波留はそのように断じ、その隣に座っているミナモは静かに聞き入っていた。特に口を挟むような事はしていない。
 カズネには、この少女は全てを理解しているような、それを当然の事実と受け止めているような、そんな印象を抱いた。音楽についての質問を彼自身にあれ程までに素直に行ってきていた彼女の姿からは、想像もつかない大人しさがそこにあるからである。
 しかし彼には未だにその話は理解出来ていなかった。正確に言うならば、ふたつのグラフの波形が意味する所は理解した。しかし、その先の理論展開が、全く把握出来ていない。そのために、彼は問うばかりである。
「――…その、地球律と言うものと僕の演奏が一致している事が、今回の一件と…一体どういう関係があるのでしょう?」
「地球律とはごく稀に客観的にこのように観測される事はあっても、人間が直に感じ取る事は出来ない。だから法則性のないデータ上のノイズでありバグの一種であると、今まで殆どの学者達に見過ごされてきていた。…基本的にはそう言うものらしいのです」
 質問に滑らかな口調で応じていた波留は、ここで説明を切った。ちらりとカズネを見やる。話についてきてくれているのか、様子を伺おうとした。
 そしてそこに浮かんでいる呆気に取られた雰囲気を、波留は感じ取った。それに、彼は苦笑気味に微笑む。手元に置かれたままになっていた紅茶のカップに口をつけた。僅かに口を休めた後に、苦笑交じりに話を再開する。
「…何だか他人事みたいな表現になってしまいましたね。しかし、実は僕はそれを感じ取る事が出来る人間でして…どうやら僕は少数派らしいのですが。でも、大多数の感じ取れない方々の感覚こそが、僕には良く判らないのですよ」
「…はあ」
 唐突に提示された「地球律」と言う概念は、カズネにはどうにも理解出来ない。掴み所がない話だった。だから、どうしても生返事になってしまう。
「しかし、それは、実は人間ならば誰しもが感じ取る事が出来るはずなのです。何故なら、人間は海や地球と繋がる事が出来るのだから。我々人間は、いずれは海に還り着く存在なのだから」
 概念的な話である。しかし波留は妙に実感と確信を持った口調でそれを述べている。
 その姿にカズネは圧倒されるような、ついていけないような心境に陥っていた。メタルダイバーとは最先端の技術者であるはずだが、そんなスピリチュアルな世界に傾倒している人もいるものなのか――そのような思いを抱いてしまう。
 それも、この波留と言う人物は、メタルダイバーであると共にリアルの海のダイバーも行っているからだろうか。だから海に全ての答えを求めてしまうのだろうか。カズネはそんな結論を導き出す。
 一方の波留は、若干胡散臭げな視線を向けられている事を自覚はしていた。それを受け止めつつも、理解して貰おうと躍起になって言葉を尽くすつもりにはなれなかった。このような扱いには、それこそ50年前から慣れていたからである。
 ――「僕達」とは、一体誰を指すのか。それを説明するだけで途端にカズネの態度が一変するだろうと直感はしていたが、彼は敢えてそれを行わなかった。ノイズを含めない彼なりの言葉で粛々と説明してゆくのみだった。
「そして、あのメタルが停止した原初の夜。人間は誰しも地球律を感じるチャンスがあった」
 その波留の言葉に、カズネは顔を上げた。自らも体験したあの夜に、興味を惹かれたらしい。補足を加え、それが合っているのかを確認する。
「それは…7月29日の、あの全世界のメタルと電力が停止した、あの日ですか?」
「はい。ノイズとなり得る他の律動が地球上から消え去ったあの夜ならば――まあ、僕はその時超深海に潜っていたので、地上の様子は全く知らなかったんですが」
 言いつつも波留は目を細めた。まるで何かを懐かしむように。
「あの時、誰もが何らかの声を聴いたはずです。気象分子の分解のためには全世界の電力を24時間停止させる必要があると。そうでなければ全世界的に24時間、自発的にメタルと電力を落とせなどと、世界中の人間に受け容れられる訳もない」
 波留の言葉にカズネは頷いていた。確かにその声を彼もまた聴いていたからである。
 そしてその声は、おそらく彼が敬愛してやまない兄弟子からのものであると確信していた。どういう事情でそんな声が伝わってきたかなどは理解しないままだったが、彼は確かにそう解釈したのだ。だからこそ、あの停電を受け容れる事が出来た。他の人々はどうだか知らないが、彼にはそう言う事情があった。
「そしてその先に、誰もが地球律を感じ取るチャンスはあった。しかし、能動的に聴こうとしなければ――普段聴こえていないものを聴こうと意識しなければ、それは感じ取れない。だから、全ての人が感じ取っていた訳ではない」
 カズネ自身は、そこまでは感じ取っていなかった。しかしあの畏れを抱くまでに静謐な夜ならば、何か他のものを聴いてしまう事もあったかもしれない――そう思わせる何かがそこにあった事は、認めざるを得ない。それが彼の実感だった。
「そして、ここからが、僕の仮定なのですが――」
 そこで波留は口篭る。ここまでの滑らかな説明が途切れてしまう。何やら躊躇っている様子だった。カズネから視線を外し、ちらりと他の方向を見た。
 カズネはその視線の先に、ミナモが座っている事に気付いた。ミナモは波留に対し、真剣な表情を浮かべて頷いてみせる。
 そんな無言のやり取りを経た後に、波留は再びカズネに向き直った。右手を持ち上げ、理論を口にする。
「あの時地球律を感じ取った人々とは言え、原初の夜を越えた先のノイズ溢れる日常にて地球律を聞き取る事は、やはり出来ない。それはあの夜の奇跡に過ぎない。そこに、地球律と同じ波形を持つ律動が、明らかなものとして現れたら?その律動が、直接、聴覚に訴え掛けてきたならば?」
 意識してのものなのか、波留が動かした右手の先には相変わらずモニタがあり、そこではふたつのグラフが展開されたままだった。赤と青の、律動までもが同じ波形がそこに描画されている。
「彼らの脳は、確かに先に感じ取った地球律の律動を記憶している。しかし今、実際にその律動を耳にしては、現実に溢れている様々なノイズと干渉し合ってしまうのではないのでしょうか。それが、脳に負荷を掛けた末に、頭痛や眩暈と言った体調不良の原因になったのではないか――それが僕が考える、今回の一件に対する結論です」
 
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