10月4日現在、一之瀬カズネはアイランドに予定外の滞在を強いられている状況に陥っていた。
 無論、人工島区域に彼を招待した電理研には丁重に扱われてはいる。電理研は彼に、リゾートと名高いアイランドのコテージのひとつを滞在先として提供し、世話役として公的アンドロイドを配備している。ゲストへの待遇としてはかなり手厚いものである。
 しかし、それは軟禁状態には違いなかった。彼に行動の自由は許されていない。
 全く好ましい状況ではなかったが、彼はそれを受け容れていた。自らの行動が引き起こしたかもしれない結果を理解している以上、不満を露わにする気にはなれなかったのだ。
 更に、音楽家である彼は、自らのバイオリンが被害をもたらした可能性に打ちのめされていた。それは長年彼と共に在ったバイオリンであり、それを用いて成された演奏だったのだ。仮に被害との関連性が本当に見出される事態ともなれば、彼にとってそれは自らの人生の全否定に他ならない。その結末は、回避出来るものならそうあって欲しい。それを願うばかりだった。
 そんな彼の元を、波留達が訪れたのは朝の10時頃だった。





 カズネが一行の中で面識があったのは、ミナモのみだった。波留とホロンとは、5月の一件において彼と面通しは行われていない。
 だから元気一杯にカズネの前に飛び出してきたミナモを見た時に、カズネの表情は初めて笑顔を見せていた。少女は5月の出会いの時同様に、彼の両手を取り揺らしてくる。その態度にカズネは微笑む。変わっていないと感じていた。
 そんなふたりの様子を波留は目を細めて見ていた。――ミナモさんの助力を仰いだ判断は間違っていないらしい。彼はそう感じていた。
 見知らぬ自分が調査に来たと告げた所で、彼は緊張してしまうだろう。仮に演奏が影響をもたらしたとすれば、精神的な問題が強い。過剰なストレスが掛かってしまっては、状況の再現も難しい可能性があった。波留はそれを考慮している。
 喜びの再会が一段落した頃に、波留は口を挟んだ。ふたりの前に一歩踏み出して胸に右手を当てて会釈する。
「――初めまして、一之瀬カズネさん。僕は電理研から今回の件に関して調査依頼を請けた、メタルダイバーの波留真理です」
 彼は礼儀正しく自己紹介を口にし、左手をポケットに突っ込む。そこからパスケースを取り出した。ふたつに畳まれていたそれを開き、そこに入っている写真画像付き身分証明書をカズネに見せる。それは電理研から発行されたものであり、統括部長代理直属の調査員としての彼の当面の地位を保証するものだった。
 接触電通でもその証明は可能で、電脳隔離区画のアイランドであっても接触電通は行う事が出来る。しかし彼が今回接触する人間の中には、未電脳化者や電脳アレルギーなどの電脳障害患者が含まれていた。ならば、前時代的かつ汎用的な証明書を準備するのが一番確実である。
 そして、波留は右手を差し出す。カズネはその手に何処となく戸惑うような視線を送る。が、すぐに眼鏡の奥の瞳が柔らかくなった。手を差し伸べ、波留からの握手に応じる。
「あなたが…永一朗さんの御親友ですか。お若いようですが…まあ、永一朗さんもそうでしたね」
 カズネは柔和な笑みを浮かべ、波留にそう告げていた。納得した風に頷きつつ、握手する手を揺らす。白いものが混じり始めていて全体的にグレーかかってきている彼の髪は肩に届く長さで、それが彼の顔に掛かる。
「…僕の事を御存知だったのですか」
 カズネの掌の温かさを感じつつ、波留は意外そうな声を上げていた。まさかカズネが波留自身の事を知っているとは思わなかったのだ。今回が初対面だと言うのに――それとも電理研が、これから派遣する調査員の情報を、カズネに申し送っていたのだろうか?
 そんな風に波留が頭上に疑問符を浮かべている様は、相対しているカズネにも感じられていた。微笑みを深め、説明する。
「波留真理と言えば久島永一朗の長年の親友だと、報道レベルで有名ですよ」
「そうですか…」
 波留は生返事だった。疑問符が解消された雰囲気ではない。確かに妥当と思われる説明は受けたが、煙に巻かれたような心境である。
 彼にしてみたら、それは全く実感が沸かない話だった。確かに親友は世界的な有名人だったかもしれないが、自分もそんな世界に片足を突っ込んでいるとは思ってもみない。
 久島永一朗が7月中旬にテロに見舞われて以来、電理研統括部長の人となりへの報道が行われるようになっていた。それは視聴者が彼に対してそのような興味を抱くのを隠さなくなったからであり、更には彼の一線からのリタイヤが確実となった事で「過去の偉人」とのカテゴリに追いやられたからでもあった。
 そして久島のプライベートに触れるからには、その親友の存在も明らかになる。波留自身には全く自覚がないが、彼の存在は名前だけは久島に付随してある種の人々の興味の元に広まりつつあった。
 しかしその容貌は、殆どの報道において明らかにされていない。それも、時期によって、彼の容貌が老人だったり青年だったりするからだろう。全身義体化の可能性も考慮に入れるべき時代なのだから、伝わる容貌には大した意味がないと言う事情もある。
 そのような事態には、波留自身は本気で興味がない。だから話を進める事とした。視線を隣に向け、そこに並ぶふたりの女性を微笑みつつ見やった。
「こちらは僕のアシスタントのホロン。電理研所属の公的アンドロイドです。そしてミナモさんには僕のお手伝いをして頂いています」
 ふたりは波留に手で指し示されて紹介を受ける。ホロンは深々と、ミナモは慌てた風にぺこりと頭を下げていた。
 カズネはホロンに対しては不可解そうな表情を浮かべてみせた。どうやら現状まで彼にあてがわれていた世話役の公的アンドロイドと、彼女の姿を見比べたらしい。どうしてこのアシスタントは人間同様の格好をしているのだろうと思ってしまうのだろう。
 それに対してホロンは顔を上げ、微笑を浮かべて先程のターミナルにて波留とミナモに行ったような説明を繰り返す。その態度は公的アンドロイドと変わらないとの印象を、老年の演奏家に与えていた。
 
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