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結局ミナモはブティックに波留を残し、アイランド商業区画のメインストリートを歩いている。 波留は何やら騒いでいたようだったが、その直後に店の入口まで戻ってミナモを呼び、「少し時間が掛かりそうなのでミナモさんも好きにしていて下さい」と申し入れていた。 電通出来ないこの島では、待ち合わせの時間と場所をきちんと設定する必要がある。波留はダイバーウォッチを、ミナモはペーパーインターフェイスを所持しているために、時刻の確認は可能だった。仮に何かあれば、通りのあちこちに立てられている時計を見ればいいだけの事だった。場所は、ホロンとの待ち合わせにも指定していた広場とする。今日の人通りは多いが、探し切れない訳ではないと思われた。 そう言う事情でミナモは通りを歩いている。波留は彼女にとってこの商業区画も馴染みだろうと思っていたが、当の彼女にとってはそうでもなかった。介助実習はそれなりに忙しいものであり、施設外に出て息抜きする暇もなかったのである。 それに実習1回目は3日間のみの予定であり、それも停電騒ぎでなし崩しに中断した。2回目は期間は1回目より長かったが、将来の進路を介助士と見据えての本格的な実習だった。そのためにかなり専門的な作業を行い、実習時間外においても予習復習や担当患者からのコールに追われ、施設外に出ている訳にも行かなかったのだ。 だから今の彼女にとっても、目の前に広がる風景は新鮮だった。通りは石畳できちんと舗装されていて、ヤシの木が立ち並んでいる。人工島とも似たような風景だったが、その高い位置には羽虫が飛び交っている点が決定的に違っていた。 空の高さも何処となく違うような気さえした。太陽の輝きも激しいように思える。ここは完全な自然が多い島である。そんなイメージが、ミナモの意識にそんな補完をしてくるのかもしれない。しかし彼女は肌に、それだけの雰囲気を感じ取っていた。 不意に少女の前の視界が開けた。潮の香りを乗せ、風が吹きぬけてゆく。そして太陽の光が彼女の前にちらついて見えた。 通りは終着点に到達していた。そこは海に面した展望台のような場所になっている。 アイランドや人工島住民にとっては海を臨む場所など有り触れてはいるのだが、それでもここにも数名の人々が佇んでいた。突き当たりには転落防止のための手摺りが張り巡らされているが、そこに寄りかかったり掴んでみせたりして、その身体に海風を存分に浴びている人々が居た。彼らは思い思いの表情で、連れ立った相手達と語り合っている。 ミナモはそんな人々に視線を巡らせた。どうやら独りでここまで来たのは自分ばかりであるらしい。確かに特別ではない場所なのだから、ここに来る事のみが目的として訪れるようなものでもない。そんな事を考えつつ、彼女は手摺りを辿ってゆく。 そこに、彼女はひとつ段差を見出した。人々は手摺りに沿って立っているのだから、上体が手摺りから突き出している光景が続いていたのだが、不意に手摺りより下に頭が来ている人間が居たのだ。 それにミナモは視線を留めた。視線を落とす。 ガードレール状になった手摺りは3段格子になっていて、その2段目を小さな手が掴んでいる。背伸びして、2段目と3段目の隙間から向こう側の海を見ていた。まだまだ幼い印象の娘で、歳は5,6歳であるように見えた。背の割に大きな頭ではふたつに髪を結んでおり、海風がそれをなびかせていた。手摺りにはこう言った幼児に対する安全基準は設けられているらしく、格子を乗り越える事は出来ないようだったし、頭が通り抜けるような恐れもないようだった。 それでもミナモは、どこか危なっかしい物を感じていた。親兄弟は同伴ではないのだろうか?――そんな事を考えて周りを見回すが、該当するような人間は見当たらなかった。 ミナモは歩みを進め、幼女に向かって歩いてゆく。意を決して話しかけていた。 「――ねえ」 子供はミナモの声にすぐに反応していた。振り返る。幼い子供にとってはミナモの背も充分に高く、首を反らせる勢いで見上げてきていた。それに慌て、ミナモは屈み込む。視線を合わせた。 「ひとり?お名前は?」 ミナモが子供にそんな質問をすると、意外にしっかりとした答えが返ってきた。歳相応に舌足らずな発音ではあるが、独りでここに来ている事や、自分の名前をきちんと応えてみせたのだ。 そしてミナモは驚きを隠せなかった。それはそのしっかりとした応対だけではなく、名乗った名前にも理由があった。その子は、ミナモが7月末に介助担当していた老女の孫娘の名と同様だったからだ。すぐさまミナモは「お婆ちゃん」の名前を尋ねると、それに対しても明快な返答を得る事が出来ていた。 確かにしっかりとしている子だと思う。独りで出歩いても大丈夫かもしれないと、ミナモは判断しそうになる。しかし、それでもいいのだろうかと、一抹の不安は残っていた。 ともかくミナモも幼い娘に対して自己紹介を行った。「お婆ちゃん」とは知り合いである事を述べ、そして先日の演奏会についてもとりあえず訊いてみた。 「私は何ともなかったよ?」 孫娘の解答は相変わらず明快だった。大きな瞳をくりくりさせて、ミナモに受け応えてゆく。 「でも、不思議な気持ちにはなったかな。何か、楽しかった」 「そうなんだー」 ミナモはゆっくりとした口調でそう応じ、大きく頷いてみせた。それはミナモ自身もカズネの演奏で感じたような感動であるように、思われた。やはり影響を受けない人間には、普通のクラシック音楽として心境の安定がもたらされているようだった。 そんな会話を行っていると、トートバッグの中から電子音が発せられていた。ミナモは慌てて中に手を突っ込む。ペーパーインターフェイスが起動しており、待ち受け画面にアラームが表示されていた。 それは彼女が事前に設定していた、波留との待ち合わせ時刻の告知だった。メタルには接続出来ないから端末としては使用出来ないが、スタンドアローン状態でも時計などの機能は利用出来るのである。 ミナモはアラームを停止させた。そして孫娘を見つめる。不思議そうな顔をして自分を見上げて来ていた。そこに、困ったような笑いを落とした。 「じゃあ、私は行かなきゃいけないから」 中学生の少女はそう言いつつ、手にした端末を鞄の中に滑らせて落とし込んでいた。そしてスカートを押さえつつ、立ち上がる。皺が寄ったような気がして、その裾を延ばした。 「うん。おねえさん、元気でね」 「気をつけて帰ってね」 「私なら大丈夫だよ」 相変わらずもしっかりとした答えが返ってくる。ミナモはそれに微笑んでいた。――私があの年頃の頃はどうだっただろう?そんな思いに至る。 が、暢気に考えている事態ではない事を思い出す。急ぎ、待っているだろう波留の元へと歩みを進めていた。石畳の固い感触が、彼女の靴に伝わってくる。そこに柔らかな海風が吹き抜けて行った。 |