その頃には、地上においては夕陽が天頂に差し掛かっている。
 蒼井ミナモは人工島中学校の制服にその身を包んでいるが、その肩にはお馴染みのトートバッグではなく真新しい肩提げ鞄を提げていた。いつもとは若干違う姿のまま、彼女はその部屋の前に立っている。
 ミナモの前の壁の一部はガラス張りになっていて、室内の様子が彼女にも見通せるようになっていた。彼女はそこに自らの顔を僅かに映しつつも、その向こうを懸命に眺めようとしていた。
 横の窓から射し込んでくる強い陽光を、ミナモは身体の横に当てている。強力な南国の陽光であるはずだが、今の彼女にはそれは感じられない。空調が効いているひんやりとした空気に身を晒しているのが大きな要因だが、少女がこの状況に緊張し、一抹の不安も抱えているからでもあった。
 顔をガラスに突き合わせると映る顔も大きくなるのだが、彼女自身はそれを一向に気にしていない。そしてガラスの向こうで作業を行っている人々も、彼女の存在と行動とを特に目に留めてもいなかった。
 中学生の少女をガラスと壁面で遮られている先にあるものは、何らかの検査室だった。そこには様々な機材が配置されているが、部屋の中央には独り掛けソファー型の検査用機械がある。
 そしてそこにはひとりの人物が腰掛けている。彼は僅かに上体を前に倒し、背もたれに寄り掛かるような状態ではない。首筋と後頭部を晒していた。
 姿勢からしてうたた寝でもしているような感があったが、実際にはその首筋に存在する隠された端子も露わにされていて、その全てに様々なケーブルが刺されている。更にはその後頭部も頭髪ごとずれ、機械的な機構で開いていた。生身の人間のそれではない状況の中、その頭部の隙間にも細いケーブルが数本差し込まれている。
 それぞれに接続されたケーブルはソファーの隙間を伝って床に伸び、その向こうにある観測機材に繋がっていた。中型の演算機械の形式を持つその機材を、独りの白衣の男が操作している。
 観測機械はモニタを持ち、そこには何らかのデータが表示されているのだろう。しかし部屋の外に居るミナモには、それを眺める事は出来ない。それに自分が見ても判る訳もないとも思っている。
 ミナモは視線を巡らせる。機材を操作している技師の隣に立っている人物を見た。
 まだ年若い印象を受ける技師とは対照的に、彼の顔にはそれなりの皺が刻まれている。それでも酷く年老いている訳でもなく、中肉中背の中年男性だった。彼もまた白衣を纏っているが、その下に着ているものは電理研の制服である。それもまた技師との違いだった。
 その彼が、技師と並んで観測機材のモニタを覗き込んでいる。その最中、掛けた眼鏡を神経質そうに上げた。ミナモはその様子を不安そうに眺めている。視線の焦点を電理研のその男性に合わせた際には、それは何処か頼るようなものとなっていた。
 それもそのはずであり、ミナモが今視線で縋っている人物は蒼井衛と言う名前である。彼はその苗字が示す通り、ミナモの実の父親であった。
 不意にミナモの前にある壁面が光を発した。形態が変化し、その一部がディスプレイ状になる。そこには数式めいたデータなどが羅列されてゆく。ミナモはその光を顔に当てつつも、その内容は一切理解出来ない。しかし他にする事もないため、意味が判らないまでも手持ち無沙汰にそれを眺めていた。
 ガラスの向こうでは目立った動きは見られない。それでもミナモの前に提示されたデータは続々と変動しているために、計測は滞りなく行われているのだろう。それは彼女にも推測が可能だった。
 ミナモは顔を上げる。やはり不安な気分を心中から消し去る事は出来ず、右手を上げてそっとガラスに手を触れた。
 未電脳化者である彼女はその行為のみでガラスに干渉する事は出来ないし、そのつもりもない。只、指の腹をガラスに押しつけ、向こう側から透過されているケーブルに繋がれた人物の虚像に触れようとしていた。
 その人物は瞼を伏せ、沈黙したまま動かない。力ない両腕は膝の上に乗せられて纏められている状態だった。制服めいた水色の病院服を着ている。
 それは電理研統括部長の地位にある久島永一朗が使用する全身義体であり、現在83歳の高齢である彼の壮年時の容貌を模している。そして展開されているその頭部に収められているのは、当人の脳核だった。
 
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