状況を理解すると、気持ちも落ち着いてくる。扱いはどうあれ、姉はその義体を見た。一時の衝撃から覚めた今、彼女が訊きたかった事を口にする。 「――あなた、今の自分が置かれている状況を理解しているの?」 訊きたい事があったとは言え、彼女はそれをストレートには質問していなかった。それを言う事は心情的に流石に憚られた。だからその問いは婉曲なものとなる。 質問を受けた義体は、僅かに右腕を肘掛けの上で動かした。その際に、微かに車輪が軋むような音が静かな部屋に響く。その音により、老女は初めて彼が車椅子に座っている事に気が付いていた。それに気を取られる。そこに、返答が寄越された。 「久島永一朗の肉親が人工島を訪れたと言う事は、彼の死を認めると言う判断が下される可能性が高いのだな」 婉曲な質問に対して端的な答えが返ってきた。言外に訊きたい事を予測し、手間を省くために直球で答えたのだろうかと老女は思った。それは彼女の弟がやりそうな行為だと感じる。しかし、そんなパーソナリティは受け継いでいないと、当の義体に言い切られている。 「…その話、きちんと訊いているのね」 彼女は静かに言った。自らが彼らの生殺与奪を握っているとは言え、それを当人に述べる事は出来なかった。 しかし当人はあっさりとしたもので、それをさっくりと口にしてしまう。それどころか、生存を選択されると言う可能性は述べなかったのだ。姉の意向はさておき、電理研の意向を理解している証左である。 それにしても「いずれ殺される」と言う可能性を言い含められるとは、どのような気分なのだろうかと彼女は思う。そして、わざわざそれを告げる判断とは如何様なものなのだろう。 「私の起動に関わる問題だから、訊かせておくべきと言う判断が部長代理には働いているらしい」 まるで老女の疑問に答えるように義体はそう言った。そのままその場に居る当の部長代理をちらりと見る。それに対応するように、黒髪の青年は黙礼していた。 「――もっとも、私は人間に従う存在なのだから、私の意思など関係なく起動を停止しても構わないと思うのだがな。それが人間がAIに対して持つ権利なのだから」 結局の所、自らの死をある一定数の人間達に望まれている件についても、義体は淡々と言葉にしていた。それはAIに対するマインドコントロールの最たるものなのだろう。人間に奉仕するためには自らの存在の完全なる消失も厭わない、その前提が彼らの思考には設定されている。その事実を老女は目の当たりにしていた。 「久島が死ねば、あなたも死んでしまうの?」 「私の役目は彼の記憶の保存であり、彼の脳核の生命維持だ。それらが解決されるのならば、私に起動する意味はなくなる。そもそも私は彼の義体に隠蔽され、その脳核に起動を依存している存在だ。それが生命を全うするならば、私も消失する事となる」 人間に当て嵌めて考えたならば、それはとても酷い話だと彼女は思う。しかし彼らは人工物であり、そう扱われるのが当然だという認識を持っている。そしてそのような決議を下したと言う事は、人工島住民にとっても当然の事なのだろうか。 それにしては、この部屋に満ちた空気の悲痛さはどういう事だろうと思わざるを得ない。少なくともこの場に居る人間達は、このAIの消失を望んではいない印象を彼女は受けていた。 だから、この部長代理も、妹の前では言いたくなかったのだろう。個人的には老人の意地悪のつもりだったが、相当なダメージを受けているようだから――老女はそんな考えを抱いていた。 その姉は前に揃えていた右手をそっと持ち上げた。ゆっくりと胸の前まで持ってきた後、その手を前に伸ばしてゆく。 その手はデスクの上を横切り、義体の頭部に触れた。やんわりとした人工頭髪の流れが彼女の掌に感じられる。彼女はそこを撫でるように手を動かした。 「――つまり、あなたも久島も、この頭部に収まっていると言う事なのね」 手を差し伸べられた義体は、視線を上向かせる。上からの照明により影を落としてくるその手を見上げていた。 「ああ」 そうしつつも義体は短く答えていた。老女からの質問に答えを返す。 その答えに、老女は薄く微笑んだ。歳若い頃の美しさを思わせるような微笑みを顔に映し出す。 「…ありがとう。