アイランドの大半は熱帯雨林によって覆われている。それは自生の森林であり、滞在する人間達のための居住区画はとても狭い。自然を第一として運用されている島だからである。
 波留やカズネが滞在する別荘地としての区画と電脳隔離病棟区画との距離は遠くない。徒歩でも1時間弱で行き来する事が可能だった。そのため、調査の一段落を見た後に一旦コテージに戻っても特に大袈裟な話ではない。
 波留とミナモとホロンが滞在するコテージは、カズネの隣に位置していた。こじんまりとはしているが、男女に分かれて泊まれる部屋数は備わっている。部屋数と言う面においてはカズネと同じコテージに滞在しても一向に構わないのだが、調査対象と共に滞在するのは遠慮すべきとの判断があった。
 昼下がりに戻ってきた波留とミナモの前に、ホロンが紅茶を淹れて来る。ティーセット類はコテージ備え付けであり、茶葉は隣のコテージから公的アンドロイド経由でとりあえず分けて貰ったとの事である。滞在するに当たっては、改めての買い出しが必要だった。
 時間帯としても午後のティータイムに相応しい頃だった。その場で彼らは自分達が得た情報を交換し、会話する。この島では電通が使えない以上、このように顔を突き合わせて自らの口で言葉を述べ合う他、意思の疎通が出来ない。徒歩1時間の距離を行き来するのは煩雑ではあるが、人工島の外においてはそのような事もあり得る地域も少数ではなかった。
「――ホロン。音源データの精査はどうなっている?」
 簡素な木製の丸テーブルに着き、波留は紅茶のカップを傾けていた。トレイを膝の前に持ち、テーブルの傍に立って控えているアンドロイドに話を向ける。
 女性型アンドロイドは微笑んで答えた。彼女はコテージの準備の傍ら、データを収集した電脳を活動させて分析を行い続けていた。
 メタルには接続出来ない状況下ではあるが、スタンドアローンでの作業には支障はない。接触電通は可能なので都合に応じてその情報のやり取りを行う事も可能だし、そうでなくとも今回のように口頭で分析経過を説明すれば良い。彼女はそう言う状況に置かれていた。
「行ってはおりますが、最終段階には至っておりません。目下特筆すべき異変は存在しません。強いて言うならば、最後の曲については、ミナモさんが仰ったように完全純正律で演奏されていると言う事実が確認されております」
 紅茶を飲みながらホロンの語りを耳にしていたミナモだったが、彼女に関わるような事柄に至った時点でカップから口を離していた。顔を上げ、ホロンを見上げる。
「パガニーニって人の曲だよね?でもあの曲は5月のコンサートでも演奏されたよ?その時は大きなホールに満員だったけど、誰も体調崩してなかったはずだよ」
 ミナモの指摘に波留は頷いた。少女の弁にはやはり間違いは存在しないと、彼は自らの記憶から導き出していた。
 カズネの演奏が今回の件に関わっている可能性がある以上、事前に電理研によって独自に彼の今までの演奏履歴の調査が行われていた。そこには賞賛こそあれ、今回のような不可思議な体調不良を引き起こしたなどと言う話は一切なかった。このような不祥事については興行主がひた隠しにする可能性も否定出来なかったが、世界最高の調査機関と謳われる電理研を向こうに回して隠し通せるものもないはずである。
 その上で、波留は自らの意見を述べていた。
「完全純正律と言う技術のみを問題にするならば、一之瀬さんの専売特許ではないはずですね。彼以外の演奏家も行うかもしれないのに、そんな被害は報告されていないはずです。電理研が見落としているとも考えられますが、曲や演奏形式に問題があるのならば、長いクラシックコンサートの歴史やそれが成されてきた地域の多様性において、今まで何もなかったとは考え難い」
 クラシックとは他の音楽ジャンルとは異なり、長い歴史と広い普及度を誇っている。そんなジャンルの演奏家が、今回は相当のメジャーな楽曲のみを使用しているのである。今までに類似した演奏が、古今東西において一切行われていないとは、確率論の問題としてあり得ないのだ。
 波留の明快な説明には、ミナモも納得せざるを得ない。相槌を打つように頷きつつ、話を向ける。
