私にとっては、あの弟がバイオリンに挫折した事は、何ら意外な事ではない。
 ――挫折なのだ。誰が何と言おうとも、あの弟が弁解しようとも。
 そもそもコンクールで優勝しておいて砂掛け紛いに辞めているのだから、私のこの述懐を訊いたならばその何処が挫折なのだと問う者も居るだろう。しかしそんな事を問う者は、彼の真実を見てはいないか、芸術を知らないのだろう。
 彼のスタイルでは、音楽の道を進んでもいずれは行き詰まるはずだった。おそらく彼自身もそれを理解している。だから、辞めたのだ。見切りをつけたのだ。
 そして彼の師匠も特に彼を慰留しようとはしていない。辞めるのならばそのままに放っていた。それは弟子の意思を尊重したとか、そんな師匠として素晴らしい態度が全てではない。師匠もまた、彼の限界に気付いていたのだろうと私は踏んでいる。
 簡単な話だ。彼の音色には情熱と言うものが一切感じられない。そこにあるのは小手先のテクニックばかりだ。
 どんなに素晴らしい技巧を凝らそうとも、それは曲芸師めいた演奏に過ぎない。そんなものはまるでサーカスでも楽しむかのように、興味本位で聴くしかないだろう。それは芸術としての音楽ではない。
 そして彼程度のレベルの演奏家など、世界にはいくらでも存在する。世界レベルの芸術家が重要視されるのは、テクニックの地平の先にある「感情」だ。
 大体、あんなにつまらない演奏しか出来ていないのに、どうして今まで優勝を始めとした賞を取り続けたのだろう。
 音楽は門外漢とは言え、私にはそれが理解出来ない。17歳ともなればプロに片足を突っ込んだ少年少女も出てきているはずで、ジュニア部門のような審査の甘さもなくなるだろうに。
 或いは、だからこそこの時期に辞めたのだろうか。だとしたら世の中を舐めているにも程があると思う。
 ――やる気がないなら、出ておいき。
 彼が幼少の頃、彼は私の元で日本舞踊を学んでいた。それはお稽古事と言う程度のお遊びである。
 8歳差の弟ともなると、彼が物心着く頃には私は既に舞踊の世界で認められつつあった。年齢的には未成年であっても、師範達には一人前として弟子の指導の一部を任されていた。師範になれないのは年齢と経歴が追いついていないだけだと、自他共に認めていた。
 そしてあの弟は、舞踊においても小手先の技術を身につけるのは早いものだった。そこは認めざるを得ない。同年代の子供達から抜きん出ており、舞台に抜擢してみたりもしたらニュースソース扱いされたりもした。
 しかし、それだけだった。そこでも彼は見世物としてのレベルでしかなかった。幼い子供だと言うのに、そこまでの踊りを踊れるのか――そう言う物見遊山な客が楽しんだだけだ。
 自分はそこに居たいのか。何があろうともしがみ付きたいのか。舞台に立つ人間として備えているべき、その情熱が私には一切見えて来なかった。
 だから私は苛立ち紛れに退出を命じたのだ。すると彼は僅かに傷付いたような表情を見せた。しかしそれだけであり、素直に私の指示に従い、稽古場から出て行った。周りの子供や弟子達に困惑を残しつつ。
 これは駄目だと思った。私にとってはこれが、決定的な事件となった。
 彼は、精神的な体温が低い。生まれながらの冷血漢であると、私は理解した。何事にも器用に対応出来るが、それだけに何かを突き詰めようとはしていない。一体何処に「体温」を忘れてきたのだろうか。
 どういう事情かバイオリンを始めた後も、それは変わっていなかった。当たり前だ。彼は情熱を持ち得ていないのだから。
 ――お前の前では、世界は何色をしているのだろう。色のない世界に生きているのだろうか。
 自らの世界を彩るべき情熱を持たない以上、何のために生きているのか?
 だから、私は実の弟の事が、嫌いなのだ。

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