波留は船体に装着されている梯子を伝い、甲板へとその身体を導いてゆく。その上にはソウタが待ち構えていて、両膝を突いて彼の到着を待ち構えていた。 梯子が終わりに近付き、波留は甲板に辿り着こうとしていた。そこに上から手が差し伸べられる。膝を突いたソウタが前屈みになり、腕を伸ばしてきていた。 昇り続けていた波留は、そこに来て中断する。その差し伸べられた手をまじまじと見やった。 「――…大丈夫ですか?」 「多分」 気遣うような波留の問いに対し、ソウタは苦笑気味にそう返していた。自分でも確証が持てていない様子である。 それに波留も僅かに笑いつつも、差し出された手を掴んでいた。軽く力を込め、梯子を頼ったままではあるが身体を甲板へと引き上げようとする。 体勢としてはソウタの手にもある程度の重心を掛けるべきなのだが、不用意にそんな事をしては彼を海に叩き込むような気がしてならなかった。だから重心はあくまでも梯子として、安全策を取っている。 そして波留の試みは思惑通りとなり、自らの身体を甲板に持ち上げていた。手を掴まれているソウタは波留の力に若干引き摺られて甲板に突っ伏していたが、どうにか大丈夫そうではあった。 「…なかなか上手く行かないですね」 苦笑を深めながらもソウタは両手を甲板に突いた。自らの身体を起こし、船の縁に寄りかかって座る。 「ソウタ君のその足では仕方ないですよ」 波留がそんな感想を漏らす。彼もまたソウタの隣に腰を下ろした。その隣からバスタオルが差し出される。波留は頷き礼を言い、白いタオルを髪に被せた。結んだままの髪だったが、その流れに沿って拭き上げてゆく。 周辺から響いてくるのは波の音のみである。この船もエンジンを停止しているために、やかましいはずのその音は現在は伝わってこない。見上げると空には満月が浮かび、秋の夜空が澄み渡って星が輝いていた。そして今日は、その合間を縫って流星が落ちてきている。 波留は流星を見上げつつ、タオルを肩に掛けた。口許に笑みを浮かべ空を見上げたまま、言葉を発する。 「――始まったようですね」 「ええ」 隣に座るソウタも頷いた。彼も夜空で行われている天体ショーに視線を注いでいる。 人工島から一定の距離を取ったこの地点では、彼らの周りに光を発するものは何も存在していない。視界を遮るものは前方の人工島そのものしかなく、それも距離があるために大した影響もない。ショーを楽しむには絶好の位置と言えた。 南海の孤島である人工島は、その立地条件からして天体観測に適している。その付近の海上から流星群を観測する事は、天体観測の研究者を始めとしてアマチュア愛好家や単なるショーとしか見ていない人間に至るまでが考えていた。 しかし評議会もそれを想定し、厳密に許可を与えた船にのみ航行許可を与えていた。更に波留達の場合、この近辺には他の船は立ち入り制限するように勧告されていた。その勧告命令を出したのは、他ならないこの電理研統括部長代理のソウタである。 もっとも彼らの場合は天体観測のためにこのような手段に出ているのではなく、海底調査の一環だった。そして日時を指定したのはソウタではなく、その調査計画を立案した波留の方だった。 「――折角ですから、評議会から消灯の通達が出される時間帯に観測を合わせたかったんですよ。出来る限り地球律の影響が強まる時期に観測したかったもので」 空を見上げつつ、波留は若干言い訳するように説明を繰り返していた。7月28日のあの日には電力とメタルが停止しており、彼が今回の観測をソウタに持ちかけた数日後には類似した環境を満たす日時が訪れようとしていた。 となれば、それを利用したいと思うのが人情である。無理と知りつつ波留はソウタにその計画書を提出し、ここまでに相当の無理を重ねてきているソウタは更に首を捻る羽目となった。が、ここまで無理を重ねているのだから、それ以上の事は最早どうと言う事も思えず、結果的に今日の観測が実現する運びとなっていた。 「それが今日のこの時間と言う訳ですね」 「そうなんですが…こんな大事な時間に電理研に居なくていいんですか?電力制限掛かっているんですから、非常事態ではあるでしょうに」 波留はそう問いかけていた。この状況はあの日を連想させるのだから、電理研の様子もまたそれを連想してしまうのだ。しかし対するソウタは涼しい顔をしていた。満天の星空を見上げている。 「これはあの地球律襲来とは違い、予定されている事です。シミュレーションは万全ですし、ホロンは残しています。何かあったら彼女から連絡が来ますし、前回と違ってメタルが生きている以上アバター通信があるのですから、俺が居る場所には然程意味がありません」 波留はその言葉に若干の呆れたような顔をする。が、すぐに微笑んだ。 「まるで久島のような事を仰いますね」 「え?」 「すっかり部長代理が板に着いていたようです。人工島にとって、それはとても良い事なのでしょう」 優しい口調で波留はそんな感想を口にしていた。それにソウタは口篭る。 果たして波留はお世辞のつもりで言っているのか、それとも本心なのか。ソウタにはそこが良く判らず、結果的に表情が硬くなっていた。俯き加減に、自らの心に沸き上がる感情を、言葉にして吐露する。 「…俺はまだまだ先生の足元にも及びませんよ」 「まあ、そう言う事にしておきましょう」 柔らかく微笑む波留に対し、ソウタは顔を赤らめた。自分のこの台詞に限って言えば謙遜ではなく本心だと言うのに、それをあっさりと交わされた気がしたからだ。 彼は誤魔化すように隣に手を伸ばし、そこにある毛布を掴んだ。さっと波留に差し出す。 「夜ですし、風が吹いてきたらきっと身体が冷えますよ」 「ありがとうございます」 無造作な勢いで差し出された毛布を、波留は笑って受け止めていた。バスタオルで身体の表面に残った水分をある程度拭いてしまう。 そこに暖かい空気を含んだ毛布を巻きつける。――今のそう言う態度は妹さんに似ていますねなどと言ったら、彼は怒るのだろうかと、波留はふと考えていた。それを思うと、とても微笑ましい気分になる。 彼はこの兄と妹の事を、心の底から信頼し、気に行っているのだった。 |