波留真理は、珊瑚が密集している海中からゆっくりと身体を浮上させてゆく。 本来ならば海面に近付くに従い、太陽の光が降り注ぎ明るくなるはずだった。しかし今はむしろ、暗い。かろうじて月明かりがぽっかりと水面を穿っているだけだった。 彼はダイブスーツに逞しい身体を包み、大きなフィンを装着して緩やかに上昇して行っていた。いつものように後頭部で結んだ長髪は海流や彼の動きに従い、流れて揺れている。その顔にはゴーグルを装着し、視界を確保していた。 深海への潜水だったが、彼の選んだ手段はスクーバではない。タンクを背負わない身軽な身体が海面を捉え、勢い良く顔を突き出していた。その瞬間に大きく息をつく。口許に海水が纏わりつくのを感じつつ、彼は深呼吸をしていた。潜水中に消費した酸素を身体に補う。 海面に顔を出し、それに付き合う形で髪も上がって来る。長髪が含んだ海水が滝のように流れ落ち、彼が首を振る事でそれは促進された。 数度の呼吸で波留は平静を取り戻す。左手を海面に持ち上げ、そこに嵌められたダイバーウォッチに視線を落とした。 ゴーグル越しの視界ではあるが、そのデジタル画面には今日の日付である2061年10月21日と22時を回った頃の現在時刻、そして今のダイブでの最深度が表示されている。夜闇の中ではあるがデジタル画面自体が発光し、また月明かりがそれを補っていた。 「――やはり、この深度では感じられないものか」 波留はその数値を確認し、ぼやくようにそう呟いた。耳元に両手を掛け、顔を覆っているゴーグルを上にずらした。これは海水と水圧から視界と眼球を守るためのものだが、水上の人となった今では無用の長物である。 ゴーグルを顔から外し、改めて顔を横に振る。前髪が水を含んで垂れてきて顔に張り付いた。海水が顔に筋を作る。彼はグローブに覆われた右手で顔全体を拭った。 「――波留さん」 そんな波留に対し、声が掛けられた。名を呼ばれたダイバーは振り返り、近くに停泊している小型船に視線を送る。 その甲板の上には、短い黒髪の青年が立っていた。波留に対して片手を上げている。彼は最近の様相とは違い、青いシャツにジーンズを着ていた。しかし傍らに白い杖をついているのには変わりがない。 「――ソウタ君。今からそちらに上がります」 波留は彼の姿を認め、そう呼びかけていた。遠くに位置するのだから電通で意思の疎通を行っても良いはずなのだが、何故か彼らは声を張り上げていた。 |