ソウタの説明はそこで途切れた。沈痛な表情で淡々と言葉を結論へと導いて行っていたが、最後の言葉を吐き出した所で沈黙する。視線を落とし、自らに出されている紅茶を見た。そこにはまだ手を付けられていない赤い水面があるが、湯気はもう上がっては来ていない。 「――まあ、大体そのような説明を、お手紙でも頂いていたわね。過不足ない説明、御苦労様」 彼の沈黙を、老女は説明の終了を捉えた。ティーカップを持ち上げて口を付け、斜めの位置に座っている統括部長代理に対してそのような言葉を掛ける。 「付け加えるならば、久島の直接の親族はもう私しか残っていないのよ。当たり前だけど両親が他界して30年は経ってるし、私が知る限り彼には子も孫も居ませんからね。だから姉の私が老体に鞭打ってこの島に来たのよ」 冷めた紅茶に漂う苦味を感じたらしい。彼女は僅かに顔を顰めた。軽く口許を押さえ、ティーカップをテーブルに戻す。 ミナモは隣に座るその老女を見ていた。「老体に鞭打って」とは言うが、その姿勢の良さからはとてもそうには見えなかった。――大体、この人いくつなんだろう。波留さんが81歳で久島さんはその同年代のはずだから、その久島さんのお姉さんであるこの人はもっと歳が行ってるはずで――。 自分の周辺に生きる「老人達」はどうしてこう元気なのだろう。現状において場違いな考えではあるが、少女はそんな事を思っていた。 その隣で老女は伏し目がちにティーカップの方を見ている。手を膝の上に戻し、揃えた。そして相変わらず淡々とした口調で彼女は言葉を発する。 「意向を尋ねたいとは仰るけれど、あなた方電理研は結局の所、私に久島の死を認めて欲しいのでしょう?」 ミナモは思わず身体ごとその姉の方を向いていた。「死」と言う強い言葉に、彼女の思考が揺さぶられる。しかし今ソウタが語った依頼の説明を考慮すると、やはりその結論に至らざるを得ない。それはこの少女にも理解出来ていた。 その老女は、隣で身じろぎする少女の動作に気を取られる事もない。伏し目がちだった目が細められる。口角が上がり、顔には微笑みが浮かび上がってきた。しかしその笑みは楽しげと言うよりも只美しいだけのものだった。 「私がそうしなければ、あなた方は久島の記憶を自分のものに出来ませんものね。全く、久島は肝心な所でとんでもない人間に生殺与奪を握られたものだわ」 その台詞の最後に、老女は溜息めいた息をついた。そして彼女の口許の笑みが僅かに歪む。隣でそれを間近に見ていたミナモは、それを自嘲だと感じた。彼女自身にはどうしてそう感じたのか判らないが、とにかくそう感じていた。 老女は膝の上の手を軽く動かす。掌を膝の生地に擦り付けるように、そこを整えた。そして彼女は顔を上げる。背筋を伸ばしてソウタの方を見た。 「――それで、私はそのAIとやらに会わせて頂けるのかしら?」 「…え?」 そこで初めてソウタが反応する。不思議そうな顔をして、老女を見た。どうやら彼の想定にはなかった申し出らしい。そこに老女の台詞が続く。 「折角人工島に来たんですもの。久島の姿と記憶を引き継いでいると言うその彼にも会いたいわ。何せ久島当人と最後に会ったのは――…もう50年前にもなるかしらねえ」 彼女は視線を上に向け、考え込むように巡らせていた。それに隣のミナモが口を挟む。 「50年前って事は、あの事故の頃ですか?」 彼女にとっては「50年前」とは、その出来事が起こった頃と言う認識しかない。「50年前」など、2061年を生きる彼女にはあまりにも遠い時代である。だからその50年前にその事故によって大きく人生を変化させられた人間が彼女の周りにふたり存在した事が、「50年前」の印象をその方向へと強く補正していた。 「ええ。正確には、事故から4年後だったかしら。そんなに直後じゃなかったわね」 ミナモの問いに、老女は頬に手を当てて答えていた。台詞の内容はそんなものだったが、その表情は記憶を手繰り寄せる事に主眼を置き、そこに懐かしさと言った感情は傍からは一切確認出来ない。そんな様子を、少女は不思議に感じた。 そこまで没交渉な家族とは、一体どう言う状況なのだろう。 確かに蒼井家も全員が独立独歩で生活を送っている。ミナモも15年の人生において、母親には年単位で会えない事が多かった。それは普通の家族ではないのかもしれない。だからと言って各人が愛情を感じていないと言う訳でもなかった。 とは言え、そんな自分達でさえ、1年2年のブランクしか持ち得ていない。それが、この姉と弟は、50年らしい。桁が違う。 歳を取ればそんなものなのだろうか。姉の方は判らないが、弟は人工島とメタルの開発に長年携わって来ているはずだ。家族と連絡を取る暇もなかったのかもしれない。 自分が仕事を抱えるようになれば、そうなるのだろうか。例えば、自分と兄も、大人になればそんな事にもなってしまうのだろうか――ミナモはそんな想像をしてみたが、それは彼女の範疇を越えた想像だった。想像のリンクラインが途中で途切れてしまう。 そこに別の声が割り込みを掛けてくる。彼女の思考はそこで中断された。 「――人工島にいらっしゃった事があったのですか?」 今まで聞き役に徹し沈黙を通してきた波留が、そこで口を挟んできた。老女に向かい合わせに座っていた彼だが、上体こそきちんと伸ばしているものの足は組んでいて膝に両手を掛けている。その姿勢で老女にそう問い掛けてきていた。 別の方向からの問いに、老女は顔を向ける。正面から相対するように、波留を見た。 「いいえ。その当時はまだ人工島は崩壊直後で建設も中断していたのよ。だから弟とは…アイランドでしたっけ?建設予定地の近くの島で会ったわ」 「そうですか…」 波留は静かにそう受け答え、ゆっくりと瞼を伏せていた。口を噤み、それ以上は何も言おうとしない。 そのせいか、老女も波留から視線を外した。そのまま顔を巡らせ、波留の隣に座っているソウタを見やる。 「――で、どうなのかしら?」 主語を排した台詞が彼女の口から突いて出る。しかしソウタには、彼女が何を言わんとしているのか、今までの話の流れと自分を見た事により、把握出来ていた。 ソウタは眉を寄せて老女を見つめ返す。何か眩しいものでも見ているかのように目許に隈のような皺が寄っていた。 しかし彼は軽く息を吸う。両手をテーブルにつき、背筋を持ち上げた。背中にソファーの背もたれを感じる。顔に動いた髪が被さり動いた。 「判りました。久島部長のプライベートルームへと、御案内させて頂きます」 統括部長代理はこれからの案件を依頼すべき訪問者に対し、そう告げた。そして彼の台詞が何を意味するのか、遠回しに何を指しているのか。この部屋に居る人間には一様に理解出来ていた。 |