平時のアイランド行きの定期船の乗船率は8割程度だった。ジェットフォイル式のフェリーの運航に、ミナモは船体の揺れを感じていた。海は荒れていないはずだが穏やかにはいかない。
 電理研が用意した席は、3人並んでのものだった。昨日のうちに準備された席だろうが混み合っている便でもない以上、全員纏まった位置の席を取る事が出来たらしい。
 ミナモは3人の席の真ん中に座っていた。膝の上に大きなトートバッグを抱え込んでいる。島民にしては大きな荷物ではあるが、手荷物に過ぎない。普段持ち歩いているものなのだから、特別に貨物として預けるつもりもなかった。
 彼女は隣に位置する窓際の席を見やる。そこには波留が着いていた。彼は一貫して窓の外を見続けている。出航前には確か、甲板で海を見ていたはずだと彼女は思い起こす。本当に海が好きな人なのだと、少女は認識を新たにしていた。
 ――それにしても、やっぱり素敵な人だと思う。ふとミナモは波留の横顔に、そんな事を思った。客観的に表現するならば、彼女は間違いなく波留に見とれていた。
「――どうかしましたか?」
 不意に波留の声が少女の耳に届く。どうやらミナモの視線に気付いたらしく、波留が彼女の方を見ていた。
 微笑みを湛えた視線を受け止め、ミナモは慌ててしまう。バッグを抱え込んでいた両手が泳ぐように動いた。
「あ、えっと、波留さんってずっと海を見ていると思って」
 しどろもどろになり、ミナモはそう言う。まさか心境を説明する訳にはいかないとの防御機構は、無意識に働いていた。だから彼女は、見ていたものをそのまま告げるばかりだった。
 ミナモの心境を知ってか知らずか、波留は優しげに微笑んだ。視線のみを窓へと向ける。
「物珍しい光景だからですよ」
「え?」
 波留の言葉に、ミナモはきょとんとした。ずっと海を臨んで生きてきている波留が、そんな事を言い出すとは思わなかったのだ。
「そう言えば、自力でアイランドへ向かった事は今までなかったなと思いまして。僕にとっては初めてなんです。この海の光景は」
 黒髪の青年は、しみじみとした口調で台詞を続けている。ミナモはそんな彼を怪訝そうに見やっていた。
 波留がアイランドを訪れるのは3回目であるはずだった。なのに、どうして初めてなのか――ミナモは意外に思いつつも、波留の経歴を脳内で精査し始めていた。すると、すぐに彼の言い分が正しいと思い至る。
 4月まで波留は介助される老人として、アイランドの電脳隔離施設に滞在していた。しかしそこに移動させられる頃、波留は未だに深い眠りに就いていた。意識を取り戻していないのだから、移動中の景色など知る訳もない。
 そして7月末、波留は超深海ダイブを経てアイランドの海岸に姿を現していた。しかしその際も、まともな訪問ルートを辿っていない。海の深層から吹き飛ばされての到着だった。
 確かにこの2件では、波留は人工島からアイランドに向けての海を全く見ていない事になる。にしても、海の光景なんて何処でも同じようなものだろうに――ミナモはそう思ってしまう。
 しかし、波留にとっては違うらしい。そう思ってミナモは、波留を挟んで向こう側に見える窓から海を見やった。彼はそこに何か違うものを見出しているのだろう。その風景を、彼女も理解したかった。
 そんな彼女に、今度は波留から言葉が投げ掛けられる。世間話めいた自然な口調がそこにあった。
「ミナモさんも、大きな荷物を持ち込まれたものですね」
「え?」
「アイランドで調達出来るものも多いし、接続バイザーも必要ありませんよ」
 低い声が柔らかい口調でミナモの耳に届いてくる。それに、ミナモは照れたように笑った。両手でトートバッグの口許を押さえる。まるで開いた口を閉じ、中身を波留に悟らせないようにするかのように。
 
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