夕陽は徐々に水平線の向こうに沈みゆこうとしている。
 波留はターミナル内のラウンジ備え付けの椅子に腰掛けていた。往来する人の数は、先程よりも格段に減ってきている。それは発着する船の便数が減ってきている事が要因だった。利用客の数自体が減少しているのだ。
 日没を迎えたなら、定期船も最終便を残すばかりとなる。毎日運行している船なのだから、日が暮れてまで往復便を出す事はない。
 彼の傍に、既にカズネの姿はない。彼は、コテージにて世話役を仰せ付かっていた公的アンドロイドに連れられて、先程の定期船で先に人工島へと向かっていた。
 カズネは明日には延期し続けてきた電理研での演奏会を控えている。用件が済んだら出来る限り早く人工島に出向き、最低限の打ち合わせを経た後に休息を取るべきだった。どうせ、明日には出会えるのだ。もしかしたら会話を交わす機会はないかもしれないが、舞台の上に居る彼の姿を見る事は出来るだろう――波留はそう思っていた。
 波留は簡素なプラスチック状の物質で構築された備え付けの椅子に腰掛け、軽く腕を組んでいる。紙袋は膝の上に置いていた。意外に中身はこじんまりとしたものだったので、それで素直に収まっている。
 黙り込んでいると自然に瞼が下がってくる。肉体労働やメタルダイブこそそれ程こなしていない今回の案件だったが、色々と悪巧みをこしらえた事で、少し疲れを覚えていた。今こうして落ち着き暇を持て余している事で、腰が重く感じられてきている。
 彼の顔が軽く前に傾く。前髪が顔に落ちてきた。ラウンジのざわめきも聴覚には緩慢なものとして捉えられるようになってくる。しかしここがラウンジである以上、眠り込むのは避けるべきだと言う判断は彼の脳に働いていた。溜息めいた長い息を吐き出し、眠気を振り払う。
「――波留さん」
 不意に彼の頭上から少女の声が響いてきていた。彼はゆっくりと瞼を上げる。上目遣いで声のした方を見た。
「ミナモさん」
 波留はその名を呼んだ。組んだ腕を解き、椅子に手を着いて立ち上がる。顔に手を当てて眠気ごとそこを拭った。
「波留さん、お疲れ?」
 ミナモの声が心配そうにそんな事を言う。彼が立ち上がった事で声の位置が逆転していた。下方にある彼女の顔を波留は見下ろした。
「ミナモさんこそ、今回は色々とお疲れ様でした。僕の依頼だと言うのに結局3日間もお付き合い頂いて」
「そんな事ないです。今だって私の我儘で遅くなったんですし」
 跳ねるような口調でミナモはそう言った。腕を振り回し、元気一杯な様子を少女はアピールしてくる。
 今日は、彼女は以前実習で世話になった電脳隔離病棟の施設の人々に挨拶をして来たのだった。介助士を目指しているからまたいずれここで実習を行うかもしれないが、それは確実な話ではない。ならば機会を生かしておくべきだと彼女なりに思ったのだ。
 波留もそれを認め、一足先にターミナルに向かってカズネの見送りに出向いていた。その間にコテージの整理はホロンが行い、固定回線を用いての部長代理への報告書提出も済ませていた。
 ホロンもそのうちにここに合流してくるはずである。彼女が来た時点で予約している最終便への乗船手続きを行えば良い。
 ミナモは中学校の制服を纏い、元気一杯に動く事で頭のリボンを揺らしている。その肩には大き目のトートバッグが掛けられており、いつもながらの彼女のスタイルがそこにあった。
 彼女はそのバッグを肩に提げたまま、隙間に右手を突っ込む。どうやら中に入っているはずの携帯端末を探り当てようとしているらしい。
「波留さんお疲れみたいだし、何か飲み物でも買ってきますね」
「――あ、ミナモさん。ちょっと」
 そんな彼女を波留は呼び止めていた。手を上げてアピールすると、彼女は顔を上げる。バッグの隅に右手を突っ込んだままの体勢で波留を見やった。
 波留はミナモを見据える。微笑みを浮かべ、手にしていた紙袋から簡素な包みを取り出していた。
「これ、受け取って頂けますか?」
「…え?」
 ミナモはその微妙な体勢のまま固まっていた。波留が差し出してきたその包みを呆然と見ている。その包みは特にプレゼント包装などはされていなかったため、波留が一体何を試みようとしているのか、彼女には掴み切れなかったのだ。
「…えっと」
