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蒼井ミナモと言う少女は、基本的に寝坊しがちである。 前の晩に夜更かしをし過ぎているとか、そう言う事情には必ずしも当て嵌まらない。健康的な時間帯に眠ったとしても朝には二度寝したりして起きるのが遅れたりする事もある。 自宅に彼女独りしかいない日々が続くようになると流石に自力で起きる日が殆どになったが、それでもたまに寝坊して慌てて学校に向かう朝も存在していた。しかしそれも遅刻する程ではなく、実害には至っていないのだから良いのかもしれない。 この日の朝、ミナモがまどろみの中に浸っていると、何かが身体に染み入ってきていた。 朝日が窓から差し込んできていて、床に光の切り込みを作り出している。その眩しさを瞼の向こうに感じたのが、彼女の目覚めの始まりではあった。しかしそれは人工島の自宅でも有り触れた事であり、眩しい光の前でも二度寝してしまう可能性があるのが彼女である。今朝もまたその眩しくも暖かい朝日を肌で感じつつ、寝返りを打ちそうになっていた。 そんな彼女の耳に、普段の朝には存在しない音が聴こえてきている。身体がそれを感じ取り、脳にも伝わり捉え始めていた。音を音律として認識し始めると、彼女の脳が徐々に覚醒してゆく。目覚めの過程を経てゆき、寝惚け眼がうっすらと開いた。 眠っていたために前髪が目許に掛かっており、それを鬱陶しげに払いつつ彼女は瞼を擦った。何やらぼやきつつもベッドに上体を起こす。 少女はぼんやりと周囲を見回し、その場に座ったまま動かなかった。耳で音律を聞き取りつつも、現在自分が置かれている状況をまだ理解していない。しかしそのうち、ここが自宅ではない事を思い出す。 彼女は顔を横に振り、右手をベッドサイドテーブルに伸ばした。そこに置いてある携帯端末を手探りで掴み取り、待ち受け画面に表示されている時刻を確認した。今は、通学する際に起床する時間帯だった。早くもなければ遅くもない、彼女にとっては丁度いい朝の時間である。 それを視認した頃には意識もはっきりしてきており、聴覚に届いている音律も微かに聴こえるバイオリンのメロディであると判断出来ていた。そしてそれは音量とその音律の微妙な揺らぎから、隣のコテージで生で演奏されているものだとミナモは気付く。 そして彼女はひとまず着替える。髪を整えたりする前に、既に人工島中学校の制服を纏っていた。普段はパジャマのまま自室を出て洗顔しに行ったりするものだが、ここは自宅ではない事を思い出していたからだ。第三者にはあまりみっともない姿を見られたくないと思うのは、年頃の少女として当然である。彼女の場合、その第三者とはもっと具体的に思い浮かぶ存在であったのだが、自身にその自覚はない。 微かなバイオリンの音色をBGMとしつつ、ミナモは静かに部屋の扉を開ける。何故だか出来る限り音を立てないように行動していた。 扉の向こうの空気は何処となくひんやりとしている。室内は締め切られておりそこに陽光が降り注いで空気を暖めていたようで、ミナモはその温度差を顕著に感じてしまう。廊下の向こうの吹き抜けの下のホールには人影は見られない。更に向こう側にある部屋が気になるが、訪れるのは彼女としては何故か気が引けた。廊下を歩き、階段をとんとんと下りてゆく。 ――このコテージに滞在しているはずの、後のふたりは一体何処に行ったのだろう?ミナモはそんな事を考えつつ、1階部分に降り立つ。 奥へと歩いてゆくと、微かに香ばしい匂いが彼女の鼻腔をくすぐっていた。通りすがりに台所を見やると、そこには鍋が置かれている。火には掛けられていないが、どうやら中身は調理されたばかりらしい。 それを見たミナモは、大体合点が行っていた。思わず足が速まる。そのままどんどんと突き当たりまで歩いてゆき、一番奥まった場所にある部屋の扉の前に立った。そのノブを掴んで引く。 入口付近に置かれた間仕切りを擦り抜けると、その向こうに鎮座していたのは託体ベッドだった。未電脳化者ではあるし一般人は自宅にそんな環境は整えないものだったが、ミナモはその存在を良く知っていた。そしてそれは既に起動状態にあり、そこには彼女が良く知る外見上の青年が横たわっている。 「――ミナモさん。おはようございます」 彼女の耳に、女性の声が届く。そこでは黒髪を結い上げブラウスとタイトスカート姿の公的アンドロイドが、傍の半球体のコンソールに手をかざしていた。 ミナモが4月から7月に掛けて、良く見た光景がそこにあった。しかし色々な相違点は存在する。