久島永一朗の義体を現在使用しているそのAIは、肩を掴まれ揺らされているのを感知していた。そして少女の声を聴覚が捉える。その声を、AIは機械的に蒼井ミナモのものであると判別した。 スリープモードに移行している彼は、外部からの入力に反応しないようになっている。ある条件を満たした段階で、彼は意識を再起動させ通常起動するように事前に設定していた。入院し事情を知らない人間達に姿を晒しているこの現状において、その起動条件は細かく設定する事にしている。 彼は、義体の座標位置が自らに割り当てられた病室にある事を絶対条件としている。この病室のみが監視されていない環境だからである。 そしてそれに付加して、今晩は蒼井ミナモの声と身体への一定以上の負荷を条件としていた。つまり、ミナモが彼を起こそうとすれば、人間のように目覚めるように設定したのである。同じ部屋に彼女が泊まる以上、そうした方が好都合だと思われたからだ。 彼は実際に今、その条件を満たしている。こうなると各種プログラムが再起動を開始してゆき、徐々に彼の電脳は目覚めて行った。座標を確認すると共に自らのメタルに接続し、現在の時刻を確認する。21時頃であると表示されていた。 彼の身体の殆どはプログラムがインストールされていないために機能しないが、それでも少ない感覚が自らの状況を捉えてゆく。ベッドに横たわっている身体を感知し、顔だけが唯一何にも覆われていない事を確認する。露わになった頭部の肌に備わった熱感知が気温を察知し、ゆっくりと瞼を上げる。視界を確保しようと試みた。 義眼が最初に捉えたものは、室内の暗闇だった。光量が足りないために、その調整には人間同様数秒を要する。しかしそれを過ぎ去れば、暗いながらも彼は人間程度の視界を有する事が出来た。 「――久島さん。起きました?」 少女の弾んだ声を、彼は耳にする。どうやら彼女も肩を掴んで揺すっていた義体が目覚めたのに気付いたらしい。 ミナモが彼の枕元に立っていて、にこにこと微笑んでいた。その制服姿の少女は彼の肩に手を当てたまま、壮年の男性の顔を覗き込んでいる。 義体はそのミナモの顔をじっと見上げていた。どうも、様子がおかしいと彼は思う。自分が起こされるような事態ならば、もっと深刻な表情をしていてもいいはずだ。しかしそれにしては、この少女は笑顔全開である。 「…蒼井ミナモ。何か問題が発生したのか?」 彼はそう疑問を口にしていた。しかし、彼は問いつつも別の可能性に行き当たっている。――この少女ならば、興味本位で私を目覚めさせてもおかしくはないのか。 このミナモとは、自分を「久島」と呼んで、話す事を厭わない少女である。実際の「久島永一朗」は、最早この場には居ないと言うのにだ。そんな彼女がここに一晩泊まるとなると、やはり自分は話相手になる必要に迫られるのかもしれない。――彼は自らのAIにその考えを巡らせていた。人間にそれを求められた時のために、その対処を考慮し始める。 義体の問いにミナモは答えない。微笑んで身体を起こし、肩から手を離していた。ミナモ自身は彼の再起動条件を把握していた訳ではなく、只、人間を起こすように扱っただけである。 その彼女が、膝の前で両手を合わせた。人工島中学校の制服である短いスカートを整えた。そしてその姿勢のまま相変わらず義体を覗き込み、話し掛ける。 「久島さん。着替えましょう」 ミナモのその申し出に、義体は軽く瞠目した。それは彼にとって、全くの想定外の台詞だった。 彼は入院している現在、病院服を纏っている。そして彼は義体なのだから、新陳代謝は義体の維持以上には行われない。車椅子とベッド、そして検査用の機材などへの移動の際に衣服に皺が寄る程度の話だった。人間のように毎日着替える必要はない。機密の保持のためにはメディカルセンター本棟との行き来をなるべく減らしたい現状において、それは好都合だった。 ――そんな自分だと言うのに、この時間にわざわざ起こしてまで着替えさせる必要は何処にあるのだろう。彼は怪訝に思う。 彼がそんな顔をしているのをよそに、ミナモは手早く動いてゆく。彼女は部屋の一角にあるクローゼットを開いていた。観音開きの扉の向こうに身体を突っ込み、腕を伸ばす。久島の入院以来そこに収まったままになっていたスーツの一式を、ハンガー毎取り出していた。 その様子に、義体は更に疑問を抱く。よりにもよって着替えろと言う衣服はそれかと思ったのだ。 歩いてきたミナモはベッドの上にそれらの衣服を広げる。羽毛布団の下に横たわる義体の下半身を覆うように、ジャケットやスラックス、ベストやシャツやネクタイなどがハンガーに掛けられたままの状態で並べられた。 そしてミナモはベッドのコンソールを覗き込む。未電脳化者である彼女は、コンソール上にコントロールパネルを表示させた。タッチパネル上のそれを操作して、ベッドのリクライニング機能を作動させる。 ベッドの動きに従い、横たわっていた義体の上体が持ち上がる。彼は身体をマットレスに預けたまま、上体を起こしていた。そして浮き上がった視線を下に向ける。動かない両脚を覆う柔らかい羽毛布団と、その更なる上に陳列されている自らのスーツ一式を眺めやっていた。 コンソールに対して屈み込んでいるミナモは、リクライニングの角度を慎重に調節する。そして彼女の満足が行った時点で、立ち上がった。久島の隣に立ち、起き上がった彼に付き合い上体に掛けられたままになっていた羽毛布団をそっとずらした。折り畳んで腰の辺りで纏める。 笑顔でミナモは義体に呼び掛け、病院服の前を緩めた。生体が発するような臭いはそこにはない。 「――…何故私は、それに着替えなくてはならないのだ?」 義体は病院服を脱がされつつ、ミナモにその問いを発していた。眉を寄せてミナモと脚に掛けられた状態のスーツ一式を見やる。 ミナモはすっと視線を上げた。彼女は優しく微笑んでいる。病院服の上を脱がせて露わになった義体の肌を眺め、身体を引く。やはり足元に病院服を折り畳んで置く。そしてその近辺に置かれていたシャツを掛けたハンガーを手に取った。 「だって、そうした方が良いと思うから」 そんな作業を行いつつ、ミナモはそう答えていた。ハンガーを掲げて持ちながら、もう片方の手でシャツを一気に撫で下ろす。数日間クローゼットに収めたままにしていたが、皺が寄っていないかとチェックしていた。 そして彼女の目標は達せられ、笑顔で久島に向き直る。ハンガーからシャツを外し、それを彼の肩に掛ける。 義体は訳が判らないと言いたげな表情を浮かべたまま、首を傾ける。自らに着せられてゆく白いシャツを見やる。しかしAIの根本設定として不用意に人間に対して抵抗する事はせず、彼はそれを受け容れていた。 ミナモは義体の腕を取る。丁寧に肘の辺りで曲げさせ、シャツの腕に通す。その両腕をきちんと衣服に収めさせ、胸の前でボタンを止め始めた。そんな最中にミナモは元気一杯に宣言していた。 「――流星、見に行きましょう!」 |