 戸惑い気味な声が漏れる。ミナモは上体を乗り出し、差し出された包みをまじまじと見つめてしまう。相変わらず鞄から手を抜く事を忘れてしまっていた。
 波留はそんな彼女の態度に、困ったような微笑を浮かべた。彼女の戸惑いを肌で感じる。彼はそんなミナモに視線を合わせ、彼の意思をきちんとした言葉にしてみせた。
「僕はあなたにこれを差し上げたいのですが、差し出がましかったでしょうか?」
「………えええええ!?」
 それからもたっぷりとした間を経た後にその台詞をミナモが遂に認識した瞬間、彼女の口からは頓狂な大声が漏れていた。それはラウンジ内に響き渡り、少なくなっていた往来客が一体何事かと一斉にふたりの方を向いた。ミナモはその雰囲気に気付き、思わず顔を赤らめる。小さくなってしまう。
「…ミナモさん。そこまでびっくりなさらなくとも」
 そんなミナモの態度を目の当たりにして、波留の微笑が苦笑の成分を深めてゆく。包みを持った手の位置はそのままに、彼は屈み込んでいた。縮こまったミナモに視線の高さを合わせる。
 最接近してきた波留の瞳を感じ、ミナモはますます赤くなっていた。バッグから右手を抜かず、左手で差し出される包みをそっと掴んだ。波留は微笑み、自らの包みを持つ手を離す。
「…えっと。ここで開けてもいいでしょうか…?」
「どうぞ。大した物ではありませんし」
 何処となくおずおずとした声でミナモが言うと、波留は相変わらず微笑んでそう応えていた。
 ミナモは小さくなった印象のまま、身体を翻す。すとんと波留の隣の席に収まった。そこでようやく右手をトートバッグの隅から引き抜き、掌を開いた。
 そして波留から受け取った包みを膝の上に乗せ、包みをテープで止めている位置を発見した。そこから、がさがさと開き始める。
 簡素な包装だったために、すぐに中身が明らかになる。白い包みが広げられたそこにあったのは、小さめの鞄だった。肩に提げるための長いストラップがつけられていて、鞄自体もポケットなどが多い上に物を入れるスペースは結構多いらしく、詰め込めば色々と入りそうだった。
「ミナモさん、いつも大きな鞄をお持ちですから。携帯端末と小物類のみを持ち歩くような時は、適当な大きさの鞄をお使いになればいいのにと思って」
 ミナモの頭上から朗らかな口調でそんな説明がなされてゆく。それを呆然とした心持ちで彼女は聞き流していた。膝の上に広がるベージュの鞄を見ている。
「…ああでも、その大きな鞄をお気に入りなら、仕方ないですよね。だったらこれはタンスの肥やしにでもして頂いて」
「――いえ!」
 波留の説明を、ミナモは大きな声で遮っていた。両手が受け取った鞄にゆっくりと触れる。
「私、これ使います…波留さん、ありがとう…」
「こちらこそ使って頂いてありがとうございます」
 落ち着いた調子で波留は応えていた。しかしミナモは何だか上を見る事が出来ない。恥ずかしい心境だった。
 そのうちに、不意にミナモは自らの耳元に何かが差し込まれる感覚を覚えた。髪を梳くように棒状のものが耳に引っ掛けられている。
「――これも、お返ししなければなりません」
 ミナモはそんな波留の声を聴いた。思わず両手を上げ、耳元に触れる。そこには金属製の何かがあった。それをなぞり上げると、何やら額の方に行くと平べったい物体の感触が指に伝わる。
 ミナモはそれを、スーマランと言う名のサングラスである事を悟った。それはアイランド入りして以来今まで波留に貸していたもので、元々は波留の私物だったものだった。
 手でスーマランを探っていた拍子に、彼女の顔も覚えがないうちに上を向いていた。その先には波留の笑顔がある。
「やっぱり良くお似合いですよ」
 彼女にはそんな事を言う波留の笑顔が、やけに眩しく感じられていた。もう日も暮れてしまい、陽の光は差し込んできていないと言うのに。
 ミナモはどうにも気持ちを持て余し、困り果てていた。何かを言うべきなのに、その言葉が口から出てこない。言語化出来ないような不明瞭な声が漏れ、再び逃げるように俯いてしまう。
 結局、早いうちにホロンが合流した事が、ミナモにとって救いとなった。そうしなければこのような亀の子のような態度を何時までも波留に対して続ける事となってしまっただろう。
 
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