海上においても、流星群は静かに流れ続けている。穏やかに波打つ沖合いの海は、月と星の明かりと共に流星の光をも反射していた。 無数の光が乱反射して輝いている。波留はそれに似たような物を見た覚えがあった。 ――ああ、そうか。気象分子散布実験時の、メタル内での観測か。 あの時はメタルの海中からそれを眺めやっていたものだったが、もしメタルに存在しない海上と言う場所から見やったならば、こんな感じだったのではないだろうか?彼はそんな感慨に耽る。 同時に、人類にとっては最悪のものとして刷り込まれたその存在を、懐かしさすら感じて思い起こした事を意外に思う。確かにあの気象分子は単なる物質であり、それを作り出した研究者を含めても誰の悪意も含まれていない。只、使い方が悪かっただけだ。しかしあのような結末をもたらした以上、その再実験など世界中の誰も許さないだろう。 流星やその他の星を映して光点に満ちた海面を眺めつつ、そんな事を彼が考えている時だった。隣に座る青年が、声を発した。 「――波留さん」 「はい」 ソウタに名を呼ばれ、波留はすぐに頷いた。穏やかに微笑を浮かべ、年下の青年を見やる。 波留に対してソウタの表情は硬い。緊張の面持ちで波留に向き直っている。覚悟を決めるように軽く息を吸い込んだ後に、彼は口を開いた。 「この場を借りて、お願いがあります」 言い終えたソウタは、大きく頭を下げていた。波留の反応を待つ。そこに返って来たのは、相変わらず静かに優しい声だった。 「判っています」 「…そうだったんですか」 予想通りと言わんばかりの波留の反応に、ソウタは呆気に取られた風な声を上げている。ゆっくりと顔を上げ、そこに浮かぶ意外そうな表情を年長者の前に晒した。 「何かなければあなたがこんな風に僕に取引を持ち掛けるなんて、あり得ませんよ」 「やっぱりお見通しですか…」 ソウタは右手で頭を掻き、苦笑した。それに、波留も笑う。 その時海風が吹いてきた。波留の長髪は水を含んだままだったがそれが煽られる程度に強い風だった。それを浴びると、水に濡れた波留からは体温が奪われる。彼は掛けられている毛布を掴み、胸の前で合わせた。 あの統括部長オフィスにて、波留はソウタに今回の潜水観測の許可を申し出た。それはとても重大な案件と成り果てたのだが、それを認可するに当たってソウタは条件を出してきた。 それこそが、今回の観測船への同乗だった。 ソウタはあの時、波留に対して「自分もその観測に同行させて欲しい」と持ち掛けたのである。 流石にそれは波留には予想外だった。ソウタは海洋観測は全くの門外漢であるはずで、それに興味を持たれるとは思ってもみなかったのだ。 しかし人工島のハードウェアとしての管理運営もまた電理研の重要な業務内容であり、それに関連するかもしれない潜水観測には部長代理としては付き合いたくもなるのかもしれない。 或いは地球律絡みの観測ともなれば、7月末のあの大事件に互いに深く関わり合ったのだ。「久島の弟子」である彼は、久島が去ったその先にも波留が何かを見出したとすれば、またそこにある地球律の謎を垣間見たくもなるのかもしれない。 波留はそんな風に部長代理の心理を推測しつつ、その同行を了承していた。と言うよりも、彼に選択肢はなかった。何せ観測に関する許可を出すのは、そもそもソウタの方なのであるのだから。 が、今日を迎えてみて、波留はそれらの可能性は当て嵌まらない事に気付いた。ここに至るまでに、ソウタがこの観測に同乗したかった理由を見抜くだけの要素を波留は見出していた。彼はそれを口にする。 「――ホロンの事ですか?」 その明確な名前を出された事に、ソウタは面喰っていた。驚きに声が出ない。目を丸くして波留を只見つめていた。さざなみの音が彼らの合間を埋めてゆく。 やがて、ソウタは右膝の上に右手を当てた。そこをゆっくりと撫でつつ彼は口を開く。その口許に浮かぶものは、やはり苦笑だった。 「…参ったな。そこまでお見通しだなんて」 「あなたを見ていれば判ってしまいますよ。だからこそ彼女を電理研に残しているのでしょうし」 右足が動かないソウタでは、波留のサポートはあまり見込めない。おそらくはその建前でソウタは乗り込みたいだろうに、それを出来ないのである。ならば秘書であるホロンを伴って乗船してくる事が考えられた。