隔離病棟は他の病棟よりも小型のビルである。その分、屋上の面積も狭かった。 ミナモは後ろ手にノブを捻り、扉を閉める。そして正面を見た。 電理研付属メディカルセンターは市井の人間が利用する事もあり、商業区画の外れに存在している。傍にある居住区画は一段低い場所にあり、その上を高架状に陸上運送用の道路が走っていた。その中央部には太陽光発電に用いられる巨大な集光ミラーがその存在を誇示していた。 本来ならば、その付近には月面基地から照射されるマイクロウェーブを受信する施設が存在している。しかし現在の時間帯は人工島で評議会命令で消灯が行われており、夜間の空に目立つガイドビームもその例外ではない。この数時間、電力の使用は必要最低限に抑えられているが、それを補う発電量も減少している事となっていた。 病棟の屋上からは居住区画を見下ろし、正面側には集光ミラーを見る状況になっている。人工島の地上区画は景観への配慮により建築物への基準が厳しく、建物の高さも他の年に較べて抑えられたものが多い。そのために3階建ての建物でも人工島では相対的に高い代物であり、遠くを見通す事が可能だった。 ミナモは車椅子を押しながら、ゆっくりと屋上の中央へと足を進めてゆく。屋上の四方は転落防止のための網目状のフェンスに囲まれているが、視界を遮るような高さではなかった。車椅子に座っている久島の視点は彼女よりも低いのだが、その彼にとっても周囲を見渡すには充分であるようだった。 彼女は中央で足を止める。そして空を見上げると、満月が天頂へと向かっている。そしてその周辺には無数の星が輝いていた。10月下旬の常夏の空気は湿度を伴わないために僅かに冷たい。 眼下の地上には居住地区を始めとして無数の建物が存在するのだが、消灯の指示のために光は殆ど見られない。商業区画には流石に光が点在しているが、それは普段とは違う光景だった。 少し歩いた先にあるメディカルセンター本棟では、流石にあちこちの部屋に灯りがついていた。医療機関ともなれば消灯命令からも除外される部分も存在するだろう。当然の話だった。 そんな状況をミナモは自らの目で確認する。そしてふと、視線を落とした。彼女の前の車椅子に座っている久島を見やる。 彼は目を開けてはいた。しかしその表情は硬いままで、感情を表してはいなかった。両腕を肘掛けに置いたまま、微動だにしない。 不意に、一陣の風が吹き抜けて行った。夜風が遮るものがない屋上を渡り、ミナモの髪とセーラーを大きく揺らす。常夏とは言え強い風では冷たさを感じる。ミナモは目を細め、額を押さえた。その手や半袖の制服から露わになっている二の腕に自身の髪が触れ、当たる。 その風は、低い視点にある久島にも平等に襲い掛かっていた。突然の空気の襲来に彼もまた目を細める。義眼を保護しようと、瞼が半ばまで降りた。そこに前髪が大きく揺さぶられる。纏わり着くように動く前髪が目許に入る。 彼は眉を寄せた。鬱陶しげに顔を振る。俯いた事で更に前髪が落ちて乱れるが、彼はそれに気付かない様子で顔を顰めていた。風が収まった後にもその態度は続けている。 ミナモはそんな久島の様子に気付いた。彼女自身は風で乱れた髪を手櫛で整えている。それに満足した段階で視線を落としたのだが、彼女の前で義体が乱れた前髪に戸惑い顔を振っている光景に出喰わした。 思わず彼女は、その様子に微笑んでしまう。笑ってしまってはいけないのかもしれないが、何処か子供のような行動に少女の笑いが誘われたのだった。 「――久島さん」 ミナモは笑いを浮かべたまま、背後からそっと彼の髪に手を触れた。そのまま前髪を摘み上げ、手櫛で撫で付ける。額に触れる指先が眉間にも触れ、ミナモはそこに皺が刻まれているのを感じた。それにますます笑いを刺激される。 「…風が強い」 ミナモに髪をいじられるままに任せ、俯いている義体の口からそんな感想が漏れていた。それはミナモには、まるでぼやきのようにも聴こえる。だから笑顔のままにそれに応対していた。 「風ってのは、そう言うものです」 「そう言うものなのか」 「はい」 傍から見たら馬鹿のような会話ではある。しかし少なくとも一方は大真面目でその言葉を漏らしていた。 義体は眉を寄せつつもその顔を上げる。視線を上げ、空を見上げた。 その彼の視界の先の夜空に、ぽつりと一条の光が走る。輝く星の合間をすり抜けるようにそれは落下し、消失した。 そしてその光はその周辺から更に出現する。やはり夜空に光の線を残し、消え去ってゆく。 「――…流星」 「はい」 義体が静かに発したその単語に、ミナモは満面の笑みで頷いていた。彼女もまた車椅子の持ち手を掴んだままその夜空を眺めている。久島が視線で追っているものと同じ光条を見やっていた。 「私も詳しくは知らないんですけど、今晩って流星群のピークの日なんだそうです。だから人工島も消灯するって話になってるらしくって…」 言いながらミナモはゆっくりと膝を曲げる。車椅子に座っている義体に視点を合わせた。彼の顔を覗き込む。満面の笑みを浮かべたまま、彼女は話し掛けた。 「だから、久島さんにも見せてあげたくて」 その言葉に、義体はミナモの方を見た。首を曲げて彼女の方を向いている。その瞳には僅かに何らかの感情が表れているようにも見えていた。 そして彼は首を傾げる。無言のまま、再び正面を向いた。そのまま空を見上げる。空からは流星が断続的に降り続いていた。それを彼は瞳に映し出している。 |