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波留はミナモを伴い、事件現場である電脳隔離病棟へと足を運んでいた。ホロンは彼らが滞在するコテージの準備とデータの精査作業のために残してきている。 ふたりが到着した時間帯は正午の頃であり、現地は食事時だった。富裕層が滞在する施設のために、患者達の生活にも配慮がなされている。病棟での生活の時間割も厳密ではなく、余裕をもったものとなっていた。 彼らの担当の事務員は、7月末にいきなりアイランドに出現した波留と折衝を行った女性職員だった。だから波留とも初対面ではなく、ミナモとしても介助実習で馴染みの相手だった。そのために話はスムーズに進んでゆく。 10月2日の夜8時から9時に掛けて行われた演奏会の直後、就寝時間の頃から眩暈を訴える患者やその家族が現れていた。それは職員にも波及し、翌日朝には施設外に滞在している見物人からも問い合わせが来ていた。 性別年齢に一切関連性は見られず、患者だけではなく全くの健康体である人間も影響を受けていた。千差万別の人間に症状が現れている。食中毒などの可能性も症状から否定されたし、そもそも施設内で出された食事を口にしていない人間も症状を引き起こしていた。 電脳障害の可能性も、現状では不明としか言いようがなかった。少なくとも障壁に異常はなく、2日夜から現在に至るまで、島の周辺に電磁波などの観測事実は存在しない。そこに現れているデータのみでは、調査は手詰まりだった。 波留は出来る事から取り掛かり始める。その観測データを受け取った上で、現在施設内に滞在している関係者への聞き取り調査を開始する事とした。 そんな中でもミナモは大きなトートバッグを抱えて波留に着いてゆく。彼女は時に波留を先導し、施設内を案内していた。 そして関係者の中には、ミナモが7月末での介助実習時に担当していた老女も含まれていた。それには彼女も驚き、聞き込みを自らの手で行っている。 この老女の場合も軽めの眩暈を感じていた。しかし、同席していた孫娘にはそんな症状は見られなかったらしい。その孫娘は現在この施設内には居なかった。商業区画に遊びに出向いているとの話だった。被害者ではない以上聞き取り調査の対象でもないのだが、機会があったら孫娘からも話を訊きたいとの旨を、ミナモは老女に伝えていた。 「――7月のあの日は、あなたが居てくれて助かったわ。あの夜は不思議な事ばかりだったから」 「いえ、皆さん元気で良かったです!」 困ったように笑っている老女に対し、ミナモは元気一杯に答えていた。力こぶすら作ってみせる仕草をしてみせ、それが更に老女の笑いを促進させてゆく。どうやら彼女はこの老人の信頼を得ていたようである。 そんな風にして着実に情報収集を進めてゆくが、彼らは結局大した成果は得られていなかった。 |