その頃には、波留は一旦メタルダイブを切り上げていた。
 単にメタルに繋がるだけならば、託体ベッドを用いているのだから長時間の接続が可能である。しかし、メタルダイブとなれば話が違う。電理研やその他専門機関に配備されているようなベッドならばまだしも、これは個人所有レベルのベッドである。あまり長時間のダイブには適していなかった。
 だから1時間を目処に、彼はリアルへと帰還していた。それでも休息後にはまたメタルダイブを行うかもしれないために、ベッドに横たわったままだった。そこでホロンとの協議を行っている。
 有線接続ではあるが、同じメタルである。ダイブ自体に違和感はなかった。しかし、メタルの海のデータの変動が激しいように感じられていた。それは数値としても客観的に結果に現れている。そこを突き詰めるために、再度ダイブの必要があるだろう――そのような結論に至っていた頃だった。
「――波留さん!」
 ふたりにとっては聴き慣れた少女の声が部屋の入口から飛び込んできた。それに従うようにかなりけたたましく、足音が駆け抜けてくる。
 部屋の入口に置いてある間仕切りを勢い余って倒してしまうのではないか。そのような恐れすら抱くような足音が迫り、しかしどうにか回避したらしく間仕切りの脇から少女の身体が現れた。走る勢いに身体があっちこっちを向きつつも、中学校の制服を着た少女が元気に走り込んで来た。託体ベッドの傍に立つホロンの脇をすり抜け、横たわる波留の元に飛び込む。
「…ミナモさん。大丈夫ですか?」
 ベッドの縁に手を掛けてへたりこみ、肩で息をしている少女に対して、横たわる波留はそんな事を訊いていた。上体を起こして、そこに置かれているミナモの手に自らの手が触れる。
 ミナモは勢い良く顔を上げた。髪が揺れるが彼女自身は気にしない。そこに居る波留を見上げて言う。
「波留さん、判ったの」
 波留はその台詞に不思議そうな顔をした。しかし何も言わない。彼女の台詞を待った。少女が呼吸を落ち着かせてからの次の行動を待つ事にした。
 そして彼が考えたように、ミナモは数度大きく息をついた後に、ベッドの縁を掴む手に力を込めた。その身体をゆっくりと立ち上がらせる。波留と視点の高さを逆転させた。
 そして、先程の孫娘との出会いにて、彼女が抱いた結論をそのままに口にしていた。
「一之瀬さんのバイオリンって、風さんと同じなんです!」
「――…はい?」
 その言葉に、波留は要領を得ない顔をしていた。この少女は一体何を言っているのだろう――彼はそう思ってしまった。
 しかし、すぐにその表情が引き締まる。おそらくはミナモがいくつかの理論を飛ばして結論に至ったのと同様に、波留もそれを直感するに至っていた。
 そうなると、彼の行動は早い。ベッドに身体を起こしたまま、傍に立っているホロンに顔を向けた。その視線は鋭い。
「――ホロン、昨日の一之瀬さんの演奏音源…最後の完全純正律で演奏されたクワジ・プレストだけでいい。それを僕に渡して欲しい」
「判りました。すぐに準備出来ます」
 ホロンは冷静に応えていた。その言葉が終わらないうちに、そこにあるコンソールに再び掌をかざす。かざされた付近に淡い光が生じ、ホロンの顔を照らし出していた。彼女は、自らの電脳にて保持している音源データを切り分けて編集し始める。
「…しかし、何をなさるのですか?」
 アンドロイドの瞳には何らかの電算作業が行われているような印象がある。このような時には彼女は明らかに人間ではなく、機械体にしか見えなかった。
 そんな状況の中、ホロンはマスターにその質問を行っていた。それは作業を行うに当たっては必ずしも知らねばならない疑問でもない。まるで人間のように知識を集めようとしているかのようだった。
「比較したいデータがあるんだ」
 波留はそんなホロンの態度を気に留めない。アンドロイドの問いに短く答えていた。
 その間に、ベッドの横に接しているコンソールに右手を伸ばす。ホロンとは別の面にその手を押し当てた。その面においてもぼんやりとした光が点灯する。
 波留はそのコンソールに自らを接続していた。そしてコンソールを介してホロンとの接続を繋ぐ。少しばかり容量が大きいデータでも安全に移動出来る環境を整えていた。
「そのデータの外部持ち出しが許可されるとは限らないから、僕が音源データを持ち込んで、あちらで比較して貰おうと思っている」
 言いながら、波留はベッドに再び身体を落とす。髪の結び目の位置を少し気にしつつも頭を落ち着け、中空を見上げた。そして黙り込む。
 僅かではあったが触れていた手が離れていったミナモは、それを視線で見送っていた。色々と聞きたい事はあったが、今の波留はメタルに接続しているのだろうと彼女にも理解する事が出来ていた。その様子からして、ダイブする程の大袈裟な事ではなく、メールや電通、或いはアバターを介した通信を行おうとしているのだと把握する。
 そう言う訳で、今の波留にリアル側から話しかけて邪魔をする訳にはいかない。そう言う想像はミナモにも働いていた。
 そして、ミナモとしても、波留が一体何をしようとしているのか――何のデータと比較するつもりなのか、誰に依頼しようとしているのか。それらも推測する事が可能だった。何せ、自らが言い出した事がきっかけで、波留はこうして動いているのだから。
 リアル側の人々が気を遣ってくれているため、波留の意識はメタル側に伸びている。電通を終え聴覚は沈黙し、外部の音を拾わない。視界も暗くなってゆく。
 右手の指に痺れるような感覚を覚える。そこに音源データが光球となって保持されているのを、波留は見ていた。そもそも彼は横になっていたはずなのに、何時の間にかに両脚は床を捉え、そこに立っている。身体の感覚がリアルのそれではなく、メタル内のアバターとして変換されている事を自覚した。
 顔を上げると、視界は薄暗がりに浮かぶ応接間を捉えている。メタルアバターとしての空間がそこにあり、波留は一歩踏み出した。視界の先にあるソファーに座ろうとする。
 そして彼の聴覚は、微かな起動音を察していた。視線を応接テーブルの向こうに向ける。
 そこには、車椅子に収まった人物のアバターが、静かに進み出て来ていた。
 
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