その頃には、会場として用意された電理研内のホールには人が集まっていた。
 座席は準備されているが、特に指定はない。職員を中心に、各自先着順に思い思いの席に座っている。
 「安息義務の一環」と言う理念上、普通の会議のようにメタルを介して音源をホールの各所に転送する事は出来ない。しかし、それだけに広大な電理研敷地内に存在するホールの中でも、設計時点で既に音響に配慮されたホールが選択されていた。そのためにホールの何処に座っていてもバイオリンの音色はきちんと伝わるだろうと思われた。
 波留が入場した頃には、席は半ばまで埋まってしまっている。彼の後からも続々と人間がホール内に入ってきており、満席になるのは時間の問題であるようだった。
 彼はホール全体に視線を巡らせる。やはりと言うか、電理研の白衣組が半分近くを占めている。他は一般島民も多いらしい。彼のような委託メタルダイバーを表す青いツナギを着ている人間はあまり見当たらない。それは、ダイバー自体がそこまで多くはないし、あのツナギは特に制服と言う訳でもない。現在の波留のように私服で入場しているダイバーも居るはずだった。
 あちこちを見回していると、ふと視線が止まる。アジア系住民が大半を占める人工島において、黒髪や茶系以外の髪の色を持つ人間は目立つものだった。
 彼はそこに、例の銀髪の少年の姿を見出した。――何だかんだで行事には参加するつもりらしい。その姿を微笑ましく思いつつ、彼の隣が空いていたら割り込みたい所だったが生憎そうはいかなかった。
 仕方がないので視線での走査を続けていると、大きく手を挙げている姿が目に入った。少しばかり人ごみに埋もれかかっている小柄な青いツナギの青年がそこに居る――フジワラアユムの姿を発見した。
 アユムの隣は空席となっており、そのシートをアユムは懸命に抑えつつも波留に手を挙げてアピールしている。電通すれば一発で波留に意思表示出来そうなものだが、安息義務としてのコンサートのために電通は自粛しているらしい。
 ともかく波留は手を挙げてそれに応える。人ごみを掻き分け、アユムが呼ぶ方向へと歩いてゆく。
「――波留さん、気付いて良かったっす」
 波留がその席に腰を下ろすと、アユムは威勢良く話し掛けて来た。その彼の隣には、いつものように弟ユージンも座っている。図体が大きいこの弟だが、アピールしない限りこのような人ごみの中では目立ちようがない。着席した環境のため、立っている時よりも図体の大きさが役立たないと言うのも理由ではあった。
「アユムさん、ユージンさん。この前の日曜は申し訳ありませんでした」
 波留は彼らに対してまず頭を下げた。やはりそこを謝罪しなければ、彼としては収まらない。
「いいっすよ、波留さんは忙しい人だから」
 アユムはにやにや笑っている。クレーム処理となるような出来事は全て波留自身が処理して旅立ってくれていたし、実際に引継ぎが完璧だったためにアユム達は結局一切の迷惑を蒙っていない。だから怒る理由など何処にもなかった。
 徐々にアユムの笑いが深まる。作った拳で軽く波留の脇腹をこずいた。
「それより、色々と面白い事あったんでしょ?」
「…兄さん。波留さんには守秘義務があるに決まってるじゃないか」
 そこに口を挟んできたのは、ユージンだった。電理研から様々な仕事を委託する立場の彼らは、波留が今回請けた案件でも守秘義務が契約に含められているだろう事を把握している。同じメタルダイバーであっても、各々が抱えている仕事の深い部分までは踏み込まない。それが、彼らのルールだった。
 弟の諭しにアユムは口を尖らせる。何やらぼやいているが、彼もメタルダイバー歴は長い。守秘義務云々を知らない訳ではないし、それを守らない程軽率なダイバーでもなかった。
 波留はそんな兄弟達を見て、微笑んでいる。その口が滑らかに動き、言葉を口にした。
「そうですねえ…――僕にとっては有り触れたものであっても大多数の方々にとってはそうでもなかったり、歪みであるように思えても他の一面から見れば素晴らしいものであったりとか、そう言う感じです」
