――その波留からの申し出には、流石にソウタはすぐに発言出来なかった。弾かれたように顔を上げる。瞠目し、波留をまじまじと見つめていた。しかしその先にある青年の穏やかな笑顔を見た後には、口許を押さえ、再び俯く。手の間から垣間見える口を真一文字に結び、黙り込んだ。 この時点でようやくソウタは、それこそが本題なのかと気付いていた。今までの容易に解決出来るような申し出は、あくまでも前置きに過ぎなかったのだと。 そして――だからこそ該当部署ではなく、一足飛びに統括部長代理と言う最高幹部の元を訪れ、その斡旋を依頼したのだと。 波留が言うように、潜水調査自体は個人でも出来る。それがメタルを満喫する人工島と言うものである。 しかし人工島周辺海域は人工島の領海である以上、個人での占拠は法的根拠を持たない。小規模な観測はメタルを用いて勝手に行う事は出来るだろうが、それは50年前とは違い大規模な機材を使用しないが故のお目こぼしによるものに過ぎない。仮に観測が他者の邪魔になった場合には、素直に中断して退去する必要があるだろう。 トラブルを防ぐためにも、人工島を管理する一機関である電理研の許可は取得しておきべきである。学生や個人研究者からそう言った申請が出される事は少なくないし、電理研も余程の事がない限り許可するものだった。何故ならば彼らが行うのは小規模な観測なのだから、船舶の往来などと然程妨害しないからである。 しかし、調査中の時間帯とポイントに、船舶の往来制限を行って欲しいなどと言う申請は、まず出されない。それは四方を海に囲まれた人工島の運営に介入する事になるからである。それを敢えて行うような事態とは、電理研の公的調査レベルの重要度を持つ案件となるだろう。 それを自分のためにやってくれと、波留は統括部長代理に申し出たのである。もしこの場に誰かが居合わせたならば、にこやかな顔をして大した神経だと確実に思うだろう。これは、それ程までに大それた要求だった。 「それに…電理研を通しておけば、今後そちらの観測データも比較のために閲覧出来ますし」 俯き考え込んでいるソウタを見下ろしつつ、付け加えるように波留は言った。ソウタには波留の顔は見えないが、声の調子からして今まで通りに穏やかに微笑んでいるのだろうと想像はつく。 しかしソウタはそれには惑わされなかった。電理研内でのデータの普遍化はあくまでも副産物に過ぎないと気付いていた。――全く、色々な意味で大した人だと彼は思わざるを得ない。 とは言え、ソウタはその先の可能性にも思いを馳せていた。 ――波留さんがここまでするとは、一体どういう観測だろうか。 彼が知る波留真理と言う人物は、自らの能力を全く驕らない人間だった。正に自然体に生きている人間である。その彼が、賢しげにこんな事を言い出すのだ。統括部長代理との繋がりを恣意的に利用しようとしているのだ。 彼にそこまでさせるような案件など、俺が知る限り、そうはないだろう。――ならば、おそらくは、そう言う事なのだ。 ソウタの脳内では考えが収斂してゆく。デスクの上で両手を組み直す。緊張のせいか、その手は若干冷たくなっていた。それに彼は気付きつつも、顔を上げた。波留を見上げる。 視線の先にある波留の表情はやはり柔らかく微笑んでいて、それをソウタは普段通りだと思う。その顔を真っ直ぐに見据え、ソウタは口を開いた。 「――波留さんがそうまで拘ると言う事は、地球律に関わる観測なのですね」 その台詞に、波留は僅かに口を開いていた。軽く驚いたような顔をする。 「…そうなりますかね」 波留はそう答えつつも、感服したような声を上げていた。波留としてはそこに100%の確証を得ている訳ではないのだが、そうではないかと言う仮説は抱いていた。――それを含めても、やはり彼には見透かされてしまうようだ。こちらが全てを説明しなくとも推測で真実に辿り着くのだから、有能な人間だ。 とは言え、7月までにはそう言った事件に、彼も巻き込まれて関わり続けていたのだから、それを連想して当然ではあるか――そんな思いを抱きつつ、口許が緩んでゆく。 波留の態度に、ソウタは自らの推測が肯定されたと感じていた。伏し目がちになり、ゆっくりと頷く。そして再び顔を上げ、波留を見やった。 「判りました。波留さんにはお世話になり続けています。これ位の事でお返し出来るとも思えませんが、実際に電理研のデータとして保存される観測を行うのです。電理研の観測実験の委託と言う名目にすれば、船舶の往来制限の通達を出しても第三者から文句をつけられる事もないでしょう」 ソウタは明確な言葉でそう告げる。彼は部長代理としての立場で、波留の要求に対して現実との擦り合わせを行ってみせていた。 「勿論、観測実験の計画書を提出して頂く必要がありますが、それは後日でも構いません。ともかく俺の名前で許可を出しましょう」 「――ありがとうございます」 波留は感謝の言葉を述べつつ、デスクに着いているソウタに対して深々と頭を下げた。その頭はなかなか上がる事はない。 彼としてはいくら感謝しても足りないと思っていた。自らの我儘に対して、部長代理の持つ強力な権限を用いて体裁を整えてくれるのである。これにより彼の観測は電理研のお墨付きとなり、横槍が入る事もないだろう。しかも電理研自体からの横槍も、部長代理直接の許可ともなればなかなか入ってこないはずである。これ以上の状況は望めなかった。 「――しかし、部長代理としての俺は、この件に関して結構な労力を使ってしまいます。ですからここで、俺からもひとつ条件をつけさせて頂きたいのです」 その言葉に、頭を下げたままの波留の表情が引き締まる。ゆっくりと顔を持ち上げた。その向こうに見えるソウタの表情は厳しいものとなっていた。眉を寄せ、両手をデスクの上で組み、真っ直ぐと波留を見据えている。 ――相当の無茶を言っているのだから、交換条件を求められるのは当然ではある。波留はそう覚悟し、硬い表情でその先を促す。 「…何でしょう」 「ええ…――」 ソウタは軽く頷きつつ、波留からちらりと視線を外す。横目でオフィスの入口付近を見やった。 その衝立の前にはホロンが控えている。秘書としての彼女が両手を膝の前で合わせ、待機状態で進路から僅かに立ち位置をずらして佇んでいた。 |