「そうですよね。――じゃあ、被害者さん達の問題になるのかなあ?」
「現状ではそう考える他ありませんが、共通点が見出せなければ電理研に報告出来ませんし対策も取れませんね」
「うーん…」
 ミナモは腕を組み、考え込んでみせた。やはり何も判った事にはなっていない。アイランドを訪れてまだ数時間に過ぎないのだから急ぐ必要はないのだが、やはり成果を見たいものだった。
 そんな彼女を波留は見た。ティーカップを傾けて、微笑み言う。別の見方を提示した。
「後はあの隔離病棟の立地条件などを分析すべきですが、それは後程僕がその付近のメタルに潜って調べるとしましょう」
 アイランドには電脳障壁が打ち立てられているが、有線回線が引かれている場所ならばメタルへの接続は可能である。そしてこのコテージにはそれだけの環境が整えられていた。回線が保持され、託体ベッドが準備されている部屋がある。メタルダイバーである波留が調査に当たっているのだから、それだけの設備を準備しておかなければ彼を送り込んだ意味などなかった。
 そして波留はティーカップをテーブルの上に置く。椅子を引き、立ち上がった。
「――まあ、それはそれとして、ひとまず買い出しに出向きましょうか。あまりのんびりしていると、店が閉店してしまいます」
 ミナモはきょとんとした。波留の行動に面食らう。
 どうやら次の行動に出ようと言う事らしい。現状では、介助施設側で聞き込み調査を行い、カズネの演奏音源を取得した。その次に行うべき事について、波留は優先順位をつけたようである。
「マスター、食品類ならば私が購入して参りますが…」
 ホロンも波留に対して口を挟んできた。元々彼女はアイランドに波留が滞在していた当時、商業区画に買い出しに通っていたものだった。その頃のように動けばいい話である。そんな彼女に波留は右手を上げた。制止するような態度を示す。
「いや、僕は服を買いたいからね。荷物にしたくなかったから、着替えを持ってきていないんだ。それに、商業区画にも被害者が居ると言う話だ。ついでに話を伺って来よう」
 そんなふたりの会話を、ミナモはぼんやりと見ていた。が、不意に何かを思いついたような表情を浮かべる。思わずそのままの勢いでテーブルに両手を突き、前のめりになって口走った。
「――あの」
 少女は言い掛けただけで、台詞を途切れさせていた。しかしそれだけでも効果は抜群である。波留とホロンは一斉に彼女の方を見ていた。それぞれに予想外だったらしく、意外そうな表情で少女の顔を見やる。
 そのふたりの視線を一挙に受け止め、ミナモは顔が赤くしていた。しかし言い出してしまった以上、その勢いを止めるつもりは彼女にはない。胸に右手を当て、続けた。
「私も…一緒に行っていいですか?」
 頬を赤くしてそんな事を言うミナモに、波留は不思議なものを見るような顔をしていた。普通の事をやろうとしているのに、何故そんな風に勢い込んで言わなくてはならないのか。彼には理解出来なかった。
 しかし、必死な少女の表情にも、彼を和ませるものがある。そんな思いに浸ると、彼の口許にも笑みが再び浮かんできていた。
「…ええ」
 波留は微笑んでそう答えていた。その態度に、ミナモは嬉しくなる。満面の笑顔を浮かべた。そして波留は台詞を継ぐ。
「ホロンには荷物を持って貰いますし、介助実習で馴染みのミナモさんにとっては懐かしい所でしょう。皆で行きましょうか」
 どうやら最初から、彼は全員で行くつもりだったようである。それは当然と言えば当然の話だった。波留はホロンのマスターなのだから、買い出しともなれば大荷物になるだろうから使役のために伴うだろう。そしてミナモをひとりで待たせるのもどうかと思い、娯楽には乏しいが商業区画に一緒に行くのを選ばせるだろう――そう言う結論を、ミナモ自身も理解していた。
 しかし、何処かがっかりとした心境にもなっていた。
 それがどう言う事情に拠るものなのか。彼女自身には判ったようでいて判らない。判ってはいけないような気がする。そんな気分だった。
 
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