 アユムはその台詞にきょとんとした。何事かと考え込もうとする。が、すぐにそれを放棄していた。頭の上で疑問符が大きく弾け、口許を歪めた。
「…波留さん。言ってる意味わかんねえっすよ」
「判られてしまっては、守秘義務に抵触しますから、僕としては非常に困ります」
「…そりゃそうだ」
 涼しい顔をしてそう応える波留に、1本取られたと言わんばかりの表情で、アユムは顔をがくりと落とした。
 その時、拍手が巻き起こった。3名は各々顔を上げ、壇上を見やる。  そこには一之瀬カズネが現れていた。彼はバイオリンを大切そうに抱え、舞台の裏から姿を見せる。波留はその姿に拍手を送る。
 隣のアユムも威勢良く手を叩いていたが、不意にそれが止んだ。
「…うわ、抜け目ない女だな」
 半ば吐き捨てるような台詞を耳に留め、波留はアユムの方を見た。アユムは手を叩く体勢のまま動きを止めていて、視線はカズネより手前の位置で落ちている。波留はその視線を追い、関係者に与えられた席をそこに見出す。
 壇上の前、最前列には電理研幹部が着いていた。その中には統括部長代理である蒼井ソウタも含まれている。そしてその最善列の中央、一番良い席は空席とされていた。それが一体何を意味するのか、判らない電理研職員は居ないだろう。業務を委託している人間達の殆ども理解しているはずだった。
 アユムが見ているのはその最前列が伸びた隅の方である。そこに一際目立つスーツ姿の女性が座っていた。電理研幹部に女性は存在しないために、彼女の存在は異彩を放っている。
 波留は顎に手を当てた。考え込むような仕草を見せ、口を開く。
「…彼女、タカナミ書記長ですね。いらっしゃったのですか」
 自分が一体何を嫌がっているのか、隣の知人に理解して貰った事を知ったのだろう。アユムは波留の方を見た。右手で最前列の方を指差してみせるが、ここまで遠いと果たして彼女を狙っているかどうかも不明なようにしか見えなかった。
「これ、電理研のイベントっすよ?何であの女がわざわざ来て、しかもあんな良席に着いてやがるんですか」
「評議会と電理研は必ずしも敵対関係にはある訳ではないですよ。むしろ人工島の円滑な運営のためには、協力してくれていた方が好ましいと思います」
 アユムの不満に対して、波留は淡々と応えていた。そんな黒髪の青年を、アユムはまじまじと見つめた。軽く首を捻る。
「…波留さん、意外にドライっすね」
「そうですか?」
 それは波留にとって、とても意外な評価だった。表情にもその想いが表れている。そんな波留の表情に、アユムはますます首を捻ってしまった。指差す方向が、思わず最前列方向から至近距離の波留へと変わる。
「部長代理、波留さんの身内みたいなもんでしょ?」
「ソウタ君を身内とするならば、タカナミ書記長も信頼出来る良い方だと思っていますよ」
 指を差されつつも波留は微笑んでそう応えていた。それは彼の本心だった。彼にとってタカナミ書記長とは、あの気象分子プラントを巡る事件において久島に指名されていた5名のうちのひとりだった。ならば、波留自身にとっても信頼に値する人物であるはずである。実際にあの時に同志として戦った時、彼のその想いは正しかったと認識していた。
 あの時にはアユムとユージンも波留の同僚として、気象分子プラントのハッキングなどと言う犯罪行為に手を染めようとしていた。が、そのメタルダイブをリアルからサポートしてきたタカナミ書記長は、波留にとってはまた別の信頼すべき仲間であったのだ。
 そんな風な会話をしていると、拍手が収まってゆく。ざわめきも消えてゆき、観客達は静かになった。
 壇上ではカズネが前時代的なスタンドマイクに手を触れている。それを用いて彼はこれから喋るらしい。――観客達はその様子からそれを悟り、自発的に沈黙して行ったのだ。それが徐々にホール全体へと広がってゆく。
 
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