波留は鮫にも確かに意識は振り分けていたが、凝視していたのは違うものだった。彼はバイザーの隅に投影されているカウントダウンの数値を見ていた。その数値が遂に、ゼロを刻む。 その瞬間、凄まじい音が振動となって辺り一帯に轟いた。 そして別の方向からの海流が発生する。それは海底方向から発せられたものであり、身体をそちらに向かって転換しようとしていた鮫は、その勢いをまともに喰らった。 鮫の巨体が、まるで風に巻き上げられる紙屑のように、勢い良く海上方向へと吹き飛ばされていた。あっという間に波留の前から姿を消してゆく。暗い海底では視界が制限されているために、波留の視界からはその巨体を捉える事が出来なくなっていた。細かな泡も巻き上がり、彼の視界を塞いでいる。 それ以降も物凄い勢いの海流が海底方向から発生しており、波留もそれに巻き込まれないように短刀に体を引き寄せていた。その流れは海流とはまた違い、限定された区域にのみ発生していた。波留はぎりぎりの所で直撃を避けていた。引き波に吸い込まれそうになるが、それに対しては踏ん張って抵抗する。 その海流は、メタルの海にも存在する間欠泉に拠るものだった。 その吹き上がる海水の勢いは凄まじいものがあるが、時間限定だった。それに海底から開けた海への噴き出しである。吹き上がってゆくに従ってその勢いは四方の海に拡散し、上方向への勢いは結果的に減算してゆく。 それでもその鮫は直撃を喰らい、10m単位で海上方向へと吹き飛ばされていた。その最中も懸命に身を捩じらせ、体勢を立て直そうとしていた。しかし間欠泉によって生じた海流の勢いは未だに留まらず、鮫は上昇し続けている。 その鮫の身体に、勢い良く何かが叩き付けられていた。まるで絡みつくように鮫の巨体を捉え、覆う。吹き飛ばされていた勢いはそれにより停められたが、鮫は自由を奪われた格好となっていた。 間欠泉によって巻き起こされる海流のルートの上部に、ふたりのダイバーが網を張って待ち構えていたのだ。大柄なダイバーと小柄なダイバーと言う対照的なふたりが網の両端をそれぞれに持ち、飛び込んできた鮫をそこに捕らえる。 それは巨体を捕えるだけの大きな網であり、その中央に鮫の身体をしっかりと捕獲した段階で、彼らは海底方向へと泳ぎを進め、互いに交差する。鮫が飛び込んできた方角の網を繋ぎ止め、逃げられないようにした。 メタルの海において網とは、思考複合体を初めとしたプログラムの産物を捕獲するためのプログラムである。海洋生物のアバターを相手にするのだから、捕獲プログラムも網の形態を取るのがメジャーと言う事になる。 プログラムの産物である以上、その網もまた、プログラム作成者と使用者の思考に性能は左右される。並のダイバーが構築した強度では、海の支配者である鮫のアバターを持つ攻撃性思考複合体には容易く破られてしまうだろう。そこに捕えられている鮫もまた、巨体を振り回して暴れていた。絡みついた細かな網を破るべく、大口が開いて噛み切ろうとする。尾びれが打ち振るわれ、網に叩き付けられていた。 しかし、網に破れる様子はない。張られた網の繊維が仄かに発光し、鮫を覆い尽くしていた。彼らは電理研委託ダイバーの中でも相当な使い手であり、共に生活する兄弟でもある。彼らのコンビネーションは素晴らしいものがあった。 ――完全に捕獲した。そう把握したふたりのダイバーは、頷き合う。そして小柄な兄が、更に海上方向を指差した。強い思考が放たれる。リアルにおいては叫んだかのように、全方位に電通を発した。 ――行け!新人! 網に覆われ、もがく事で発生する泡に塗れた鮫にもその電通が聴こえたのかは謎である。しかし鮫は、小柄なダイバーが指差した方角に視界を巡らせていた。 間欠泉からの放出が途切れたのか、海上方面への海流は緩やかになって来ている。その鮫を捕えている網の上部に躍り出た存在が居た。 そこにはもうひとりの小柄なメタルダイバーが、その右手に銛を持ち振り上げている。網の下部でその維持に専念しているアユムとはまた違い、小柄ではあるがあくまでもそれは細身の少年体型だった。 彼は飛び出した勢いのまま、海底方向に泳いでゆく。彼が目指す方向に拘束されている鮫目掛け、銛を振りかざした。そして泳ぐ勢いを維持したまま、身体ごと鮫の巨体に体当たりを掛ける。構えた銛の切っ先を鮫の胴体に叩き込んだ。 その鋭い先端が、鮫の表皮を滑り、抉る。切り裂き露出した傷口に対し、メタルダイバーは再び銛を振りかざす。全身の力を込めて、そこに突き込んだ。銛が半ばまで、鮫の身体にめり込む。 メタルの海に存在する以上、銛もまた攻撃プログラムの一形態である。それが攻撃性思考複合体である鮫に命中した時点で、その効力を発揮し始めた。網同様に銛全体が白く発光する。その光は貫く鮫の身体をも侵食して行った。 胴体の後方部分に銛をめり込ませ、網に捕えられた鮫は、その身を激しく捩じらせている。傷付けられた痛みと纏わり着く網に自由を奪われた苛立たしさが、その動きに現れていた。その鮫の尾びれが先端から光を発し、海水に溶け始めている。それは攻撃プログラムが与える効力によりウィルスとしてのプログラムがダメージを受け、鮫としてのアバターが維持出来なくなって来ている証左だった。 |