けていた時だった。 「――でも、それって、おかしいですよね?」 波留はそこに逆説を加えてきたのだ。それにソウタも気を取られ、自らの考えを中断するに至る。思わず、問い返していた。 「…何がです?」 「AIも何も搭載されていない、只のプログラム通りにしか動作しない機械に過ぎないのに、当時の人間はその存在に感情移入してしまったんですよ。それは一体何故なんでしょう」 ソウタは言葉に詰まる。その時代を知らない以上、推測しか出来ない。彼は波留からの問い掛けに戸惑いつつも、問われた以上は答えを導き出そうとした。 「それは…過去にはそのロボットこそが最新型だったからじゃないでしょうか」 「でも、果たして今の時代の人々も、あれを見て単なる機械だと言い張れるんでしょうか?人間型であるが故に、人間はそれに感情移入してしまうんじゃないでしょうか」 波留の言葉にソウタは口許に手を当てた。眉を寄せて考え込む。――つまり、今のこの人工島で言えば、PGに感情移入するようなものだろうか?彼はそんな事を考えて、2061年の世代としてその問い掛けを一般化しようとしていた。そしてそう当て嵌めて考えてみると、確かにそこに理解が出来てしまう。主に子供達は、PGに人格を見出しているような――。 波留は相変わらず微笑んでいる。そして考えているソウタを尻目に、彼自身は別の話を始めていた。 「――原初のエライザの話もしましょうか」 その名を訊いたソウタは、途端に厭そうな顔を浮かべてしまう。彼にとってその名は、とても思い出したくもない記憶と直結していた。口許を歪めて波留に問う。 「あの時の…夢見せ屋ですか?」 ソウタの表情に波留は苦笑した。確かにあの時には、事務所のメンバーの全員が彼女に大変な目に遭わされたらしい。しかし彼が語ろうとしている話は、そのAIとはまた別の事を指していた。 「それは現在の彼女の一要素でもあったのかもしれませんが、現在から100年程昔のエライザの話です」 波留の話は再び昔話へと持ち込まれるようだった。しかも100年前とは、波留すらまだ生まれていないはずである。ソウタにとっては、それこそ歴史の彼方であるように思われた。 しかし彼は以前とは違い、その歴史にも興味を惹かれている。黙って波留の話に聞き入っている。 「彼女がジョゼフ・ワイゼンバウムに開発された当時、それは単なるチャットプログラムに過ぎませんでした。AIですらない、入力された文章の構文解析を行い言葉を返すだけの存在。質問に対して質問で返す事も厭わない。そんな機械的な存在だと言うのに、感情的に会話を交わす人間も居たそうですよ。多分、勝手に行間を読んで、そこに人格を感じてしまったんでしょうね」 波留は手を軽く打ち鳴らした。話の区切りを示したらしい。空ではまた流星が落ちている。 そんな光景を背後にしつつ、彼はソウタの方を見た。口許から僅かに笑みを消し去る。一応微笑んではいるのだが、そこから柔和な成分が失われたような気が、ソウタにはした。 「結局は人間がそう言った機械体達を人として認識したいから、そんな風に勘違いするんじゃないでしょうか?人間と同じ身体だったり、同じ言葉を話していれば、それだけで人間はそこに"人"を見出してしまう。それは今も昔も変わらない」 そこまで喋った所で、波留は咳払いをした。少し長い話になってしまったらしい。それでも彼は喉を整え、更に続ける。 「僕はAIやアンドロイドが普及している現在、その傾向は増していると思います。何せ彼らは外見上は人と変わりなく、自律思考型AIともなればその思考も人間に限りなく近付いているのだから」 そして波留は、ソウタを改めて見つめた。口許を押さえ、それ以上の言葉を発しない。どうやら彼の話はここで終わりと言う事らしい。ソウタはそう把握した。 |