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一之瀬カズネの電理研での安息義務の一環としてのコンサートの開催は、以前から予定されていた事であった。それは電理研職員のみならず、一般島民の自由参加も募るつもりだった。 しかし様々な事情から予定は順延されてしまい、結局平日開催となってしまった。島民も訪れ易くするために時間帯を夕方と設定したが、元々の開催予定だった休日の日中よりは来訪者は少なくなると思われた。 しかしリアルの電理研内に存在するホールを開催場所にするために、入場者の競争率は低くなる方が好ましいと言えばその通りだった。何せ「安息義務の一環」なのである。その理念を守るためには、メタルでの音源配信は出来なかったのだ。 そんな中、ミナモはソウタの元を訪れていた。統括部長代理と言う要職に就いているソウタは、一之瀬カズネを招いた立場の人間である。観客側の席に着く訳には行かず、結果的に楽屋裏めいた部屋に落ち着いている格好となっていた。開催時間が来れば、彼もまた挨拶などの公的任務を担うのである。 本来ならばそんな業務直前のソウタは、ミナモの訪問を受け容れる暇はない。しかし今回の内密の案件に、ミナモも関わっていた。それを思うとちょっとばかり譲歩したい気分にもなる。 ミナモとしては、カズネにまた会いたかった。だからこのような楽屋裏を訪問してきたのだが、カズネにはまた別の部屋が与えられていた。やはり一般客とは明確な線引きがなされている。電理研が招聘するゲストとは、そう言う存在だった。 「――でもさ。どうして一之瀬さんを久島さんと会わせてあげなかったのよ」 ミナモはそんな事を言い、口を尖らせていた。いきなり不満を爆発させている。 対するソウタは椅子に腰掛け、腕を組んでいる。瞑目してミナモに視線すら合わせようとしない。 「そんな事出来る訳ないだろ。先生は今あんな状態だ」 「そりゃそうだけどさ…久島さん…――て言うか、あのAIさんにちょっと協力して貰えば、何とかならないでも」 「駄目だ」 ミナモの台詞を途中で遮り、ソウタはきっぱりと断じた。取り付く島など妹には与えない。その態度に、ミナモは口を尖らせ唸っていた。 ソウタはうっすらと瞼を上げる。妹の唸り声を聴きつけ、彼女の顔を上目遣いに見上げた。片眉を上げる。 「…お前まさか、先生の現状、言い触らしてないだろうな?」 「え?」 ミナモはソウタの険悪な声に、唸るのを止めた。首を傾げ、兄を見やる。 「先生があんな状態になっている事を知るのは、あの時点であのAI経由で先生に指名されていた俺達5人、先生の実姉にして唯一の肉親である久島のぶ代さん、それに俺以外の電理研最高幹部連中数名って程度なんだぞ?」 「…判ってるよ」 ソウタのじとっとした視線にミナモは軽く引いている。どうやら兄は本気で苛ついている様子だった。 ミナモは自らの答えの通り、現状の彼女は久島の真実を第三者には一切語っていない。しかし、今こうやって豪快に釘を刺されなかったら、果たしてこれからも口を噤んでいただろうか。ミナモにはそうだと言い切れなかった。 どうやら、自分が知ってしまっているこの事実は本気で電理研最高機密らしい――「ブレインダウン症例で電理研内の自室にて加療中」となっている統括部長久島永一朗は、実は現在彼の記憶を引き継いだAIがその義体を用いて「生きている」状態にあると言う事実は。ミナモは兄の態度からそれを痛感するに至る。 彼女としては、久島自身の脳核が「ブレインダウン症例」に陥っている事は事実なのだから、義体を操作しているAIに協力を仰いで寝た振りをして貰い、その状態でカズネに会わせればいいのにと思ってしまっていたのだ。しかし、どうやらそれは許されないらしい。大変な状況なのだと彼女は思い知った。 妹が不機嫌そうな兄の顔を見やりながらそんな事を考えている時だった。部屋の入口の自動ドアが開き、秘書型アンドロイドの姿が見える。 「――統括部長代理。そろそろお時間です」 ホロンが部屋に入ってきて、彼女が秘書業務を行っている部長代理とその妹を見やっていた。彼女は口許を綻ばせ、上品に微笑んでいる。そして今の彼女はアイランドとは違い、正に電理研の秘書用アンドロイドとしてのスタイルに戻されていた。 兄の仕事が迫ってくるとなると、ミナモとしても何時までも邪魔をしている訳にもいかない。彼女にはそれだけを弁える矜持があった。ソウタに対して何事か呟いてみせつつも、急ぎ退出してゆく。肩に提げた小さい鞄が揺れていた。 妹がどたばたと部屋から出てゆくと、途端に室内に沈黙が降りる。ソウタはその静けさにしばし浸っていた。ホロンも入口に控えたままで、それ以上の催促は行わない。そこまで切羽詰まった時間帯でもなかったようだった。 「――ホロン」 「はい」 ソウタに呼ばれ、ホロンは笑顔で応じる。そんなアンドロイドを、ソウタは横目で見やった。言葉を続ける。 「君が好きな色…新芽の緑、だっけ?」 「はい」 ホロンは笑顔を浮かべ、頷いていた。それに対してソウタは軽く眉を寄せた。ホロンから視線を外し、正面に向き直る。そして呟くように述懐した。 「一之瀬さんだけが、クワジ・プレストを完全純正律で演奏する訳じゃないんだよな。今後、果たして大丈夫だろうか?」 「マスターが提出された報告書にも意見が記載されていたと思いますが、一之瀬様のあのクワジ・プレストは、彼が久島様を追い求めて演奏されて完成した曲です。つまり、そのような熱意を込めて完全純正律であの曲を演奏するからこそ、地球律と同じ律動を秘めているのかもしれません」 「…そうだな」 ソウタは俯いた。両手を組み、肘をテーブルの上に乗せた。組んだ両手を顎につける。 そこに、アンドロイドが再び呼びかけてきた。 「――ソウタさん」 突然彼は自らをそう呼ばれた。軽く反応する。また、何処か違う態度を取られている。彼はそう感じていた。 「私は新芽の緑が好きですが、他にも好きなものが出来ました」 「…え?」 アンドロイドの告白に、ソウタは怪訝そうな声を上げる。それを気にする事もないのか、ホロンの言葉は続いてゆく。 「一之瀬様の演奏は、純正律であってもそうでなくとも、何処か暖かいものに満ちていました。私はその演奏に含まれる優しい旋律が、好きです」 ソウタはホロンのその台詞を耳にし、思わず顔を上げていた。顔をホロンへと向ける。そこに居たアンドロイドは優しげな表情を浮かべていた。 そして彼女は、左手首をやんわりと撫でるように右手で触れている。ソウタはそこに何があるか、知っていた。 ――…久島さん。 不意に彼の脳裏に、先日の会食の光景が思い浮かんだ。あの老いた大舞踏家にして彼が尊敬する「先生」の実姉は、確信を持ってあのような事を言っていた。しかし――。 ――あなたはあの時そう仰いましたが、ホロンは――果たして芸術を理解出来ないと言えるのでしょうか? それともこれは、俺がそう思いたいだけで――単に彼女に感情移入しているだけなのでしょうか? ソウタは心の中でそう問う。しかし、今の彼にはその解答は導き出せそうにもなかった。 |