アイランドのフェリーターミナルは人工島のそれとは規模が圧倒的に小さいが、人工島と接続する主要施設としてそれなりの設備が整っている。
 陽も傾きつつある現在は人工島から到着した定期船が停泊し、客の乗降が行われている所である。観光客や主要施設に携わる職員などをアイランドに迎え入れ、入れ替わりにアイランドから立ち去る人々の乗船手続きがターミナルにて受け付けられていた。
 ターミナル内のラウンジにて、波留とカズネはそんな人々の流れを眺めている。アイランドの玄関口であり施設面積は大きくないため、ガラス状の壁面を背後に立ち話をしているとその前を忙しそうな人々がどんどん通りすがって行っていた。
「一之瀬さん。先程はお手数お掛けしました。お忙しいと言うのにアイランドへの滞在を1日延期して頂いて」
「いえ、私の方こそ…あなたのおかげで最悪の事態は避けられました。私のせいでクラシックを嫌う人々が生まれてしまっては悔やみきれません」
 カズネは波留にそう答え、自らの手に提げているバイオリンケースを見やった。その片隅に刻まれているかつての持ち主の名を、目を細めて見つめていた。
 波留はそんな彼を微笑んで見ていた。波留の手には紙袋が提げられている。ふたりとも、自分の荷物はある程度宅配で既に配送手続きをしていた。そして波留の頭には鋭角的なフォルムを持つサングラスが引っ掛けられている。
「しかし、数度の練習のみでしたが、上手く合わせる事が出来るものですね。流石の一言です」
「波留さんが作成したプログラムとその調整の賜物でしょう。それと、アンドロイドとは言え彼女の技術も素晴らしい」
 容貌では青年と初老であるふたりの人物は、互いに行った事を褒め称えていた。それはふたりとも、心からの言葉である。自分自身はやるべき事をしただけであり、相手側の配慮こそが偉大だったのだ――そう言う想いがふたりの間には存在していた。
 今回の一件に巻き込まれた関係者達の、脳の過剰な刷り込み効果を回避し解消させるために波留が仕組んだのは、コンサートのやり直しだった。先日カズネが演奏した曲目をそのまま、今度はバイオリン演奏プログラムをインストールしたホロンに演奏させるのだ。
 そうする事で「カズネとは違う演奏家が同じ曲をやってみせる」行為に脳を体験させ、別の方向で刷り込みを行った。
 それも、アンドロイドたるホロンを用いたのは、プログラムのインストールにより技巧を凝らした演奏が容易に可能となるからばかりではない。アンドロイドとは「そういうもの」との認識を人間が抱いている事を逆手に取ったのだ。
 アンドロイドはプログラムに従って演奏するのみである。いくら素晴らしい技巧を用いたとしてもそれはプログラムの産物であり、人間の演奏とは明らかに違う――つまり、同じ曲目であっても、カズネの演奏とは別物なのだ。放っておいても人間はそう信じ込むものだった。
 それでも、たまにミナモのようにアンドロイドに対しても「人間」として接する者も存在するだろうが、そのために波留は進行役をやりつつも多少誘導を試みていた。彼女がアンドロイドである事を示唆し続けてみせたのだ。勿論あからさまにはやってはわざとらしいが、明らかに扱いを変えていた。
 そうやって信じ込ませて演奏を完走させた所で、種明かしをしてみせた。
 実は、ホロンの演奏は途中で取り止められていた。彼女は弾いている真似をしているだけであり、流れるべきバイオリンの調べはカズネが裏に位置する別室で演奏しているものとすり替えられていたのだ。
 ホロンの壇上とカズネの別室とは壁1枚で隔てられている距離を保っていた。それだけならば、アイランド内の電脳隔離病棟であってもぎりぎり近接接触電通の範囲内だった。カズネの演奏音源をそのままホロンのバイオリンに転送し、受信した音源を発するように改良を施したバイオリンをホロンは使用していた。
 しかし、弓の動きと実際に流れる音とがずれて観客に見破られては意味がないので、ふたりの「演奏」は確実に合わせる必要に迫られた。
 そのために、波留はメタルから拾ってきた演奏プログラムをある程度手直しし、カズネはそのプログラムによるホロンの演奏に自らのそれを合わせられるように練習していた。計画立案からその練習に至るまで、昨日の昼から日が暮れるまでを費やしていた。
 これは付け焼き刃の計画であり、練習にもあまり時間は費やしていなかったが、それでも結果としては上手く行くものだ――そう言う意味でふたりは互いの作業を感嘆していたのである。
 ともかく、アンドロイドが弾いているものとして観客達が受け容れ、体調も崩さなかった。そしてその演奏は、実は先日と同じ人間が演奏していたものだった。その事実が明らかにされると、観客達は戸惑う。自分達の認識が揺らぐ。そうやって過剰な刷り込みを消し去る――上手く行くとは限らない手法だと波留も認識してはいたのだが、結果的に成功してしまっていた。現状、あれ以降誰も体調を崩していない。
「――しかし、観客の皆さんも、必ずしも私を受け容れて下さった訳ではないのでしょうね。あれは好意的な顔ではなかった。戸惑っていたと言えばいいのか…」
 カズネは苦笑を浮かべそう言った。彼は今回演奏したクワジ・プレストで初めて純正律を用いなかった。先日の結果の再現はなかった大きな一因はそこである。そして今後も彼はその演奏を続ける事になる。
「言うなれば、悪魔に魂を売ったと恐れられたパガニーニと同じ状況ですかね。…まあ、私は彼のような技巧に恵まれてはおらず、老いたこの指先ではそれすら危ういのですが」
 呟きつつもカズネは左手を広げて見やる。何十年とバイオリンを奏で続けた指がそこにあった。彼は指同士を擦り付け合い、その感触を受け止める。
 波留はそんな彼を横目で見やり、視線を外す。ガラス状の壁面に寄り掛かり、真正面のラウンジ内を歩く人々に視線を送った。
 背後からは夕陽が差し込んできており、彼は陽の暖かさすら背中に感じたような気がした。人工島ならば最先端の物質が使われているために断熱効果は素晴らしいものだろうが、アイランドともなれば必ずしもそうではないのかもしれないと思う。
「――適当なプログラムを探す際、メタルに繋いだついでに調べたんですが…」
 夕陽を全身に浴びつつ、波留は口を開いた。頭のスーマランの青いレンズが赤い陽の光を弾いている。
「パガニーニは悪魔に魂を売ったとして恐れられていたそうですが、一方で彼がウィーンに初登場した際には市内に彼にちなんだ衣装や食品などが溢れ、貴婦人が群がったそうではないですか。人間なんてそんなもんです。自分に好ましく思える情報を選択する。それは時に相反する情報となっても気にも留めない」
 夕陽を当てる波留の横顔は微笑んでいる。彼は人の流れを見やりながら、そんな事を言っていた。
 カズネは波留に対し少し意外そうな表情を浮かべるが、波留に倣って往来する人々に視線を送る。ざわついた空気が振動し、高い所に取り付けられたスピーカーからは前時代的に船の出入港アナウンスが流されていた。
「だから僕は、気持ちがいい情報のみを選ぼうかと思います。あなたが仰ったバロックすら、良い方に取る事にしましょう」
 波留はそう言って、カズネの方を見た。相変わらず穏やかな笑みが、黒髪の青年の顔にある。
 カズネはそれを認め、眉を下げた。困ったような笑みを浮かべ、彼は短く声を上げて笑っていた。
 
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