ミナモが帰路に着いた頃には、空模様は太陽と青空から月と星空へと変化していた。
 常夏の人工島は10月中旬と言えども暖かいが、太陽が姿を消した夜ともなれば若干の涼しさにも見舞われる。彼女は水上バスから降り、人工島中央部に位置する住宅区画を歩いていた。夜とは言え歩道には街灯が立ち並び、夜道を照らし出している。
 更に街灯は歩道に並行して走る水路の水面にも反射する。空から降り注ぐ月と星の灯りとも相まって、充分な明るさを確保していた。
 歩道のあちこちにはPGと呼称されるガーディアンロボが格納されており、通報に拠り自動的に稼動する設定になっている。彼らは可能な限り人間を傷付けない設定にされてはいるが、数で掛かって拘束する事には長けており、人工島で発生するような犯罪に対してはそれで充分であるはずだった。
 ミナモがこの時間帯に住宅街を歩いている事は、然程珍しい事態ではなくなりつつある。成長してくれば門限の時間も遅くなるのが常であり、実際に彼女は15歳にしては多忙だった。進路を見据えた実習があり、更には今回のように別件で依頼を抱えたりもしている。それでも酷く遅くには帰宅しないように、周りからは気を遣われていた。
 彼女は歩きつつ、肩に掛けたトートバッグの紐を掴み、そこに留める。学校帰りの荷物がそこに収まっており、重量もそれなりに掛かっていた。未電脳化者の彼女の場合は接続バイザーがその容量の大半を占めてしまっているのだが、今日は音楽の授業があったためにリコーダーのケースが納まっている。
 それは教室に置いて帰っても構わないのだが、彼女は練習したいがために持ち帰っていた。そして先程もああして練習していた事になる。
 住宅街には人通りがないが、立ち並んでいる住宅には灯りがついている。必ずしも無人ではないと判る光景に人は安堵する。そこを貫き通りながらも、ミナモは思いを馳せていた。
 あの時、久島の義体は身じろぎもせずにじっと窓の外を眺めていた。そして、ミナモの演奏を聴いていた。それは、彼女自身にとっては下手で聴くに堪えないと思っている演奏だった。そんな拙い演奏も耳にしていた。
 ――久島さんは、それを知りたいのだろうか。
 ミナモはそんな考えに至る。
 彼は、実際の空を見た事がないはずだった。
 起動して以来ずっと深海の電理研に居て、7月以降はあの最深部の部屋に閉じ篭っていたと彼女も伝え訊いていた。存在を隠匿されている以上、彼にはその選択肢しか遺されていないと知っていた。
 彼は――空も海も風も、実際に感じた事がないのだ。私はとても当たり前に感じているものだと言うのに。
 だから、私なんかに、色々と話し掛けてくるのだ。大した事も答えられないこの私に。
 「久島さん」の記憶を引き継いでいるのならば、それらの記憶も彼の中にあるのだろうか?それと、直に感じた事とはまた別になるのだろうか?彼はどう処理するのだろう。
 住宅街を走る歩道を歩きながら、ミナモがそんな事を考えていた時だった。
 不意に視界の何処かで一条の光が細く走った。まともに注視していた訳ではないので詳細は判らないが、とにかく彼女はそれを感じていた。気付いた彼女は顔を上げる。夜空を見上げた。
 星が輝く夜の空に、またひとつ線が走っていた。小さな点が暗い空に現れ、すっと落ちて消えてゆく。それは連続して発生する訳ではなく、彼女が目撃して以降にはなかなか次が来なかった。
 ――流星?
 ミナモはその可能性に思い至った。夜空を眺めていたなら流れ星を目撃する事もあるだろう。しかし、立て続けに2個現れる事は、そうはないはずだった。
 少女は足を止め、首を曲げて高い空を見上げている。南海の孤島である人工島の天頂には星が強い光を発して輝く。環境に配慮したエネルギー効率を図っている社会であるために空気も澄んでいて、光が通り易くなっていた。それでも、地上の光は人々が生活を営む証拠ではあるが、それがぼんやりと輝いていて来ていて天頂の光を若干打ち消していた。
 そこに、彼女の脳裏にひとつの台詞がよぎった。
 ――彗星、来るんだっけ?
 それは、今回の依頼を受ける直前に、アンティーク・ガルにてサヤカが漏らした言葉だった。
 それを思い出したミナモは、はっとする。その時会話した内容を思い出してゆく。今月中に天体ショーがある、その際に電力使用の自粛を呼び掛けてくる…――確か、そう言った話が出ていた。
 途端、ミナモは走り出す。トートバッグの肩紐を懸命に掴み、歩道を勢い良く走っていた。彼女の髪がその動きに従い、流れてゆく。大きなリボンが存在を主張するように揺れた。
 走りながらも彼女の顔には笑みが浮かんでいた。それは確信に満ちた表情とも言えた。
 ――そうだよ。きっと、出来るよ。
 久島さんに、教えてあげられるよ。
 ミナモは心の中でそう繰り返す。彼女には思いついた事があり、そのためにはどんな事もするつもりだった。
 息を切らせて走る少女の頭上では、3つ目の流星が仄かに流れて消えていた。
 
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