様々な果物を投入して作成されたミックスジュースは完全な液体ではない。ストローに詰まらない程度には細かく砕かれてはいるが、固形だった果物の成れの果てがそこに収まっていた。 ミキサーから冷やされたグラスに内容物が開けられると、途端に果物の甘い香りがそこから漂い始める。一種類ではない以上、味わいも甘いものばかりではなく柑橘系のものもあるのだが、その甘い香りは絶妙なハーモニーを醸し出していた。 波留は微笑み、そのグラスにストローを刺す。そして目の前に座る少年の前に紙製のコースターを敷き、そこにグラスを置いた。コースターとしての役割と果たすだけの厚さを持った紙が、カウンターとグラスが接触した音を鈍いものとする。 笑顔でメタルダイバーの同僚兼先輩から手作りジュースを勧められた少年は、伺うようにその水面を覗き込む。礼の言葉は形式的かつ端的に述べたものの、他の殆どの台詞同様に感情は込められていなかった。 ストローを摘み、水面を軽く掻き回す。完全に液体になり切れていないせいか、彼はそこに若干の抵抗を感じた。内容物の色も一定ではなく、漂う断片は赤や黄色やオレンジと表現できるような色合いが微細に混ざり合っている。 やがて彼はストローに口をつける。軽く吸い上げてみた。 その様子を波留は流しに向かいつつも横目で見ていた。使用したミキサーの容器に蛇口からの水を注ぎ入れて洗う。彼はミックスジュースはあまり作らないが、レシピとしてはそこまで複雑なものではない。投入する果物の割合とその処理を誤らなければ、酷い味にはならないはずだった。 少年はストローから口を離す。何処となく腑に落ちないような表情を浮かべ、その先端を見ていた。 「――あんまり味しないな」 「そうですか?確かに素材の味のみで、特別に甘味をつけてはいませんが」 その評価に、波留は少し苦笑した。酷い駄目出しではないが、どうやらこの少年の口には合わなかったらしい。 自身が作った料理に対して若かりし頃からあまり苦情を貰った事がない波留としては、この事態は僅かながらも確実にショックではある。やはり慣れないものは作るべきではないのだろうか――彼はそんな反省を抱いていた。 ぼやきつつも少年は再びストローを銜えた。一口吸い上げ、口の中で転がしてみる。味と液体の感触を確かめてみている様子だった。それを飲み込んだ後で彼は首を捻る。 「俺は、もっと甘ったるい奴がいい」 唇を尖らせてそんな事を言う少年に、波留は思わず目を細めていた。そう言えば彼の年齢は18歳として登録されている事を思い出す。――ミナモさんとは2,3歳の差と言う所か。ならばその趣向は子供向きのままなんだろうな…あの紙パックのジュースの種類からして。 ミックスジュースとその少年からの評価に続き、その女子中学生の事を思うと、自然にある飲食店が彼の脳裏に浮かび上がってくる。そこは彼自身は未だに訪れた事がないのだが、ミナモからは常日頃評判を訊いていた。その少女が学友と共に放課後や休日に良く訪れている店との事だった。 そして波留がメタルで調べてみたら、天然物の食材を可能な限り使用している名店として、彼女ら以外の客からの評判も上々らしかった。だから彼としても、ついつい勧めたくなってしまう。それに、自分は行って食事をした事はなくとも、ミナモが下す評価ならば間違いはないと思ったのだ。 「甘いものでしたら、海岸通りにあるアンティーク・ガルと言うお店がお勧めですよ」 波留はミキサーの容器を洗い終え、食器乾燥機に立て掛ける。その最中、まるで飲食店の店員が他の名店を勧めるかのような態度でそんな事を言っていた。 その彼の言葉に、少年はぴくりと顔を動かした。視線を中空に向ける。そして銜えるストローには徐々に水位が上がってゆき、遂には完全に微細な色合いで染まった。 どうやら彼はミックスジュースを吸い上げつつ、何か考え込んでいるらしい。或いは電脳内で自らの記憶の履歴でも洗い出しているのか。ともかく彼は口を塞いだ状態でしばし沈黙していた。 そのうちに何か思い当たったらしい。ぼんやりとしていた瞳に光が戻った。ストローから口を離す。波留を見やり、口を開いた。 「――その店知ってる。メタ友に勧められた事がある」 やはり淡々とした口調で、少年は自らの体験を口にする。波留はそれに意外そうな表情を浮かべていた。まさか知っていたとは――それ程までに有名な店なのだろうか?メタルの評判は信じていいらしい。彼はそんな思いに至っていた。 「実際に行かれたのですか?」 「ああ。でもやっぱり俺には合わなかった。天然物って味が薄いんだよ」 波留の問いに、少しばかり年相応に不貞腐れた顔をして少年は答えていた。ストローを摘み、未だに見えないグラスの底を突付き回す。 「それは残念です…」 少年の答えを聞いた黒髪の青年は溜息をつく。口にした言葉通りの表情を浮かべていた。しかし、こうなると単なる嗜好の違いでは済まされないと彼は確信した。 ――この少年は、味覚障害を抱えているのではないか? 少年の今までの言動を考慮すると、波留はその結論に至ったのだ。そしてそこに自覚症状はない。仮にあったとしても「別に困ってはいない」と思っている。結構厄介な状況であるように思われた。 甘ったるいジュースを好む辺りからして、人工島訪問以前からジャンクフードでも摂り過ぎているのだろうか?――大人の一員として少年にそんな思いを馳せるが、正真正銘の病気を抱えているとなると、最早素人料理人に過ぎない彼には手に負えなかった。この少年に必要なのは医療機関である。 まだ年若いのだから出来る限りの早期治療が必要だろうが、勧めた所で受け容れはしないだろう。味覚障害と言っても食事が摂れない訳ではないのだから――もっとも本当にジャンクフード三昧ならば、その食事で既に健康を害しているのかもしれないが。 しかし、波留としてはそこまで踏み込む気にもなれない。結局は、他人である――そんな想いが彼の脳裏をよぎるからだ。 彼は老人だった頃に「脳餓死」と言う案件を取り扱った事もあるから、味覚障害の先にある最悪の可能性も判ってはいる。しかし彼の場合はリアルの感覚異常であり現状においてメタルは絡んでいない。ならばまだ矯正の余地は充分にあるはずであり、波留自身がそこに介入する必然性を感じなかった。 カウンターの向こうに座っている少年は、相変わらず無愛想な表情を浮かべつつもストローに口をつけている。表情からして美味しそうに飲んではいないのだが、着実に水面が下がって行っていた。 どういう心境の元の行動なのかは波留には判らないが、そのジュースは全て飲んでくれるらしいと悟る。味が気に喰わないだけで食する事自体は可能ならば、やはり軽度の症状に過ぎないのか。ならば大丈夫だろう――波留は心の中でそう安堵していた。その結論を導き出していた。 |