そんな時、突然少女達の会話に割り込んできた電子音があった。 それは彼女らには聴き慣れている音である。発信源は彼女らの座席からすると、下の方からだった。皆その音を聴覚で辿り、視線を一斉に寄越す。 一番顕著に反応したのはミナモだった。彼女はすぐさまその音が何であるか正体に気付いたらしく、屈み込む。自らの足元に置かれているトートバッグを引き寄せ、両手を突っ込んだ。 彼女がその口を開くと、途端に電子音が大きく響き渡る。サヤカとユキノが覗き込んで見守る中、ミナモはバッグの奥から自らの携帯端末を掴み出していた。その待ち受け画面が明滅している。電通の着信を示していた。そしてその画面上には電通発信者の登録名も表示されている。 ミナモはその名を確認してから、携帯端末を前時代の携帯電話のように耳元に当てた。サヤカ達に背中を向け、口許を手で覆う。タッチパネル式に待ち受け画面に表示されているボタンを操作し、電通を受信した。 「――…ソウタ。まだ仕事中じゃないの?」 開口一番、少女は小声でそう発言していた。その電通の相手は彼女の兄であり馴染み過ぎる相手だったのだが、今の時間帯に電通をしてくる相手でもなかった。彼女が知る限り、兄は時間やルールの厳守に厳格な部分があり、プライベートな用件で連絡してくる事が意外だったのだ。 ――まあな。お前に話がある。今から電理研の統括部長オフィスに来い。 「…統括部長オフィス?」 ソウタはミナモの疑問をあっさりと受け流していた。そのまま話を進めてくる。 しかし、ミナモは怪訝そうにその単語を鸚鵡返しにしていた。それに、電通の思考が若干苛立たしげになる。携帯端末を介して音声として聞き取るミナモにもそれが伝わってきていた。 ――俺が居る部屋だ。道順が判らない事はないだろう? 「それは判ってるよ。久島さんの時から何度か行ってるし」 ミナモは口を尖らせた。彼女は声の調子から不機嫌さを滲ませる。それは携帯端末により電脳への電通として変換され、彼女の兄にも届いている事だろう。 自身が言うように、ミナモは一介の女子中学生にしては統括部長オフィスへの出入りは何度か行っている。それは4月のあの日以降、彼女が波留のバディとして公的に登録されているからである。 波留が電理研から業務を委託される職業メタルダイバーとなった以上、そのバディたるミナモにもそれに付随した権利が発生する。そして波留は基本的に当時の統括部長であった久島永一朗から直接依頼を受ける事が殆どであり、そうなるとそのメタルダイバー同様にバディにもオフィスへの入室許可が与えられるものだった。 それからは状況が変化した現状だが、ミナモの入室許可は取り消されていない。統括部長オフィスとなるとセキュリティは電理研随一の場所であるのだが、そこに何の制限もなく立ち入れる数少ない人間であるままだった。 彼女が判らないのはオフィス自体に関する事ではない。何故自分がそこに呼び出しを受けなければならないのか――疑問はそれである。 「また、波留さんに何か依頼したの?」 だから彼女はソウタにそう尋ねる。自分はあくまでも波留のバディであるのだから、波留への依頼が発生して自分も付き合う事になったのかと考えたのだ。 それは前回のアイランド行きへの依頼同様のパターンである。あの時も自分が何故波留と同行しなければならないのか判らなかった。しかし波留は未だにこの少女の事をバディとして扱うつもりらしいと、前回の依頼で彼女は理解した。だから、今回もそうなのだろうかと思う。 彼女はふと背後が気になり、ちらりと視線のみを送った。その向こうには、サヤカがにやにやと笑っている姿が垣間見えていた。 ミナモはそれに気付き、憮然とした表情になる。サヤカ達にはこの会話の全ては聴こえていないにせよ、ミナモから漏れ聴こえるであろう台詞の断片からもソウタからの電通でそこに波留の話題を出した事は把握したはずである。ミナモはその可能性に気付いて背後を見たのであり、自らの危惧はどうやら正しいらしいと認識していた。 ――違う。今回は、お前に用があるんだ。 そこに、兄の冷静な言葉が妹の耳に届く。ソウタは即座にミナモの考えを否定していた。 「私に?ソウタが?」 ――ああ。 ミナモの問いにソウタは短い肯定の言葉を送る。その態度に、ミナモはますます訳が判らなくなる。――波留さんは関係ないって事?どうやら彼女の兄はその可能性を示唆しており、しかし少女はその事態を捉えかねた。その疑問をそのまま電通へと乗せてゆく。 「だったらうちで訊くよ。もし今日は帰れないんだったらリラクゼーションルームで待ち合わせすればいいし…って言うか、今言えばいいじゃない」 顔を上げて視線を中空に泳がせつつ、ミナモはそんな事を言う。波留が関係しない以上、ミナモはこのソウタの言い分をあくまでもプライベートなものであると解釈していた。ならば、彼女が言うような手法を取って伝達すればいい話である。何故わざわざオフィスまで出向かなければならないのか。やはりミナモには判らなかった。 ――それじゃ駄目なんだ。ここに来て貰わないと。 「何でよ」 あくまでもそう言い張るソウタに、ミナモは短く問う。話の噛み合わなさに、彼女は不機嫌そうな声を発していた。 そこに、長い溜息が音声としてミナモの耳に届く。電通だと言うのにまるで会話しているかのようにそんな思考がソウタから発せられていた。 そして若干の沈黙が降りる。店内に響くテレビからの音声が微かにミナモに届いてきていた。会話を邪魔しない音量の音楽が彼女らの間を埋める。 そこを打ち破り、ソウタからの電通の音声がミナモの耳に伝わってきた。 ――電理研統括部長代理から蒼井ミナモ個人への、正式な依頼だから。 「――………はあ!?」 淡々とした兄の言葉に、ミナモは一瞬沈黙する。しかし次の瞬間には頓狂な声を上げていた。 そのミナモの態度の変貌には、興味津々な様子で彼女の背中を見やっていたサヤカとユキノも、流石に驚いたような顔をしていた。遠くでは、カウンターの向こうに居たマスターも顔を上げて客席を見やっている。 客とマスターがそのような反応を見せている中、テレビから流れる音源はその隙間を滑らかに埋めてゆく。 |