ホロンに波留のサポートを肩代わりさせるのだ。 しかし、今回それを行わなかったのだ。それどころか波留は今回ホロンとは一切顔を合わせる機会がなかった。貸し与えた観測船を訪れたソウタは独りであり、ホロンは電理研に残してきたと告げるのみだった。 だとすれば、ホロンを同席させたくない事情があるのだ。ソウタに考えられるそんな事情と言えば、たったひとつである。波留はそれを以前から知っていた。 ソウタは改めて波留に向き直った。ふたりとも甲板の縁に寄りかかる格好で腰を下ろしていたが、その体勢を崩そうとはしない。楽な体勢で真面目な会話を行うと言う奇妙な状況ではあった。 「波留さん。ホロンの設定の件について、お願いがあります」 「何でしょう?」 彼らにとっては特別な意味合いでホロンと呼称されるそのアンドロイドの設定は、現状において非常にややこしい事になっている。 彼女は「タイプ・ホロン」と呼ばれるシリーズの公的アンドロイドであり、元々は電理研の所有物である。彼女と同機種のアンドロイド達が、それぞれの業務に合わせたプログラムをインストールされて電理研にて使役されていた。 しかし彼女個人を選択し、システム管理者となった久島は、彼女の脳機能を独自にセットアップし直した。そこに介助用としてのプログラムを主に追加インストールしたのである。更に何を思ったか格闘系プログラムも入れた挙句、当時介助を必要としていた老人だった波留をマスターとして仕えるように彼の元へと送り込んでいた。 しかし、現在の波留は、見ての通りの五体満足な若者である。どう考えても介助を必要とする立場ではない。そんな事情もあり、波留は電理研にホロンを返却している。それ以前にホロンが初期化されたりもしているのだが、この件については直接的に関係はしていない。 電理研に返却されたホロンだったが、設定を変更していない以上、波留をマスターとしたままである。そのマスターから「統括部長代理であるソウタ君の秘書としてサポートをお願いするよ」と、彼女はその指示を受けていた。 アンドロイドにとってマスターの命令は絶対である。かくして彼女はその命令を今まで守り通し、結果的にマスターでも何でもない蒼井ソウタを現在の「実質的な主人」としているのだった。 逆説的に言うならば、実質的な主人に過ぎないソウタでは、ホロンの設定変更は不可能なのである。アンドロイドのシステム設定変更の権限を持っているのはマスターとシステム管理者のみである。彼はそのどちらにも当て嵌まらない。システム管理者である久島が現在リアルに居ない以上、形式的なマスターである波留を頼る他なかった。 「アンドロイドは人間に奉仕する存在です。その原則は俺も良く判っているつもりです」 波留は頷き、ソウタに先を促した。ひとまず彼は聞き役に回るつもりであるようだ。ソウタも頷く。自分が思う事を口にしていこうと考えた。 「その設定は、必要最小限までに緩める事は出来るんでしょうか?」 波留はその要求めいた問い掛けに、首を傾げた。どうやらソウタはそれを望んだが故にこんな事態を招いているようだったが、波留にはその理由が判らない。だから波留は右手を振り、無言で指図を行った。意見者にその先を求める。 ソウタは強く頷く。瞳に光が篭り、強い意思が感じられるようになってゆく。彼の中でその考えが纏まりつつあるようだった。 「俺は彼女をアンドロイドだなんて思っていません。波留さんにも以前言われた事がありますが、彼女を独りの人間として見ています。――その後、彼女は初期化してしまいました。俺はそこで迷ってしまった」 ソウタは右手に拳を作り出していた。その手をぎりぎりと握り締める。そこに視線を注ぎ込む。顔を歪め、眉を寄せた。伏し目がちに心情を吐露してゆく。 「あのまま俺は変わらず彼女を愛し続けられるのか。そこに自信がなかった。――でも、今になってようやく判ったんです。俺はやはり、彼女が好きだ。彼女は俺にとって、人間と同じ存在なんです」 そこでソウタは拳を横に振り下ろす。それは勢い良く彼の足を掠め、甲板の縁に当たりそうになった。しかし彼は何も気にしていない。その手を開き、持ち上げてきて顔の前で大きく振った。身振りを交えて強い言葉が発せられる。 「俺はオウムに愛を説いているつもりはありません。そして同様に、彼女にも自分の事をオウムだなんて思って欲しくない!」 |