あなたとお話出来て良かったわ」 そう言って彼女は右手をゆっくりと引いてゆく。摩擦していた事で、彼女の掌に僅かに義体の頭髪が張り付く。しかしそれも掌が離れてゆくに従い、すぐに落ち込み前髪に戻っていった。 手を離された義体は僅かに首を振る。撫で付けられた髪が揺れ、前髪が額に垂れてきた。しかし彼の動作はそれだけであり、髪に手を伸ばすような事はしなかった。 姉はその様子を眺めつつ、自らの右手を胸の前に持ってくる。その掌に視線を落とした。細く骨ばった指がそこにある。 その背後から、努めて冷静であろうとしているかの声が響いてきた。 「――…久島さん。それで、あなたの判断は」 若さを含むその声に、老女は振り返る。そこには統括部長代理が杖に身体を預けつつも直立していた。覚悟を決めたような顔がそこにはある。硬い表情からは悲嘆さが感じ取れた。 ――私から解答を引き出す事が、電理研の代表としての彼の仕事なのだろう。呼びかけられた老女はそう思った。そのために彼女を人工島に呼び付けているのだ。何せ一個人の生死に関わる問題である。書面のみで行うべきではなかった。 それを認めつつも、彼女は笑みを零した。幾分楽しそうな表情を浮かべる。それは今までのこの部屋での雰囲気にそぐわないものだった。 「それ、すぐに答えなければならない事なのかしら?」 「…え?」 ソウタは彼女の台詞とその態度との双方に、怪訝そうな声を上げていた。そんな彼に老女は向き直る。口許に手を当て、その奥で微笑みを作り出している。声の調子にもそれは現れていた。 「折角人工島に来たのですもの。少し待って頂ける?」 「…そうですか」 老女の要求に対して、ソウタは明確な返答を避けていた。只、頷くばかりである。 そもそも自分は聞き役に過ぎないと彼は認識している。彼女がどのような結論を導き出すのか、彼はその思考に道筋をつけるような説得などするつもりはなかった。電理研の利益を考えるならば、その方策はいくつかある事は理解している。しかしそれを行う事は、彼の心情が邪魔をした。結果的に彼は傍観者である事を選択する他なかった。 だから、ひとまずこの件については置く事にした。だから、この部屋を訪れている最中に受信したメールについて、彼は言葉にする。 「実は評議会から連絡が来ていまして、書記長があなたと会食を行いたいそうです」 それは彼の秘書を務めているホロンから送信されてきたメールの内容を簡略したものだった。ホロンは部長オフィスから離れて自らの仕事をこなしていたが、その最中に評議会からの連絡を受け取っていたらしい。その旨をソウタにメールと言う形で送信し、彼はそれを開封していた。 「――書記長と会食?」 老女は小首を傾げた。右手を頬に当てる。 「あなたは同席するの?統括部長代理なら、それに値する立場でしょうに」 その問いにソウタは当惑した。彼女が問題にしたのは、ソウタの想定していた箇所ではなかったからである。 どうやらこの老女は、評議会書記長からの会食の申し入れの事実自体に対しては、特に心を動かされると言う訳ではないらしい。書記長もまた、人工島を支配する人間のひとりであると言うのに、臆する所がないとは――とは言え、立場上は彼女が言うように自分もその支配者層の末席を汚しているのだから、それ程偉いイメージも持たれていないのかもしれないとも思ってしまう。 「私も同席した方がいいでしょうか?」 ソウタは問い返していた。どう言う風の吹き回しかは良く判らないが、重要なゲストである以上断る理由もなかった。おそらく不慣れな人工島なのだから、見知った案内役でも欲しいのだろう――と、ついつい何処までも自分の事を低く見てしまっている。 しかし、何処となく同席したくない気分も、彼の中には横たわっていた。それはこの老女や今回の一件に関係する問題ではない。 「相手側が了承するなら、私はあなたに来て欲しいわね」 「…了解しました」 ソウタは頷く。彼の気持ちには整理がつかないが、ゲストの要望である以上仕方がなかった。秘書であるホロンに電通を行い、評議会側との打ち合わせを依頼する事とした。 計時上もそろそろ夕食としては良い時間帯を迎えつつある。昼下がりの時間帯からこの来客を迎えた事を考慮すると、結構長く話し込んでいたものだと統括部長代理は思った。 |