――訪問者として、調査員として、全員の面通しが終了した。波留はそう判断し、話を本題へと進めて行こうとした。パスケースをポケットに突っ込み、ホロンに目配せする。そしてカズネの方を向いた。
「一之瀬さん。早速ですが、調査に取り掛かりたいと思います」
「…はい」
 波留の言葉に、カズネの表情から笑みが消えた。沈んだ雰囲気を醸し出す。そのままの状況で頷く。口許が下がり、結ばれた。それは彼の心境を外部にも現しており、波留にもそれが伝わっていた。
 だから、波留は少し微笑んでみせる。右手で彼らが今立っている場所を指し示した。そこはコテージ内では一番広い場所であり、天井に向けて吹き抜けも存在している。ホール状の部屋だった。
「まず…ここで実際に先日の演奏を、出来る限り再現して頂けますか?曲目は勿論その編曲の形式、更には演奏の癖なども…記憶なさっている限りで構いませんから」
「え?」
 カズネは、波留のその申し出に怪訝そうな表情を浮かべた。それに応対するように、波留の隣にホロンが歩み寄ってくる。カズネに、今度は軽く目礼した。その彼女を一瞬見やり、波留はカズネに説明を始める。
「あなたの演奏から、音律や周波数、その他空気に伝わる振動…それらを観測して分析したいのです。彼女はアンドロイドですから、あなたの演奏をそのまま自らの電脳に保存して精査する事が可能です。人間とは違い、そこには何の予断も介入しないのですよ」
 波留の説明をカズネは聞き入っていた。彼はアンドロイドなどの機械体の存在には、一般人としての距離を保っている。それは、彼が過ごす世界には有り触れた存在ではなかった。だから、波留の説明から判断する他ない。
 次いで、カズネはホロンに視線を向けた。目礼している女性型アンドロイドをまじまじと見つめる。容貌だけでは、生身の人間と全く区別がつかない。このように至近距離から見ても違いが判らないのだから、彼女は外部に晒されている皮膚や頭髪にかなり高価な有機生体パーツを用いられて構築されているのだろうと素人目にも思わせる。しかし、醸し出す雰囲気は、明らかに人間のそれとは違っていた。
 ホロンは顔を上げた。自身を見ているカズネに対し、微笑みを浮かべてみせる。柔らかな表情を顔に見せ、口を開いた。
「今回の用途において、私は単なる端末です。録音媒体に過ぎないとお考え下さい。メタルと断絶しているこの場においても、そう言った作業は可能なのです」
 アンドロイドにとっては、それは説明の補足のつもりだったのだろう。その落ち着いた口調が更に続いてゆく。表情を変える事もなく、その台詞を口にしていた。
「その際にはマスターとミナモさんも同席なさいますが、もしかしたらどなたかが体調の不調をお感じになられるかもしれません。結果が再現されたなら、そのデータは決定的なものとなるでしょう」
 この台詞には、流石にカズネも面食らっていた。僅かに仰け反り、後退りしてしまう。
 このホロンと呼ばれるアンドロイドは秘書型だけあって物腰も柔らかであり、人間への応対にも慣れた素振りを見せていた。それだけの対人プログラムがインストールされているのだろうと思われたが、それにしては今回の台詞は殆どオブラートに包まれていない。
 本題である事実に根幹から関わる問題定義については、誤解無きように確実に言葉として述べておくべきだと言う思考が働いたのだろうか。人工知能に対して好意的に解釈するならば、そのような意見が適当だろう。しかし彼らの存在に慣れていない一般的な人間は、そんな考えには至らない。只引いてしまうばかりだった。
 そう言う状況で、流石に波留も慌てる素振りを見せている。――ホロンの言動は、事実に対しては全く間違っていないのだ。態度がアンドロイドのそれであるだけであり、それがちょっとばかり人間に対しては厳しい面を覗かせているだけなのだ。だから、彼女を運用している人間がフォローを入れる他ない。彼はそう考え、口を挟んでいた。
「…いえ、先日の演奏においても、体調を崩さなかった方が大半だったと伺っています。ですから、気負わずに普通に演奏をお願いします」
 波留は軽く頭を下げ、目を伏せてカズネにそう告げていた。これはフォローでもあり、彼が思っている事でもあった。
 精査すべきデータの入手のためには、当時の演奏を出来る限り再現して貰わなければならない。そして音楽演奏とは、演奏者の気の持ちように左右されがちなのだと言われている。音楽にあまり縁がない人生を送ってきている波留だったが、一般論としての音楽の知識は流石に持ち合わせていた。
 だから、カズネには「また誰かを傷付けるかもしれない」などと言う先入観の元に演奏して貰っては、困るのだ。その要素は、確実に先日の演奏会時には含まれていなかったのだから。
 場の空気が若干重くなっている。そんな中、今まで口を閉ざしていたひとりの少女がすっと足を踏み出していた。リボンを揺らし、カズネの前に立つ。彼女よりも背の高い老人を見上げた。胸に手を当てて、見上げる顔の頬には赤味が差している。大きな瞳には一杯の興味を湛え、口を開いた。
「――私、一之瀬さんのバイオリンをまた聴きたかったんです。そんな機会がこんなに早く訪れるなんて、幸せだな」
 ミナモの弾んだ声が高い音律となって、ホール状の部屋に放たれていた。明るい色彩がその場に現れる。
 カズネはその少女の言動を、意外そうな表情をもって受け止めていた。軽く口を半開きにしてしまっている。
 が、そのうちにその口許に笑みが戻ってくる。皺が寄った目許が更に深く刻み込まれ、安堵とも楽しげともつかない表情に移り変わってゆく。
「――判りました、蒼井ミナモさん」
 カズネは目を細め、低い位置にある少女の顔を見やって微笑んでいた。この少女は何の衒いもなく、自分の演奏を聴きたがっている。それを隠さない。――彼は、その態度に救われた心境になった。
「準備してきますね。皆さんは、少しお待ち下さい」
 演奏者はミナモを始めとした訪問者達にそう告げる。そして彼らに背を向け、自室へと歩みを進めて行った。ミナモはその背中にもにこにこと微笑みを向けている。身体全体で喜びを表していた。
 そんな彼女を、波留は見つめていた。彼もまた、微笑まずにはいられない。ミナモからのフォローに感謝する一方、それは計算づくではない純粋な好意から来たものであるとも認識していた。少女のそう言う所に彼は好感を抱くのだとも。
「――ミナモさん。ありがとうございました」
 柔和な微笑を浮かべ、波留はミナモに軽く頭を下げる。結ばれていない前髪が顔の合間から垂れ下がった。
 ミナモは、そんな彼の態度にきょとんとした。彼女としては、何故波留が自分に対して頭を下げてくるのか、礼の言葉を口にするのか。全く判らなかった。
 しかし、悪い気はしない。だから満面の笑みを浮かべ、大きく頷いていた。その場にある奇妙な空気を吹き飛ばしてゆく。
 ホロンはそんな人間達を、微笑を浮かべて見ていた。
 
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