横たわっているのは同一人物ではあるが、最早白髪の老人ではない。そしてベッドやコンソールには太いケーブルが接続されており、伸びたそれは床にのたくっている状態だった。それは、メタルの接続は有線のみで可能となっているアイランド固有の環境を示している。 少女はそれを眺めやりつつ、軽やかな足取りで託体ベッドへと歩み寄ってくる。そのベッドは波留が以前事務所で使用していたものと同じタイプであり、電理研などの専門施設に配備されているベッドのように半透明のカバーなどは存在していない。だから眠っているような状態の波留の顔を、ミナモは傍から覗き込む事が出来ていた。 ベッドに横になって眼を閉じている体勢ではあるが、波留はその長髪をきちんと後頭部で結んでいた。結び目を軽くずらすような感じで頭をベッドに着けている。 託体ベッドとは基本的に寝心地が良いようにマットレスなども設計されているとミナモも訊いてはいるが、それにしても髪を解いて使えばいいのにと思う。それは彼が白髪の老人であった頃から思い続けている事だった。 それはともかくとして、ミナモはこの状況には心当たりがあった。予定外の事ではなかったのだ。それを言葉にする。 「――波留さん、朝からメタルダイブするって言ってたもんね」 「はい」 ミナモの声を聴きつつ、ホロンはコンソールから目を離さない。掌がその球面に触れ、光を発している。そして壁に掛けられているモニタには様々なダイアログが表示されている。 少女にはそれらの内容は良く判らない。彼女が言う所の「理系」の世界は、脳が理解を拒否してしまうからである。電脳を経由すれば脳に直接、感覚的にデータが流れ込んでくるかもしれないが、彼女は未電脳化者だった。だからその画面をぼんやりと眺め、生じている光を顔に当てるだけとしていた。そのままホロンに質問する。 「――で、何か判りそうなの?」 「ダイブログを解析してみないと詳細は判りませんが、一見してアイランドのメタル全体及び電脳隔離病棟の各種メタルにおいて、異常は認められません」 ホロンの解答は淡々としていたが明快なものだった。用意されていたかのような言葉がミナモの前に現れている。 しかし、ミナモとしてはそれは望んでいた解答ではない。そんな結論ならば、やはり昨日の情報収集同様に徒労に終わってしまうのだろうか。彼女の中に、そんながっかりとした心境が現れる。 「…じゃあ、やっぱり手掛かりなし?」 「いえ…」 そこでホロンは少し口篭る。その言葉が淀んだ。僅かに俯き加減になる。どうやら説明するに用いる言葉を、AIとして選択しようとしているらしい。 そして数秒の沈黙の後に、彼女は再び言葉を用いる。形良く造形された唇が動き、意見を述べていた。 「…異常ではないのですが、メタル内で全体的に何かが活性化しているように見受けられます」 「活性化?」 ミナモはアンドロイドにその単語を問い返していた。それは、今回の案件において、彼女にとっては初耳である。しかも、AIであるホロンが「何か」と表現しているのだ。つまりそれが一体どういう事なのか、波留のメタル内探査でもホロンのそのサポートでも特定出来ていないと言う事になる。 となると、やはり今回の案件はメタルから糸口を掴む事になるのだろうか。波留さんを送り込んだソウタの判断は、正しかったのだろうか――?彼女の胸にそんな考えが去来する。 「マスターもそれにお気付きになられていて、それについて現在調査中です」 穏やかなホロンの台詞を耳にし、ミナモはふと気付いたような表情になる。波留の前から一歩引いた。苦笑気味な笑みを浮かべ、顔の前で右手を振って、言う。 「――あ、じゃあ…邪魔しちゃ駄目だね」 「ミナモさん、朝食用のスープならば台所に準備されております」 ホロンはそうやって微笑んで応えていた。しかし、アンドロイドはミナモの台詞を否定してはいない。むしろ、他の行動を示唆している。 その現実に、ミナモはやはり自分はここに居てはならないのだろうと思う。自分は波留のバディだと思っているが、以前からも実際にメタルダイブ中にサポートを行っていたのは電理研でありホロンだった。 ならば、その頃同様に、今自分に出来る事をやるべきだろう。彼女はそう思った。 「うん、判ってる。――私、折角だから病棟に顔出してくるね!」 ミナモは元気な声でホロンにそう告げ、その身を翻した。軽快な足取りで部屋の出口まで走ってゆく。彼女の結ばれていない褐色の髪が大きく揺れた。 そんな中、バイオリンの音色は、相変わらず微かにではあるが確実に響き渡っている。 |